新聞 | くにこ先生のコーヒーブレイク

くにこ先生のコーヒーブレイク

通りすがりのあなたに、心に残るお話をひとつ

 主人がしてくれる数少ない家事の一つが、新聞取りである。
 夜型の私と違って、彼は朝が早い。
 私よりも早く目覚め、そして、ごそごそと門のポストに入れられた新聞を取りに行くのである。

 リビングでざっと目を通された新聞紙は、そのまま雑然とテーブルの上に置かれている。
 私は、時間ぎりぎりに起きるので、とても新聞を読んでいる時間がない。
 テレビのニュースをつけ、置かれた新聞を横目で見ながら、台所へ直行する。
 お味噌汁を作り、卵焼きを作り、お弁当を作る。朝の忙しい時間帯は、座って何かをする暇がないのである。
 ばたばたちょこちょこ動き回っている私の後ろを、主人は用もないのに(?)行ったり来たりしている。

 「じゃまよ、じゃまよ。」
 「じゃま、じゃま。」

 オウム返しに言いながら、彼は、何やかやとやっているのだけれど、こちらは彼が何をしているのか見る
 余裕もない。
 とにかく、気がつくと、いつのまにか食卓に座っていて、朝食をとるのである。
 ほんの数分の朝食時間・・・。
 私が後片付けをしている間、彼はソファに座ってテレビを見ながら、新聞に目を通しているようである。
 (これも、数分。)

 「行くよー。」

 声がしたときは、もう彼は玄関だ。急いで見送りに出る。

 「いってらっしゃい。」
 「じゃ。」
 「気をつけて・・・。」

 忙しいったらない。

 リビングに戻ると、また雑多に置かれた新聞が目に入る。
 広告の束が、無造作にソファの上に散らばっている。
 急がなくちゃ。
 洗濯機で洗い終わった衣類を干し、ゴミを捨てに出かける。
 そうこうすると、もう出勤の時間なのである。
 テーブルの上の新聞を片づけながら、1面トップの表題だけ眺める。

 『東証、一時7000円割れ』(2008.10.29?の新聞)

 大変だ、どうなるんだろ。
 1秒間の新聞タイムである。
 折りたたんだ新聞紙と広告をテーブルの上に重ねる。

 「行こ。」
 「うん。」

 娘とばたばたしながら玄関に急ぐ。

 車に乗り込むと、やっと十数分程、座ることができるのである。

 「株価、大変見たいよー。」
 「ふうん。」

 しっかり中身を読んでいないので、なかなかきちんとした会話にならない。
 そんな朝が、毎日続いている。

 「新聞、もう止めたら。」と、しょっちゅう主人は言っている。
 「うーん。」と、煮え切らない私。
 「ほとんど読まないんだから、意味ないじゃん。」
 「うーん。」
 「もったいないでしょ、新聞代。」
 「うーん。」

 こんな会話を、一体どれだけ繰り返しただろう。
 私が思いきれないから、なんとなく、ずーっと新聞を止められないでいるのである。
 
 確かに月3000円を超す新聞代はばかにならない。
 ニュースだってテレビ欄だって、パソコンを使えばある訳だし、もったいないといえばもったいないのである。
 ・・・。

 いったい私は何にこだわっているのだろう。


 我が家では、つい数年前まで、新聞を2紙取っていた。
 全国紙と地方紙の二つである。
 その頃は、まだ時間の余裕があったのか、新聞を「読んで」いた記憶がある。
 
 しかし、テレビのニュースをはしごしたり、パソコンで情報を仕入れたりする時間で、徐々に新聞は
 「ちらっと見る」程度にまで存在が薄くなってしまった。
 2紙はあまりにもったいない。
 地方紙の情報が共同通信の記事が多くてほとんど全国紙と同じになってしまったこともあって、とうとう
 全国紙1紙に減らしたのである。

 ただ、「新聞を取らない生活」が、私には、どう想像してもしっくりこない。
 毎日送られてくる「活字メディア」が捨てきれないのである。
 活字の持つ安心感、としかいいようがない。
 テレビで流れるように報道される内容が、活字になると、ゆっくり考えられるではないか。
 週刊誌ほどのタイムラグもなく、結構丁寧な内容もある。
 そして、ほんの時々ではあるけれど、じっくり読む記事(これも単発なのだけれど)があって、その面白さが
 捨てがたいというのも事実なのである。


 しかし、今のような付き合い方を続けるのだとしたら、とても割に合うとは思えない。
 どう見ても、我が家では読む量が少なすぎる。

 ・・・やっぱり、無駄なのかなぁ。

 現在、新聞は朝「ちらっ」と見られ、そして後は裏返しにされて、テレビ欄だけがその日の役に立っている
 だけである。
 毎日、ほとんど読まれないままビニール袋の中に積み重なっていき、あっという間に溜まってしまう。
 せっせと「使われる」のは、油ものを揚げる時の受け紙と主人がお魚を獲ってきた時の解体調理の下敷き、
 ゴミ出しの時の目隠し。
 そして、髪を切る時の髪受け、である。

 可哀そうな新聞紙。

 役には立っているんだけど、確かに、本来の新聞の役割ではない。
 目も通されないまま紙ゴミになっていく新聞紙は、資源の無駄遣いなのである。


 わかっているのである。
 わかっているけれども。
 それでも、それでも、新聞は横に置いておきたい。