私は、生まれてこのかた人からたたかれた、人をたたいたという経験がない。
この話を人にすると、「えっ」と驚かれことが多い。
また、時にはそんな筈はないと信じてもらえないこともある。
しかし、いくら記憶をたどっても、ない。
記憶には残っていないが、母から聞かされた話がある。
幼い頃、言っても聞かず駄々をこねる私を「ここに入ってなさい」と押入れに閉じ込めた。
泣きわめく声を聞いた父が、その時母を叱ったのだそうだ。
「話せば分かるのに、なぜ押入れに入れるのだ」と。
母は、決して感情的に子どもたちを怒ることはなかったように思う。
だから、押入れに入れたのもしつけであって、決して体罰という認識はなかった。
ともかく、体罰(しつけ)はこれ一回で終わりになり、後は言って聞かせるしかなくなってしまった、
と母は言う。
悪いことをしたとき、ぺチンとたたくほうが子どもには直接的でわかり易いこともあるのではないか。
母としては、この何でも理詰めで説得するというやり方に異論を持っていたようだが、私たちはこの両親の
元でたたかれることなく育った。
父は終戦後、シベリア抑留から復員した。
文部省に行くのをやめて地元に戻り、県立定時制高校の教員の道へと進む。
結婚し三人娘をもうけたが、長女の私が小学校に入るまでは昼間ずっと家にいて子育て生活を続けた。
子どもの教育には一家言を持っていて、父の理想の子育ての実験台となったのが私たちである。
両親は「その当時」の模範的な父と母だった。
母は常に父を立て、話すときはいつも敬語を使う。良妻賢母という言葉が浸透していた時代だ。
怒らないが強い父と優しい母。
しかし、子ども心に父は時に怖い存在でもあった。
それは、母が「パパは、怒ると怖いよ」と言い続けたからかもしれない。
怒ると怖いという父の幻影に恐怖した私たちはひたすらいい子を演じた。
思うに、体罰はなかったが「悪いことはしちゃいけない」「嘘ついちゃいけない」「思いやりを持て」・・・
というメッセージは嫌というほど伝わってきていて、足かせをかけられたように私たちは品行方正な
真面目でお行儀の良い子どもに育った。
親自身もずい分窮屈な生活だったのではないかと考えるが、ある意味「型どおり」の生活は生真面目な
父母にとって楽だったのかもしれない。
しかし、型にはまった子育ての結果生まれたのは型にはまった子どもだった。
先生達にも受けが良く、というより、扱いやすい子どもだったと思う。
ただそれは、「絵に描いたような」子どもという意味も含めてのことである。
今だったら、いじめの対象になっていたかもしれないが、当時、真面目なことは評価されこそすれ、
異端視されることはまずなかった。
小学校6年の時の担任の先生からは「あなたは、個性がないのが個性だね」と言われ、子ども心にひどく
悩んだことを思い出す。
考えると適確な表現だったのかもしれない。
しかし、この個性のない私が個性的な私に変化しようと、青年期を通してひたすら思い続けたのも嘘ではない。
ただそこには、「たたく私」や「怖い私」や「いじわるな私」は選択肢として存在しなかった。
先生とタメ口で話す友達がうらやましかったが、到底できない。フレンドリーな学生は私には似合わない。
先生には敬語だ。
先生はオトナであって、私たちと横並びではないのだ。
しかし、怒る先生やたたく先生はやたらと多く、とても尊敬できるとは思えなかった。
中学の時である。
美術の自習時間に学生が席を立ったりざわついたりしたと問題になった。
それを知った担任の先生は、ホームルームの時間に私たちを叱責した。
「自習時間に静かに出来ないとは何事だ。騒いだ人は前に出なさい。」
先生の言葉は思いのほか迫力があり、うつむいて聞いていた学生は次々に教卓の前に進み出た。
往復ビンタの音が続く。
バシッ、バシッ、バシッ、・・・。
私は怖さのあまり、手に汗を握りながらうつむき続けた。
「私は騒いでない。話もしてない。課題に真面目に取り組んだ。」心の中でつぶやき続けた。
「あの時間、皆そんなに騒いでいたっけ。皆じゃなかったよね。」
ビンタの音はやまない。
席を立つ生徒の音も途絶えることがない。
恐る恐る教室を見回すと席に座っているのは、私を含めて2,3人しかいなかった。
どう考えても、学生は席を立ちすぎである。
ビンタをたたかれるほどの行為をした学生は絶対にこれ程はいない。
それなのに、なぜつられるように席を立つの、みんな。先生は続けた。
「お前たちも痛いかもしれないが、私はもっと痛い。手が痛い以上に、心が痛い。」
だったら、打たなければいいのに。
音の恐怖というものがあることを、このとき初めて実感した。
たたき、たたかれる音は恐怖である。
先生もたたかれた学生もほおを赤く染めていたが、あれほどの怒りは後に何か役に立ったのだろうか。
怒りは怒りを呼ぶ。
軽微な怒りも、声を荒げ人をたたくうちにエスカレートする。
音を聞きながら、哀しくなった。
一方で、席を立たなかった自分は正しかったのだろうか、私もしゃべっていたのに(しゃべっていないけれど)
立たない・たたかれないなんて卑怯じゃないか、と友達は思うんじゃないか、たたかれることがただ怖い
だけなんじゃないか、とか私自身の思いも錯綜し混乱する。
たたくことを恐怖する子どもがいることを、教師は認識しているのだろうか。
恐怖の時間は過ぎ、また何事もない日常に戻った。
しかし、怒られる恐怖から、私自身ますますいい子になり、生真面目な毎日を過ごした。
その後、私は大学を卒業し教職に就くことになった。
女子高校の非常勤だったが、職員室でさまざまな先生たちと出会うことになる。
ある体育の授業中ガムを噛んでいた子がいた。
体育の教師はそれに激怒し、彼女を職員室に呼びつけた。
私の真後ろで教師が怒鳴っている。
「お前はガムを噛んで、そんなこと許されると思ってるのか」
声はだんだん大きく、内容も過激になる。
教師は自分の言葉に怒りを倍増させ、しまいには
「きさま、俺をバカにしてるのか」という言葉とともに往復ビンタが始まった。
後を振り向けないまま硬直した私は、耳はダンボで後ろ向き、ビンタの数を数え始めた。
・・・21発だった。
彼女は21発目に横の椅子を引き倒し床に倒れこんだ。
倒れちゃったよ、どうするの。
ゆっくり起き上がった彼女は、教師に向かって深々と頭を下げた。
「ありがとうございました!!」
・・・たかが、ガム1枚でビンタ21発。
割に合わない。
しかも、何で御礼を言わなくちゃいけないのだろう。
しかし、この後教師の怒りはストンと収まり、「よし」という言葉とともに事は終わった。
彼女はある意味オトナで、こんな場合の収め方を熟知していたのかもしれないと思う。
あそこで反抗していたら、もっとたたかれ罵声を浴びていたことだろう。
それにしても、皆何故あんなに怒るのだろう。
怒鳴ったり、たたいたりしなければメッセージは伝わらないとでも思っているのだろうか。
振り返ってみて、自分自身に「怒り」の感情がひどく欠落していることに気付き愕然としたことがある。
皆が「怒る」とき、私は哀しくて涙が出てくる。
人がいなければ「えーん」と声を上げて泣きたくなる(もちろん泣かないけれど)。
声を発しようとすると喉の奥が詰まって肩が震える。
だから、怒れない。
子どもを叱ったことはあるにはあるが、叱った後の気まずさを考えると、叱るのも嫌である。
私も結婚し3人の子ができた。
すでに3人とも成人したが、家でたたかれたことはない。
皆、穏やかで優しい子に育ったが、外とのギャップに悩まされたこともある。
上の娘は小学校で初めてビンタの洗礼を受けた。
今日はほっぺたをたたかれた、と報告を受けた時、なんで親もたたかないのにたたくの、と内心穏やかで
なかったことを思い出す。
「何でたたかれたの?」と聞くと、レンタイセキニンという言葉が返ってきた。
体育の時間にきれいに並べなかったから、班の人みんながたたかれたんだよ、という。
そんなことで人をたたくのかと呆れたが、子どもには何も言えなかった。
しかし、私が体罰に嫌悪感を持っていることは伝わるらしく、たたかれるたびに報告するようになった。
牛乳瓶のふたの後始末をしてたのに、何してるんだっていきなりたたかれた。
教室に行ったらね、みんなの椅子がなかった。先生が隠したんだけど、何でなのかわかんない。
・・・
免疫なく育ててしまったことに対する責任を感じなくもないが、子どもには「たたく」「怒る」不条理を
知って欲しい。
たたかれたり怒られたりしなくても、悪いことをしたらだめだというメッセージが確実に伝わる子も育つ
のである。
子どもがいけないことをした時、私は抱きしめた。
耳元で「そんなこと、しないのよ」とゆっくりささやく。
それで通じるのだ。
必要以上の罰はいらない。
いやいや、たたかないとわからないこともある。
愛情があれば、たたいても問題ない。
愛情があるからこそ手が出るのだ。たたいてナンボよ。等々。
異論があることももちろん承知しているが、世の中には様々な価値観があり考え方がある。
たたくのがイヤ、怖い、と恐怖している人の事も忘れないで欲しい。
テレビでアントニオ・猪木さんが気合を入れるといってビンタしている。
こわい。
望んでたたかれる人の気が知れないが、嬉しそうだ。だけど、私だけは叩かないでね。