今日はいつも以上に勉強に対して辛口のコメントをしようと思います。
今日、僕の大学では薬学部6年生のガイダンスがありました。
そのときに99回の薬剤師国家試験の結果を踏まえ、穏やかで優しい口調でユーモアを交えながらも、教務課長の先生は、確かに「勉強をしっかりやってくれよ。頼むから。」的な想いを込めて、新6年生の前でお話をしました。
薬学部の教職員の立場からすると当然の発言であり、また、人間味のある対応であったと思いました。
しかし、僕は、教職員ではないからなのでしょうが、まったく違う意見を持っています。
勉強は贅沢なことであり、ある意味では貴族の遊びのようなものである。
ゆえに、勉強をするもしないも各人の勝手である。
薬学生の場合、勉強をしなければ、まず薬剤師国家試験には受からないでしょう。
しかし、たとえそうであったとしても、勉強するかしないかは各人の勝手なのです。
なぜなら、勉強は贅沢なことだから。
そもそも、薬学の勉強は小中の義務教育の内容と違い、誰もが学ぶ必要はなく、また、誰もがわかっている必要もありません。
だからこそ、繰り返しになりますが、贅沢なことなのです。
そもそも義務教育ではないのだから、やるもやらないも各人の自由です。
やるかやらないかは各人は自ら選択することです。
こう話すと、非常に冷たい、冷酷で、人間味のないことのようですが、義務教育ではないのですから、学ぶ義務はないはずですよ。
逆にいうと、こういって冷たく突き放したときに、「本当に薬剤師になりたいのか、薬学の勉強や研究をしたいのか」がわかると思うのです。
実務実習を通して感じたことは、やる気がないらな薬剤師なんかにならない方が「患者さんやそのご家族の為になる」ということです。
国は、国民の健康な生活の確保の為に薬剤師を求めているのであって、その義務(使命)を背負う決意のない人など求めていないはずです。
そもそも、自らを自らで奮い立たせられない人が、国民の健康や生活の確保をできるのか。
薬剤師は国民のためにあるのであって、就職する道具や金を稼ぐ手段にはないはずです。(入学時の動機などは過去の話、今どう思っているのかだけが重要なのです。)
そこを履き違えるのならば、もはや日本の薬学教育はおしまいですよ。(臨床の問題を真摯に受け止め、医療人としてまた研究者として何ができるのかを考えるなかに医療の進歩はあるのだから。)
こういう気持ちで、国家試験の勉強に向かってください。
勉強する以前に、薬剤師の存在意義を心に刻みなさい。
心に刻むまでは、机に向かわなくてもよろしい。