2016年10月18日午前0時現在。熊本地震回数4101回。
先週、気象庁が、今回の熊本地震は「よく調べたら、発生した時間や震源の位置がごく近くの複数の地震と
判明したケースが多かった」として、それまで発表していた地震回数を倍にするほどの訂正を行った。
おかげで(?)、4月に端を発した一連の熊本地震は、たった半年の間に何と「4000回を超す異様な地震」
ということになったのである。
回数の多さには驚くばかりだが、熊本はいまだ続く地震の中で、以前の暮らしを取り戻せていない。
私の住む町は、ちょうど熊本城の北に続く台地の上にある。
熊本城が築城されたころ、当時の石工さんたちが、私たちの住む町の石垣を積んだのだそうだ。
その石垣の上に立つのが私の実家なのである。
震度6強の揺れで、熊本城の多くの石垣が崩れたが、幸いなことに実家の石垣は持ちこたえた。
当時作られたというご近所の石垣もまた、持ちこたえた。
しかしながら、その上に建つ家は、どこもひどい状況となったのだった。
以前の記事で書いた通り、私の実家は、半分を解体せざるを得なくなったし、お向かいの中村さんの家は、
壁が落ち、屋根が壊れ、未だブルーシートが掛けられたままだ。
斜向かいの高田さんの家は、屋根と壁に損傷を受けていて、つい先週工事が終わったばかり。
家の前の道路に沿って作られていた外山さんと遠山さんの家の石造りの塀は、蔦に支えられてかろうじて
立っている状況なのである。
この塀は、大きく湾曲し、今では、「危険」と書かれたカードをぶら下げたロープで囲まれている。
先日、地区のお世話をしてくださっていた遠山さんが私の家を訪ねてこられた。
「こんにちは。」と遠山さん。
「こんにちは。お久しぶりでございます。」と私。
「お元気ですか?」
「ありがとうございます。おかげさまで。ほんと、お近くなのになかなかお会いしませんね。」
「ほんとですね。失礼ばかりで申し訳ありません。」
「まぁ、とんでもない。こちらこそ失礼ばかりで。」
・・・・・・
同じ通りに住んでいるのに、本当にお互い顔をわせたことがない。
それこそ、1年に1度お会いすればいいくらいのお付き合いである。
地震後、顔を合わせたのは、これが初めてだ。
今回の訪問は、町内会の隣保の当番になった私に、町費を集めてほしいとのご依頼なのだった。
半年に一度ずつ、まとめて町費を徴収し、それを自治会の運営費に充てるのである。
さて、この町費を集めなければならない隣保は5軒。
実家を含む私の家の周りのごくごく近いお宅ばかりだ。
以前だと、あっという間に集まったこの町費なのだが、今回は、全く思うように集まらないのである。
しょっちゅう各お宅を訪問してはいるものの、10日も経つというのに、集められたのは実家と我が家の
2軒だけという状況。
私も仕事をしていて、時間帯が合わないからかもしれないが、朝も夕方も、やはり人がおられないのだ。
お向かいの中村さんは、高齢になられ、地震の後ほとんどお姿を見かけたことがない。
他県に嫁がれた娘さんが、時折訪ねてこられているようだが、ずっといらっしゃるという訳ではないようだ。
門にも鍵がかかり、中に人がおいでになるような気配もない。
斜向かいの高田さんは、おばあちゃまがいらっしゃったのだが、あの地震以降、他県に引っ越された
との話もある。
ご家族の方は住んでいらっしゃる筈だが、いつもお留守の状況が続いている。
もう一軒は姪のようこちゃんの家だが、朝は早く、夜は遅くまで仕事で忙しいようで、なかなか顔が
合わせられない。
これじゃ、いつまでたっても、町費は集められそうにないなぁ。
地震がきっかけになって、多くのお年寄りたちが体調や心に大きなダメージを負った。
我が町内のように高齢化が進んだ地域は、そのダメージをそのまま体現している感じがする。
実家の母も、高齢の一人暮らしだが、地震を境に、それまでの生活が一変してしまった。
それは、多分、町内のお年寄りにも同じことがいえるのだ。
地震で壊れた家の修復をするにも目途が立たず、体調や心の変化に、その場しのぎの対応しかできていない
のではないか。
お姿を見ることのないお年寄りの方たちが、今どうなさっているのか、心底気になる所ではある。
地区のお世話をしてくださった遠山さんも、「近いうちに、引越しをして、家を離れることにしたんですよ。」
とのことだった。
地震は、町の人たちの生活をも、根底から揺さぶってしまった。
ガタガタガタ・・・。
昨日の朝、7時前。そろそろベッドから起きないと、と思っていた矢先、家中の家具が音を立てた。
まだ、頭がボウとしているが、急な揺れに「あの地震」の恐怖が蘇る。
「あなた。」
・・・・・・
横にいるはずの主人に声をかけたが、彼はもうすでに起きていて、自分の部屋に行ってしまったようだ。
ガタガタガタ・・・。
ベッドの上に身を起こして様子を見るうち、揺れは次第に収まった。
「おっはぁ。」
着替えをして、主人の部屋のドアを開ける。
「よう。」と主人。
「また、揺れたね。」
「なかなか収まらんなぁ。」
「ほんと。いつまで続くんだろねぇ。」
・・・・・・
あと2日で、「あの」熊本地震からちょうど6か月目になる。
もう半年も経つのだ。
・・・それなのに、まだまだ熊本地震は終息を見ない。
昨日は、気象庁からあらたな情報が発表された。
先日まで、今回の熊本地震の数は2100回を超すほどの回数を記録したとのことだったのに、精査してみたら
実際にはもっとずっと回数が多かったというのである。
この発表で、
「4月14日午後9時26分に最大震度7の地震が発生して以降、今月11日午前0時までの震度1以上の
地震回数は、2137 回から、2倍近い 4081 回に修正」
されたのである。
一つと扱っていた地震も、よく調べたら、発生した時間や震源の位置がごく近くの複数の地震と判明した
ケースが多かった、というのだ。
確かに、実感としては、ずーっと揺れ続けていたという気がするが・・・。
それにしても、なんと、4000 回越え‼
想像を絶するこの数値には、ただただ驚くばかりである。
もちろん、これは、「今まで経験したことのない数値」とのことだった。
熊本の地は、今回の地震が起きる前まで、「あまり揺れない地域」として認識されていた気がする。
そんな認識の上で、地震の保険料も安く設定されていた。
今思い返してみると、何の根拠もない「安心・安全」だったが、多くの熊本の人にとって、大地震が
起こること等は、想定外のことだったのだ。
ただ、実際にこのような地震を経験してみると、自分が、いかに力が無いのかを実感するばかり。
自分自身に対してももちろんだが、身近な家族や地域の人たち、学生さんたちに対しても、その場しのぎの
対応しかできなかった。
そして、いまだに、地震の後の事務的な手続きや仕事の処理に時間を費やす日々が続いている。
気が付けば、あっという間に「半年」が過ぎてしまっていたのである。
思いもかけない自然災害とは、こんなものなのか。
東北の大震災を経験された方々も、同様の日々を送られているのだろうか・・・。
復興の声は聞こえてくるが、遅々として進まない現実に、被災者の方たちの多くは様々な思いを巡らされて
いるに違いない。
元気で毎日を送る自分はいるが、時折、急に頭に浮かんでくる「恐ろしかった地震の記憶」や「思い通りに
進まない現実」に直面すると、漠然とした不安を感じてしまう。
どうか、一日も早く、元の生活が戻ってきますように。
先日、他県に住む孫娘たちが、熊本に遊びにやって来た。
3歳になるももちゃんが、車窓から外を指さして尋ねる。
「なんで、いっぱい、青いきれで、かざってあるの?」
「あはは。あれね、ブルーシートっていうんだよぉ。地震が起きてね、お家のお屋根が壊れちゃったから、
雨がお家の中に落ちてこないように~って、上にかぶせてあるの。」
「ふうん。そうなの。」
・・・・・・
子どもの目には、ブルーシートも綺麗な布に見えるのかな。
できうれば、綺麗で素敵な屋根が連なった景色を見せてやりたいものである。
(追記)
8日。阿蘇山が爆発的噴火を起こしました。
マグマ水蒸気爆発とのことで、大量の降灰があったそうです。
被害にあわれた皆様に、心よりお見舞い申し上げます。
それにしても、地震、大雨、火山の噴火、って・・・。
今年の熊本は、災難続きです。
昨日の朝、7時前。そろそろベッドから起きないと、と思っていた矢先、家中の家具が音を立てた。
まだ、頭がボウとしているが、急な揺れに「あの地震」の恐怖が蘇る。
「あなた。」
・・・・・・
横にいるはずの主人に声をかけたが、彼はもうすでに起きていて、自分の部屋に行ってしまったようだ。
ガタガタガタ・・・。
ベッドの上に身を起こして様子を見るうち、揺れは次第に収まった。
「おっはぁ。」
着替えをして、主人の部屋のドアを開ける。
「よう。」と主人。
「また、揺れたね。」
「なかなか収まらんなぁ。」
「ほんと。いつまで続くんだろねぇ。」
・・・・・・
あと2日で、「あの」熊本地震からちょうど6か月目になる。
もう半年も経つのだ。
・・・それなのに、まだまだ熊本地震は終息を見ない。
昨日は、気象庁からあらたな情報が発表された。
先日まで、今回の熊本地震の数は2100回を超すほどの回数を記録したとのことだったのに、精査してみたら
実際にはもっとずっと回数が多かったというのである。
この発表で、
「4月14日午後9時26分に最大震度7の地震が発生して以降、今月11日午前0時までの震度1以上の
地震回数は、2137 回から、2倍近い 4081 回に修正」
されたのである。
一つと扱っていた地震も、よく調べたら、発生した時間や震源の位置がごく近くの複数の地震と判明した
ケースが多かった、というのだ。
確かに、実感としては、ずーっと揺れ続けていたという気がするが・・・。
それにしても、なんと、4000 回越え‼
想像を絶するこの数値には、ただただ驚くばかりである。
もちろん、これは、「今まで経験したことのない数値」とのことだった。
熊本の地は、今回の地震が起きる前まで、「あまり揺れない地域」として認識されていた気がする。
そんな認識の上で、地震の保険料も安く設定されていた。
今思い返してみると、何の根拠もない「安心・安全」だったが、多くの熊本の人にとって、大地震が
起こること等は、想定外のことだったのだ。
ただ、実際にこのような地震を経験してみると、自分が、いかに力が無いのかを実感するばかり。
自分自身に対してももちろんだが、身近な家族や地域の人たち、学生さんたちに対しても、その場しのぎの
対応しかできなかった。
そして、いまだに、地震の後の事務的な手続きや仕事の処理に時間を費やす日々が続いている。
気が付けば、あっという間に「半年」が過ぎてしまっていたのである。
思いもかけない自然災害とは、こんなものなのか。
東北の大震災を経験された方々も、同様の日々を送られているのだろうか・・・。
復興の声は聞こえてくるが、遅々として進まない現実に、被災者の方たちの多くは様々な思いを巡らされて
いるに違いない。
元気で毎日を送る自分はいるが、時折、急に頭に浮かんでくる「恐ろしかった地震の記憶」や「思い通りに
進まない現実」に直面すると、漠然とした不安を感じてしまう。
どうか、一日も早く、元の生活が戻ってきますように。
先日、他県に住む孫娘たちが、熊本に遊びにやって来た。
3歳になるももちゃんが、車窓から外を指さして尋ねる。
「なんで、いっぱい、青いきれで、かざってあるの?」
「あはは。あれね、ブルーシートっていうんだよぉ。地震が起きてね、お家のお屋根が壊れちゃったから、
雨がお家の中に落ちてこないように~って、上にかぶせてあるの。」
「ふうん。そうなの。」
・・・・・・
子どもの目には、ブルーシートも綺麗な布に見えるのかな。
できうれば、綺麗で素敵な屋根が連なった景色を見せてやりたいものである。
(追記)
8日。阿蘇山が爆発的噴火を起こしました。
マグマ水蒸気爆発とのことで、大量の降灰があったそうです。
被害にあわれた皆様に、心よりお見舞い申し上げます。
それにしても、地震、大雨、火山の噴火、って・・・。
今年の熊本は、災難続きです。
近頃、近所を歩いても、小さな子をほとんど見なくなった。
生まれたときからずっと同じ場所で暮らしている。
昔ながらの住宅街だが、思い返してみると、私の小さかった頃、町は子どもであふれかえっていた。
『となりのトトロ』に出て来る、あのシーン。
さつきちゃんが朝ご飯を食べていると、外からお友達の呼ぶ声がする。
「さ~つきちゃん。」
「はあい。」
・・・・・・
この呼び声と答えが、私の日常だった。
朝も、放課後も、家の外から近所のお友達が誘いに来る声が響く。
「く~にこちゃん、あ、そ、ぼ。」
「はあい。」
・・・・・・
妹たちと一緒に外に飛び出し、いつも5・6人を超えるお仲間と駆け回って遊んだっけ・・・。
ところが、そんな光景を今、この町で見たことがない。
あの当時若かったお父さんお母さんたちは、滅多に外にも出られなくなった。
時折お会いすると、ずい分とお年を召された様子に驚くばかり。
我が町は、すっかり、お年寄りの町と化してしまった感がある。
隣に新しいアパートが出来てはいるが、引っ越して来られた方と顔を合わせたことがない。
たまに遠くから子どもさんの声が聞こえることもあるが、私も昼間働いているせいか、誰も知らないでいる。
町内会は、かろうじて回覧板でつながっている程度で、以前の地域のつながりは影を潜めてしまった。
さて、先月の敬老の日に、お年寄りに関する様々な情報が伝えられた。
総務省統計局の発表によると、平成27年度、65歳以上のお年寄りの数は3384万人になったとのことだった。
今日本の総人口は、1億2700万弱だから、高齢化率は、26.7%になる。
人口の4人に1人以上がお年寄り、ということだ。
この高齢者の人口割合は、主要国ではトップとなっている。
今から約50年前の高齢化率は、6.3%(1965年)だった。
これは、約16人に1人がお年寄り、という割合。
1964年が、東京オリンピックの年だ。
ちょうど高度経済成長期真っただ中の日本は、働く大人や子どもたちが、余裕でお年寄りを支えることが
できた時代でもあったのである。
今は、そういう時代ではない。
もう少し、先の統計から。
お年寄りの数が急増しているのは、ここに来て団塊の世代(第一次ベビーブーム世代)の方たちが、
高齢者の仲間入りをしているせいでもあるが、加えて寿命が延びているからでもある。
ちなみに、厚労省が発表した平成27年の日本人の平均寿命は83.7歳。
男性が80.79歳、女性は87.05歳だ。
80歳以上のお年寄りは、1000万人を超したとのこと。
100歳以上のお年寄りは、なんと、6万5000人を上回っている。
世界一の高齢化率、世界一の平均寿命。超高齢社会の日本は、考えようによっては、すばらしく幸せな
長寿大国なのである。
元気でお年を重ねる方もずい分と多い。
65歳以上になっても働く人たちは、増加の一途をたどっている。
65歳以上の就業者は、681万人。
これは、働いている人の10.7%にあたるのだという。
ただ、老後に対して、若い人もお年寄りも、何かしらの不安を抱えている人が多いのも事実だ。
健康も気になるし、経済も気になる。
急スピードで高齢化が進んだ我が国は、その時代に対応した社会のあり様を考えなければならない時期に
来ているのだろう。
私自身も、今年で62歳となり、さすがに、これから先のことを考えざるを得ない状況になってきた。
常勤の勤務はじき辞めるにしても、その後、どうしたらよいのだろう・・・。
漠然と70歳くらいまでは非常勤の仕事を続けようと思ってはいるが、これから先の人生設計に悩む毎日
なのである。
若いころ、「50を過ぎるころには、その後の人生の道筋がきっちりわかってくるのだろうな。」と
思っていたが、いざその歳になってみると、とんでもない・・・、全く見通しが立たないでいる。
孔子によると、四十は不惑(惑わず)、五十は知命(天命を知る)、六十は耳順(耳したがう)・・・という
ことだが、私の精神は四十にも達していないということか。
あーあ。
何か、楽しいことないかな。
生まれたときからずっと同じ場所で暮らしている。
昔ながらの住宅街だが、思い返してみると、私の小さかった頃、町は子どもであふれかえっていた。
『となりのトトロ』に出て来る、あのシーン。
さつきちゃんが朝ご飯を食べていると、外からお友達の呼ぶ声がする。
「さ~つきちゃん。」
「はあい。」
・・・・・・
この呼び声と答えが、私の日常だった。
朝も、放課後も、家の外から近所のお友達が誘いに来る声が響く。
「く~にこちゃん、あ、そ、ぼ。」
「はあい。」
・・・・・・
妹たちと一緒に外に飛び出し、いつも5・6人を超えるお仲間と駆け回って遊んだっけ・・・。
ところが、そんな光景を今、この町で見たことがない。
あの当時若かったお父さんお母さんたちは、滅多に外にも出られなくなった。
時折お会いすると、ずい分とお年を召された様子に驚くばかり。
我が町は、すっかり、お年寄りの町と化してしまった感がある。
隣に新しいアパートが出来てはいるが、引っ越して来られた方と顔を合わせたことがない。
たまに遠くから子どもさんの声が聞こえることもあるが、私も昼間働いているせいか、誰も知らないでいる。
町内会は、かろうじて回覧板でつながっている程度で、以前の地域のつながりは影を潜めてしまった。
さて、先月の敬老の日に、お年寄りに関する様々な情報が伝えられた。
総務省統計局の発表によると、平成27年度、65歳以上のお年寄りの数は3384万人になったとのことだった。
今日本の総人口は、1億2700万弱だから、高齢化率は、26.7%になる。
人口の4人に1人以上がお年寄り、ということだ。
この高齢者の人口割合は、主要国ではトップとなっている。
今から約50年前の高齢化率は、6.3%(1965年)だった。
これは、約16人に1人がお年寄り、という割合。
1964年が、東京オリンピックの年だ。
ちょうど高度経済成長期真っただ中の日本は、働く大人や子どもたちが、余裕でお年寄りを支えることが
できた時代でもあったのである。
今は、そういう時代ではない。
もう少し、先の統計から。
お年寄りの数が急増しているのは、ここに来て団塊の世代(第一次ベビーブーム世代)の方たちが、
高齢者の仲間入りをしているせいでもあるが、加えて寿命が延びているからでもある。
ちなみに、厚労省が発表した平成27年の日本人の平均寿命は83.7歳。
男性が80.79歳、女性は87.05歳だ。
80歳以上のお年寄りは、1000万人を超したとのこと。
100歳以上のお年寄りは、なんと、6万5000人を上回っている。
世界一の高齢化率、世界一の平均寿命。超高齢社会の日本は、考えようによっては、すばらしく幸せな
長寿大国なのである。
元気でお年を重ねる方もずい分と多い。
65歳以上になっても働く人たちは、増加の一途をたどっている。
65歳以上の就業者は、681万人。
これは、働いている人の10.7%にあたるのだという。
ただ、老後に対して、若い人もお年寄りも、何かしらの不安を抱えている人が多いのも事実だ。
健康も気になるし、経済も気になる。
急スピードで高齢化が進んだ我が国は、その時代に対応した社会のあり様を考えなければならない時期に
来ているのだろう。
私自身も、今年で62歳となり、さすがに、これから先のことを考えざるを得ない状況になってきた。
常勤の勤務はじき辞めるにしても、その後、どうしたらよいのだろう・・・。
漠然と70歳くらいまでは非常勤の仕事を続けようと思ってはいるが、これから先の人生設計に悩む毎日
なのである。
若いころ、「50を過ぎるころには、その後の人生の道筋がきっちりわかってくるのだろうな。」と
思っていたが、いざその歳になってみると、とんでもない・・・、全く見通しが立たないでいる。
孔子によると、四十は不惑(惑わず)、五十は知命(天命を知る)、六十は耳順(耳したがう)・・・という
ことだが、私の精神は四十にも達していないということか。
あーあ。
何か、楽しいことないかな。