灰色の不思議 | くにこ先生のコーヒーブレイク

くにこ先生のコーヒーブレイク

通りすがりのあなたに、心に残るお話をひとつ

 高校の美術の担当は、日展の会員でもいらっしゃった洋画家の野田健郎先生だった。
 穏やかで明るい先生の授業はとてもマイペースである。
 時間の初めに課題をひとことふたこと
 「今日は、生物をデザインで描こうか。細かいところも見ながら描いてみてね。」
 「今日は、天気がいいから外に出て、校内で写生してみよう。」
 ・・・。
 そう言い終わると、すぐに部屋に戻られ、時間の終わりに皆が集まると、またふっと出てこられてそれぞれの
 絵にコメントを下さる、そんな授業だった(私の大好きだった授業の一つである)。


 薔薇の棘をモチーフにデザインを描いた時だ。
 上向きの棘を組み合わせて、青と白のグラデーションで色を重ねてみた。
 とがった三角形の氷の柱を組み合わせたような絵である。

 腕組みをしてずっと私の絵を見ておられた先生は、いきなり絵を逆さに置きなおされた。

 「うん、これは、逆がいい。・・・逆がいいねぇ。・・・どお?」

 こんな調子だ。

 逆さに置かれた私の絵は、まったく別の雰囲気の絵となり、先生が言われると、何だか素敵に見えてくるから
 不思議だった。
 クラスメートの作品も次から次へと思いもつかないアドバイスを貰い、いきいきと息づいた作品となるのである。

 美術部の顧問でもあった野田先生は、時に雑談交じりにいろいろなことを教えてくださった。
 もっとも印象に残っている会話がある。

 「みんな、どんな色にも合う色って何だかわかる?」
 「エー、何色かなぁ。・・・白ですか?」
 「黒。」
 「緑じゃないかな。」

 学生がそれぞれに首をかしげながら言い合っていると、先生はその様子をにこにこ笑いながら面白そうに
 聞かれた後、おもむろに、得意げに、言われるのだ。
 まるで、いたずらっ子のような笑顔だ。

 「・・・灰色なんだよ。」
 「えー、灰色ですか?」
 「うん。これがね、すごい色なんだ。何にでも合う。
  白や黒や緑にも合うけれど、ピンク色もオレンジ色も青も、とにかく、何にでも溶け込む色なんだ。
  洋服なんかね、選ぶときは、どこかに灰色を持ってくると、ぴったりくるんだよ。」
 「そうなんですかぁ。」
 「言われてみると、そう、ですね。」
 「すごーい。」

 会話の中で、本当にさまざまなことを教えていただいた記憶がある。
 先生の絵は、確かに灰色がどこそこに使われていて、それが、絵にまとまりと深みを感じさせてくれるのだった。

 高校の先生を辞められた後も、先生は精力的に、作品に取り組まれていた。
 アトリエの近くでお見かけする先生は、ベレー帽とスモックといった格好である。
 イメージの中の「画家」そのものといった感じ・・・。
 ただ、それが本当に自然で、よく似合っておられて、「あぁ先生は、絵を描くために生まれてこられた方
 なんだ。」とひどく納得したものだった。


 その後、野田先生は、平成5年に72歳の若さで亡くなられた。
 作品は、さまざまな人から愛され、「色彩豊かで華麗」「色彩は明るく多彩」「鮮やかな色彩」「色彩画家」
 等々、美しい色合いに対する高い評価を受けている。
 
 この先生の作品には、熊本の公共施設や大学など、さまざまなところで触れることができる。
 熊本の中心街にある地下道、バスセンターと中心街を結ぶ道にある壁画の構成に携われたのも野田先生だ。。
 
 アーチ型の天井から鳥の声が聞こえてくるこの静かな通りの脇には、きれいな水路が造られている。
 その壁側にあるのがこの絵。
 地元の祭りをモチーフに描かれたものだが、美しい色彩とともに灰色が多用されている。

 まだ、この通路が出来立ての頃のことだ。
 私が、立ち止まって、じっと絵に見入っていたら、警備のおじさんが声を掛けてこられた。

 「きれいかですもんな。見ていると、祭りの音が聞こえてくるような気がしませんか。」
 「そうですねぇ。素敵な絵ですね。」
 「じっと見とると、今にも動き出しそうでしょう。」
 「はい。」
 「・・・。」

 さまざまな色が使われているのだが、全体に落ち着いた雰囲気さえする。
 それは、きっとあの「不思議な灰色」が全体をまとめているからなのではないかと思う。

 私は、この道を通り壁画を目にする度に、先生とのあの会話を思い出すのだ。


 灰色という色は、単色だと、とても暗い感じがするのだけれど、他の色と組み合わせると、とたんに鮮やかさが
 生まれてくる。

 今でも、色に迷った時は、必ず灰色を使うことにしている。
 服でも、食器でも、持ち物でも。
 ・・・なぜか全体がしっくりとなじんでくるのである。


 だまされたと思って、是非、灰色をどこかに使ってみて欲しい。
 灰色の不思議は、野田マジックなのである。