景数 | 95景 |
題名 | 鴻の台とね川風景 |
改印 | 安政3年5月 |
落款 | 廣童画 |
描かれた日(推定) | 安政3年3月 |
今にも崖が川側に崩れそうな崖は、鴻の台と呼ばれた台地で、江戸近郊にある名所の1つであった。
鴻の台は国府台とも書かれ、奈良時代には中央官庁の出先機関である国府が置かれたことから名づけられた。要害の地として滝沢馬琴の南総里見八犬伝の発端となる里見氏が居城をかまえていた。
広重は絵本江戸土産で同じ構図で描い絵いる。しかし崖の形が異なっていて、絵本江戸土産の方が緩やかになっている。百景の方は今にも崩れ落ちそうなくらい湾曲している。地質学的にもこのような地形はありえず、広重がデフォルメしたと考えられる。
最後にこの絵が描かれた日の推測をしてみよう。高橋誠一郎コレクションでは、高台の木はピンクになっており、桜のようだ。また全体的に緑が多い。縦絵東海道も緑が多いが、安政2,3年の広重の特徴である。鴻の台は国府台とも書かれ、奈良時代には中央官庁の出先機関である国府が置かれたことから名づけられた。要害の地として滝沢馬琴の南総里見八犬伝の発端となる里見氏が居城をかまえていた。
広重は絵本江戸土産で同じ構図で描い絵いる。しかし崖の形が異なっていて、絵本江戸土産の方が緩やかになっている。百景の方は今にも崩れ落ちそうなくらい湾曲している。地質学的にもこのような地形はありえず、広重がデフォルメしたと考えられる。
このような理由から安政地震後に描いたとすると、安政3年3月頃に描かれた絵と考えられる。
この記事で参考にした本
江戸文学地名辞典
広重の大江戸名所百景散歩―江戸切絵図で歩く (古地図ライブラリー (3))
広重 名所江戸百景
絵本江戸土産