「がんになんて負けたくない」 -6ページ目

 「がんになんて負けたくない」

2009年10月に左肺切除手術後、1年3ヵ月で再発。
イレッサを3年6ヶ月、タルセバで12か月治療したものの、 
多発脳転移・右肺転移・左副腎転移が明らかに。
闘病も8年目に入り、抗がん剤の治療を開始。まだまだ癌との共存が続きます。

前回のブログには、たくさんのコメントを頂いて、皆様の優しさに泣きました。
ありがとうございました。

呼吸器外科医師の言葉に落胆しながらも、抗がん剤治療をし、次の日は白血球を上げるジーラスタを注射しました。
なので、ここ1週間は、抗がん剤副作用の嘔気と、ジーラスタの副作用の関節痛や背部痛・腰痛でしんどい毎日でした。

体調最悪な中だけど、今週始めに、放射線科を受診しました。主人と娘が一緒に行ってくれました。

いつから全脳照射するか…その話だけだと思っていました。
心はボロボロで、しっかり話を聞こう…なんて気持ちになれませんでした。

放射線科の先生は、脳転移の経過を辿ってまとめたレポートを用意していてくれました。
私の脳転移は、2014年からです。
レポートの説明を時系列で辿ると、
検査結果と治療経過を併せて見て、コントロールできていた今年3月以降、9月までの間に増大しているということでした。
その原因として、左副腎に放射線治療をしている間に、抗がん剤治療を中止していたことで、脳転移が多発増大したと思うという、内容のレポートでした。

なので、抗がん剤が脳転移に効果があって、もしかしたら、再開した抗がん剤が効いて、もう一度、脳転移が縮小もしくは変化なしという結果が得られるかもしれない。
今回やった抗がん剤の効果を見るために、来月、もう一度MRIをやって、その結果で、全脳照射をするか決めていいのでは…という話をしていただきました。

呼吸器外科の先生は、今回のMRIの結果のみで、全脳照射だと。もう終わりだと。
その言葉で、私がどんなに動揺したか、ブログを読んで頂いたたくさんの方には、わかってもらえると思います。
でも、放射線科の先生の話を聞きながら、胸の奥の重たい塊が、すーっと消えていきました。

来月のMRIの検査結果で、やっぱり全脳照射になったとしても、納得してやれると思います。
放射線科の先生は、呼吸器外科からの全脳照射の依頼を受けるだけでなく、治療経過を見ながら、抗がん剤の効果の可能性をみてくれました。例え、やっぱり全脳照射になったとしても、少しでも、違う選択肢を考えてくれたことが、私の心を救ってくれました。


MRIの結果は、普通、1週間くらいかかりますが、その日、放射線科の先生が見ながら説明してくれることになりました。
体調良くないのに、何度も来なくていいように配慮してくれたみたいです。


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昨日の受診。
頭部MRIの結果、脳転移は悪化していました。
覚悟はしていたけれど、全脳照射になるようです。
抗がん剤は予定通り、やってきました。

呼吸器外科の主治医とは、なかなかコミュニケーションをとるのが、難しいです。
私は告知を受けて、来月8年目になります。主治医は、今回の脳転移悪化を、
「長いからね~………」と。
長いから、何?
何を言いたいの?

要するに、
長いから、覚悟してたでしょ?
長いから、もういいでしょ?
長いから、こうなるのは当たり前でしょ?
…こんなニュアンスを含ませて、話をされました。(もう、ここで涙目になりました)

ポートから針を刺してくれた若い呼吸器外科の医師は、
「全脳照射までいくと、後は終わりですね。好きな事をしたり、行きたい所に行ったりして下さい」と。

全脳照射は、もう終わりなの?
治るとは思ってないけど、何も希望はないの?
全脳照射をされた方、いらっしゃると思うけれど、皆さん、こんな思いをされたの?

昨日から今日。
8年目になる私だけど、泣けて泣けて仕方なくて。
私が弱すぎるのかな…


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