景数 | 71景 |
題名 | 利根川ばらばらまつ |
改印 | 安政3年8月 |
落款 | 廣重筆 |
描かれた日(推定) | 嘉永3年 |
![$広重アナリーゼ~名所江戸百景の描かれた日~-利根川ばらばらまつ](https://stat.ameba.jp/user_images/20120922/16/cofdm/3f/ed/j/t02200333_0248037512200455020.jpg?caw=800)
この絵は百景のなかで唯一、画題から場所を具体的に特定することができない。そのため、ばらばら松がどこなのか、古くから議論の対象となっていた。
まず「利根川」であるが、利根川とは広義に付け替え前を含んだ呼び名である。現在の中川や江戸川(千葉県と埼玉県、東京都の県境を流れる川)を古くは利根川と呼び、現在の利根川は、江戸時代に権現堂と関宿で付け替えが行われた後の呼び方である。
そのためばらばら松の場所は、現在の利根川ではなく、江戸川か、中川と考えられていた。
諸説あるなか、自分としてはばらばら松の場所は、現在の中川河口付近であったと推定している。
理由として、「続江戸鹿子」に「ばらばら松 中川 一り半 川はばおよそ80間あまり。船わたし。当所鱚の名物」という記述がある。中川から約6km(一里半)、川幅が144m余り(80間)と広く、鱚が名物とあることから、かなり河口に近いことがわかる。また「続江戸鹿子」の記述の順が、ばらばら松の前が小名木川五本松、後が亀戸六阿弥陀、請地、葛西の千貫の松となっていることから、江戸川より手前にあると推測される。
あまり参考にならないが、
空と海ひったりつきの中川の、ばらばら松にたつ千鳥かな (赤良)
と、赤良つまり大田南畝も狂歌で詠んでいる。
一方で江戸川河口付近だったする説もある。浮世絵研究家として知られる宮尾しげを氏が古老から江戸川河口付近で同じ景色を見たという証言があり、実際に現在の浦安あたりの古写真が残っている。
他にこの絵に描かれているものを見てみよう。一番目につくのが投網で、投網が投げられた瞬間を描き、さらに背後の舟が透けて見えるという斬新な構図である。彫氏の技量が試される透けた網を描くのは、人物では蚊帳に入った構図をよく見かけるが、風景画では珍しい。
網で取っている魚は・・わからないですね。堀晃明氏は白魚としている。分析も鋭く、通常白魚は四つ手網で捕るが、中川河口では投網が許されているためとしている。ただ、葦が青々としていて夏の風景であり、白魚が河口でとれたかどうか疑問である。
空には鷺が描かれているが、これは小鷺である。日本には鷺が数種類いて、飛ぶときに首を「つ」の字に曲げて飛ぶ姿は、どの鷺にも見られるが、冠羽をもつのは小鷺だけある。
さて記事の最後に、いつものようにこの絵が描かれた日の推測をするのだが、70景「中川口」に続き、江戸の郊外を描いた絵は、安政地震の痕跡もなく、特定は難しい。
この絵の改印は安政3年であるが、これよりも前に出版された「絵本江戸土産」で「ばらばら松」を描いた絵がある。その中で
「ここは魚の多く在りとて春の末より秋に至り網舟釣舟日毎に絶えず諸人遊楽の地というべし」
とあり、広重はこの絵をモチーフに、網舟を描き加えて、インパクトを出したのだろう。 今回は、「絵本江戸土産」が描かれた嘉永3年を描かれた日とする。
参考文献
広重の大江戸名所百景散歩―江戸切絵図で歩く (古地図ライブラリー (3))
新版 江戸水の生活誌―利根川・荒川・多摩川
江戸名所花暦
今とむかし広重名所江戸百景帖
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