2016年6月1日午前7時現在。熊本地震回数1614回。
熊本の大地震から1月半。ずっと、非日常の毎日を過ごしてきた。
混乱の中にあって、何とか日を重ねてはいるものの、解決しない問題が山積している状況である。
4月16日午前1時25分本震。その約1時間後。
地震直後電気が切れ、真っ暗闇の中、主人と二人で庭に出た時だった。
まだ、頻繁に大きな余震が続いている。
「おばちゃ~ん、大丈夫?」
遠くの暗闇から、近くの家に住む姪(ようこちゃん)の声がした。
隣の一人暮らしをしている母の家の前にいるようだ。
母の住む家は古く、きっと様々なものが倒れ散らばり、とんでもない状況になっているに違いない。
「うーん、大丈夫だよ~。ようちゃんは、大丈夫だった?」
「私は大丈夫~。おばあちゃん、すぐ、連れてくるね~。」
「いいの?ほんと、ありがとう。気を付けてね~。無理しないでね~。」
「わかったぁ。」
・・・・・・
停電は、やはりブレーカーが落ちたのが原因のようだった。
懐中電灯で照らされた配電盤のスイッチを入れると、すぐに家中の明かりが点いた。
そして、ほどなくして、茫然とした母の肩を抱き、姪が私の家を訪ねてきたのであった。
「ようちゃん、ほんと、ありがと。ごめんね、大変だったでしょ。」
「いやいや、なんともないよ。」
「よく家に入れたね。」
「ガラス戸が落ちて開いてたから、そこから入った。」
「そうなの。ケガしなかった?」
「大丈夫。」
「こっち(私の家)に来る?」
「いや。家は大丈夫だから、戻るわ。」
「ありがと~。お互い用心しようね~。」
・・・・・・
母を引き取り、私たちは、まんじりともしないで一夜を過ごした。
怯え、ほぼ状況の掴めていない母の横には、息子が黙って座っている。
私は、テレビを見ているようで見ていない母に向かって話しかけた。
「お母さん、大丈夫?」
「は?だいじょうぶ、だいじょうぶ。」
「お母さん、地震があったの、わかった?」
「???地震ね・・・わからん。」
「ね、お母さん。テレビ見て。ほら、あれ熊本城よ。お城でもあんなに壊れてるんだから、ね。
すごい地震だったんだよ~。」
「ふうん。大変だったとねぇ。」
「そうよ~。お母さん、良かったよ、無事で。ようちゃんに助けてもらったんよ~。」
「全然覚えてない。どうして、ここにおるんだろか?」
「あのね。大きな地震が起こったの。それでね、ようちゃんが家に入ってお母さんを助けてくれて、
そして、ここに連れてきてくれたんよ。」
「ふうん。そうね。ようちゃんが。・・・わからん。もう遅いでしょ。家に帰らんと・・・。」
・・・・・・
持ってきたバッグを手にいきなりソファを立とうとする母を、慌てて制止する私。
「いやいやいやいや。お母さん、今は帰れないって。」
「なんで?」
「ほら、余震が続いてるでしょ。・・・ほらほら、今も揺れてるし。」
「は?感じんよ。」
「すごく揺れてるでしょ。・・・大きいのもあるし、今家に戻ったら、家がつぶれちゃって死んじゃう
かもしれんのよ。お母さんの家は、今ぐちゃぐちゃになってて、入れないの。
ようちゃんが、ガラス戸が壊れてたって言ってたでしょ。」
「そんなこと、ないよ。・・・じゃ、帰るね。お世話になりました。」
「待って待って待って待って、お母さん。今日は,家に泊まるんよ。泊まってね。」
「なんで帰ったらいかんとね。明日は朝から庭のお掃除もあるし、もう帰るよ。」
「何言ってるの。お掃除なんて、とんでもない。瓦が落ちてくるよ。しなくていいの。」
「そんなこと言うなんて、あなた、おかしいよ。」
「おかしいこと言ってるの、お母さんだよ。」
・・・・・・
母は、数分おきに同じ会話を繰り返した。そして、30分毎に、今度はトイレに行くと言い出す。
「トイレ、よかろうか。」
「はいはい。どうぞ。・・・トイレ、わかる?」
「どっち?」
「こっちよ。一緒に行きましょう。」
「・・・ご免ねぇ。迷惑かけるねぇ。」
「何言ってんの。大丈夫だよ~。心配しなくていいよ~。」
・・・・・・
こうして、母は一晩中「わからん」と「帰る」と「ご免ね」を繰り返したのだった。
余震は思った以上に多く激しく、揺れるたびに恐怖を感じるほどだ。
テレビでは、休むことなく、ずっと実況で熊本の地震のニュースを続けている。
映し出される熊本の映像は、目を覆いたくようなものばかり。
阿蘇では山が崩落し、阿蘇の大橋が跡形もなくなってしまったと報じていた。
つぶれた家では、犠牲者もおられるという。
全く、なんということだ。
想像をはるかに絶する事態に、私自身、何をどうしていいのかよくわからなかった。
さて、1年ほど前から、物忘れがひどくなり、探し物を繰り返す母だったが、この混乱状況の中で、
一気にその症状が悪化してしまった感がある。
本震の日の夜は、ほぼ眠れない状況で明け方を迎えた。
混乱を極めた母は、大きな地震があったこともよく認識できず、何故私の家に来ているのかもわからず、
どうして母の家に戻れないのかも理解できずにいた。
家に戻りたい母と、戻してはならないと止める私たちは、押し問答を繰り返す。
「危険だから帰せない」と止める私たちを母は怒り、「どうして帰っちゃいけないの」と泣き崩れた。
混乱しているとはいえ、話ができ歩くこともできる母を止めておくことは、想像以上に難しいことだったのだ。
翌日もその翌日も同じ会話が繰り返される。
そんな中、母の言動は日に日にというか、時間時間で混乱が倍増していくばかりだった。
夢でも見たのか、私の家を「鹿児島の旅行先」だと思い込み、「早く熊本に戻ろう」と言い出す始末。
こんな混乱の中、近所に住む私の妹一家も応援に駆けつけてくれ、皆で母の説得に時間を費やした。
「帰る」一点張りの母を納得させようと、変わり果てた、物の散乱した母の家に連れていくと、今度は
「誰がこんなに散らかしたのだ」と怒り、「片づけをするまでは家に帰らない」と柱にしがみついた。
余震で片付けるのも危ないからと母を家の外に出そうとするが、今度は「ほっておいて。私は片づけを
しなければ気がおさまらない。」と駄々をこねる。
玄関の戸にしがみついて泣く。
・・・・・・
私たちでさえ大変な思いをしているのだから、母がこれほど混乱するのも頷けることではあったが、
優しく穏やかだった母の変容ぶりには私たちも戸惑うばかりだった。
結局、私たちは、相談し、母の家のガラス戸を応急で直し、以前の一人暮らしの環境を整えることに決めた。
元の家に戻った母は、少しばかり落ち着きを取り戻した。
一時期の「何も訳が分からない」状況からは脱し、早起きをして、家の周りのお掃除をし、テレビを見、
食事をし、決まった日に病院に出かける日々を送っている。
朝、出勤前に母に「おはよう。」と声をかけると、「あら、おはよう。」といつもの声が返ってくる
ようにもなった。
震災後のあの混乱ぶりからは想像できない変わりようだ。
物忘れは相変わらずだが、感情的に怒り泣くことも無くなった。
長年続けてきたいつもの暮らしが続く毎日・・・。
余震が続く中、この生活のリズムが、以前の母の暮らしと気持ちの落ち着きを取り戻させてくれたの
かもしれない。
(追記
震災直後、大変な混乱状況に陥った母を前に、私はなすすべがありませんでした。
3日ほど私の家におりましたが、母の相手で、殆ど眠れない状況が続きました。
地震の後片付けに追われ、母の対応に追われる日々。
物理的な大変さもさることながら、精神的なダメージが、いかに大きいかを実感した地震後の数日間でした。
周りの助言も受けて、介護のお世話になることも考えなくては、と地域包括センターに電話を入れましたが、
全くつながりません。
後から聞いた話ですが、地震後、認知症のお年寄りが混乱し、母と同様、症状を一気に悪化させた方が多く、
対応に追われていたとのことでした。
実感を伴い「頷ける」話だと感じた次第。
(追記◆
現在、介護支援を受ける手続きには早くても2か月待ちとのことでした。
お年寄りを抱えていらっしゃる家族の方は、きっと同じような大変さをお持ちなのでしょう。
予期しない環境の変化で、介護の手が緊急に沢山必要になるようです。
(追記◆
災害は、本当に突然やってきます。
環境の大きな変化に対応できる力が欲しいと思います。
一方、そうできない人たちを、どうサポートするかについての知識も欲しい。
地震は、回数こそずい分と減りましたが、まだ続いています。
どこで起きてもおかしくない災害への対応策は、物資だけではなく、様々な分野に広がっているように
思います。