もうずい分前になるけれど、インドネシア・イスラム圏の女の子が我が家にホームステイしたことがある。
妹がJRC(青少年赤十字)の活動をしていたので、その関係での訪問だった。
ほんの2日ほどの滞在だったが、異国の人が家にやってくる、というので皆ワクワクしてその子を待った。
会のほうからは、事前にやたらとたくさんの注意があったことを思い出す。
特に彼女がイスラム教を信奉しているというので、「やってはいけないこと」「やらなければならないこと」
があったからである。
遠い昔のことなので、全部は覚えていないけれど、いくつかは忘れず記憶に残っている。
1日に5回メッカ(聖地)に向かってお祈りをするので場所を確保すること。
1日に1回は水浴び(お風呂)を用意すること。
英語しか話せないので、会話は英語ですること。
左手は不浄の手なので使えないこと。
豚は食べられないので、肉は鶏肉にすること。
・・・
私たちにとっては、なんとも不思議な注文だった。
異国の異宗教の人の暮らしって一体どんなものなんだろう。
やって来た子は、まるでお人形さんのような女の子だった。
名前はすっかり忘れてしまって、どうにも思い出せない。ほっそり、すらりとした手足。
カールしたふわふわの髪と彫の深い美しい顔立ち。
目は二重まぶたで大きくぱっちりしている。
漆黒の瞳とつんと上を向いた鼻が眩しい。
インドネシアの人など、私は写真でしか見たことが無い。
ああ、そういえばこんな人が載った観光案内があったっけ、と思い出した。
その彼女は、たった2日の滞在なのに大きな大きなトランクを抱えてやってきた。
片言の単語を並べるような英語で、身振り手振りを加えながら、やっとのことで会話をする。
辞書を片手の会話はなんともぎこちなかったが、数時間も話すと、おおよそのことが分かってきた。
彼女は、とにかく大金持ちのお嬢さんらしかった。
お父さんはバナナのプランテーションの経営者なのだという。
彼女は勉強をして銀行員になると言った。(後で聞いたら、どうも政府の高官の仕事らしかった。)
格段に違う生活環境に、彼女はかなり驚いたようだった。
家の天井の低さにもびっくりしたようである。
日本の家屋は初めてなのか、おそるおそる入ってきて天井を見上げた彼女の目が忘れられない。
私の家は寺なのでだだっ広くはあるが、生活は中流。
決して裕福な家ではなかったので、それも彼女にとっては驚きだったのかもしれない。
さて、かの大きなトランクの中はというと、何枚もの着替えでいっぱいだった。
歳は多分当時高校生くらいだったと思う。
だが、バッチリお化粧をして(その当時、お化粧をする高校生なんてこちらにはいなかった)、
大きなエキゾチックなイアリングをつけて現れた彼女に、私たちは逆にびっくりした。
そんな中でも、一番私たちに奇異に映ったのは、彼女の宗教的な振る舞いだった。
来て早々、彼女は方位磁石を取り出した。
何をするのかと思ったら、イスラムのメッカの方向を調べるのだという。
マットをトランクから引っ張り出した彼女はそれを畳の上に敷いて、アッラーの神様に向かってお祈りをした。
朝は彼女がお風呂に入るというので、いつもの通り湯舟にお湯を張って勧めると、お湯をかぶったのか、
残り湯がそこ10センチほど残っている。
お風呂も入り方が違うんだねぇ、と母が言った。
お料理にはたいそう気を使って、母はお肉の入らない天ぷら料理を準備した。
「パンじゃなくてご飯でいいのかしらん」「お箸はだしていいかなぁ」・・・
ぶつぶつとつぶやきながら、それでも日本食が食卓に並べられた。
会話で笑いが起こると、皆一様に本当にほっとした顔をする。
彼女も笑顔ではあったが、内心それぞれが不安を抱えていて、なんだかとても疲れる食事になってしまった。
一方で、彼女がどうやって食事をするのか、すごく気になってついつい手元を眺めてしまう。
フォークもナイフも並べてあったのだけれど、彼女はお箸を上手に使った。
左手を見ると、ご飯茶碗が乗っている。
ただ手の上にはきれいに折りたたんだ真っ白なハンカチが添えられて・・・。
そうか、やっぱり左手は直接使わないんだなぁ、と妙に納得してしまった。
左手にお茶碗を持ち、右手に握られたお箸でご飯を口に運ぶ。
この当たり前の動作が、なんとも新鮮に思えた。
天ぷらは彼女の口にも合ったらしく、美味しそうに食べてくれたことに、母は安堵の色を隠さなかった。
夜は、プレゼントした浴衣に着替えた彼女と花火をして遊んだ。
fireworksという単語がどうしても出てこない。
とっさにflower fireと直訳したら、すぐにわかってくれた。
向こうでもflower fireで通じるのかしら。
相当いい加減である。
細くよられた線香花火の先からはじけ飛ぶ金色の光がそれぞれの緊張を和らげた。
最後、赤いくすんだ火の玉がぽとりと落ちた途端、皆で「おぉー」とため息をつく。
妙にシンクロしたため息に、また皆が笑った。
なあんだ、おんなじところで声って出るんだ。(当たり前だ・・・)
夜は更け、お座敷に敷かれた和布団に案内した。
蚊取り線香の煙の漂う中で、彼女はうまく眠れたのだろうか・・・。
1泊の滞在はあっという間に過ぎ、次の日の朝には、彼女は我が家を後にした。
「ありがとう。さようなら。」と彼女は笑顔を浮かべ、日本語で挨拶をした。
不思議な女の子だった。
しかし、逆に言えば、彼女だって私たちを不思議の国の人だと認識したに違いない。
深い湯舟に溜まったお湯を見て、彼女はどう思ったのだろう。
イスラム教なのに仏教のお寺に滞在するって、不思議だったろうな。
この国の人たちは不浄な豚肉を食べるって、とても理解できない。
左手を平気で使うなんて、どういうこと?
アッラーの神様を知らないなんて想像できない。
・・・
なんて思ったのではないかな。
思い返すと、まだまだ若く不安でいっぱいの年頃に1人でよその国の人の家に泊まるなんて大変なことだった
のだろうと思う。
だが、異文化の人でもわかろうという気持ちさえあれば、なんとかコミュニケーションも取れるし、相手の
思いも伝わるものだ。
文化の違いを超えることは難しいけれど、きっと、こんな小さな出会いから糸口は見つけ出すことができる
のだろう、と思う。
どっぷり日本の生活に慣れ親しんでいる私たちにとって、異国の人の訪問は思いもかけず、自分の文化を
見直すきっかけになった。
海外からずい分多くの人たちが日本を訪れるようになった。
これから、どんな人とでも偏見無く接することの出来る柔軟さを持てたら、どんなにいいだろう。