鹿島さんの自叙伝、7回目です。
今回は重要なことが書かれています。
灰谷健次郎さんとの出会い。
これが鹿島さんのその後の人生を決めます。
”私は灰谷さんの才能を尊敬し、親交は生涯続いた。“とある。
灰谷さんは、足立巻一先生を実の父のように慕う人でした。
足立先生が亡くなられた後の、足立先生を偲ぶ会に出席された灰谷さんの言葉が印象的だった。
「わたしは父親だと思っています。亡くなったとは信じておりません。今も、足立さんに何かを送る時には、宛名を奥様にではなく足立巻一先生宛にしてます。これからもずっとそうします。奥様ゴメンナサイ」
足立巻一先生と言われたか、足立さんと言われたかは忘れたが、そのような意味のことを言われたのを覚えている。
ということで、鹿島さんが生涯薫陶を受けた灰谷さんは足立先生に多大な薫陶を受けておられたというわけだ。
足立先生と灰谷さんの関係は、児童詩誌「きりん」による。
わたし、そのバックナンバーを6冊保有しているが、その内の一冊。
昭和38年発行。
子どもの詩がたくさん載っているのだが、
ここにも足立先生の「牛乳家族」と灰谷さんの「詩のコクバン・マコチンチンものがたり」という文章が載っている。
何れも心温まる文章だ。