「本当に愛してるの」と歌うと、逆にそれが薄っぺらく伝わってくる見本のような歌 | 社会のマンホール

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コーヒーカラー代表 仲山卯月 兼
恵比寿横丁流し パリなかやま
によるブログ

さてこれはどんな歌か。
歌好きの方はぜひ他の例も教えてほしいですね。
私がふと面白いと思ったのはピチカート5の「東京は夜の七時」

コーヒーカラーのライブも終わり開放感に満ち溢れた私は
久しぶりにどうしても聴きたくなったのですピチカート5が。

どうしても音源が見つからないので(むかし聴いてたのに何故だ)
面倒だエイ、とツタヤサンで借りた。
いざ控えめの爆音で聴くと、私の部屋には今も昔も全然似合わない音楽なのだが
相変わらず小躍りしたくなるご機嫌なムジカだ。

しかし、ピチカート5はのらせてくれるだけにあらず
歌詞がとても自然に、脳の水面に流れ込んでくる。
それは一聴瞭然
すごく明瞭な日本語を駆使してつくってあるからだろう。

近頃、横行しているような
洋楽っぽく英語を混ぜたり、英語っぽい日本語発声を一切しない。
だから通常の話し言葉みたいにどんどん中身が届く。

中でも好きなのがこれだ
「東京は夜の七時」


どうでしょう?主人公女性が
「本当に愛してるの」「とても寂しいあなたに会いたい」
と東京の夜の七時に訴えている歌だ。
彼氏?に(早くきて!)という感じだ。

しかし
この音楽と、このつるっとしたヴォカリゼーション(響き?)で歌われていくと
「キミは(女は)ただ単に自分がさびしいだけだね?自分が大切だね?」
そんな人物像が伝わってきます。
「お腹が空いて死にそうなの」とも言っているし、しょーもないなコイツは、
こりゃこの相手は大変だな~、なんてとこまで頭をよぎる。

私の儚い男性脳ではそんな印象。
世の女性にこの歌はどういう印象になるのでしょうか。

ピチカート5の楽しさは、サウンドだけにあらず
他の歌でもそうですが、この半分は歌詞にあり
曲と詞が相互補完しています。

ふふふ