| 景数 | 40景 |
| 題名 | せき口上水端はせを庵椿やま |
| 改印 | 安政4年4月 |
| 落款 | 廣重画 |
| 描かれた日(推定) | 安政4年2月後半 |

この絵の題名は多くの言葉が含まれている。全て説明できる人はなかなかの江戸ツウである。
関口とはこの辺りの地名であるが、関は堰を意味する。上水は神田上水のことで、この絵にある水路がそれにあたる。神田上水は家康入府後、最初に設けられた上水で、水源を井の頭池に持つ。井の頭池は87景「井の頭の池弁天の社」に描かれているので解説はその時に。もう少し下流には取水堰があり、ここから江戸に供給する水と余水を神田堀に流す分岐があった。
「はせを庵」はバショウアンと読み、その昔、松尾芭蕉が若かりし頃、この上水の工事に従事したときにこの辺りに住んでいた。後に芭蕉の弟子が庵を造り、やがて芭蕉庵と呼ばれるようになった。現在でも同じ場所に芭蕉庵と称する庵が残っている。そこには芭蕉つまりバナナが植わっているが、この絵には見えないので、後世の人がしゃれで植えたのであろう。
椿山は、この辺りに椿ば群生していたことから呼ばれ、安政4年には上総久留里藩黒田豊前守の下屋敷があり、大名の庭園として整備されてきた。後に山縣有朋が買い取ったことから、一帯がそのまま保存され、現在は日本有数の結婚式場の庭園となっている。
絵本江戸土産7編には、この絵と同一の構図の絵が描かれている。7編は安政4年刊行なので、同時期に描かれたと考えてよい。その文は、「関口といふは、この書前の編に図したる井の頭の池より東都へひく上水の別れ口にて、一は上水に入り余水は江戸川へ落つる。本字堰口(せきくち)に作るべし。させる風景の地ならずといへども、水に望み、廣野こ望みてひたすら閑雅の地なるにより、俳諧者流この庵を作り会合して風流に遊ぷ」と、ここで書いてあることと同じ内容が書かれている。
江戸土産では釣り竿を持った人がいるが、上水では釣りが禁止なので、意味深な絵である。竿が短いので、上水ではなく近くの田んぼの水路で、当時はやったタナゴ釣りか。
絵をよく見ると、どちらの絵も上水が曲ねっている。切絵図など当時の地図を見てもこのように曲がりくねって記されていない。完全に人口的な水路ならば直線で掘り進めた方が、労力が少いのであるが、神田上水は今まであった川に手を入れて水路としたことが定説であり(江戸上水の歴史)、このような場所がなかったとは言い切れない。絵に奥行が出るようにした広重得意の構図なのか、実際にこのようになっていたか、史料を探していくと、1907年の「風俗画報」臨時増刊に、この絵とは逆方向から描かれた絵があり、同じように曲がりくねっているのである。結論として、神田上水の蛇行は廣重のデフォルメではなく、実際の風景だったことがわかった(この結論に至るまで、1年もかかってしまった・・)。
また江戸土産では橋があり、これは駒塚橋であるが、百景ではそれが省略されている。右に建物、左は解放という、絵画の理論でいう安定を意識した構図の採用など、江戸土産から比べると百景の構図が、洗練されているように思える。ほとんど同時期の絵であるが、おそらく百景が後に描かれたのだと推測できる。
芭蕉庵を描いていることから、芭蕉の俳句と何か掛けている可能性があることから、関連するような句をいくつか調べてみた。
堀晃明氏の「広重の大江戸名所百景散歩」では、芭蕉が近江の瀬田に似ているとして「五月雨に隠れぬものや瀬田の橋」を詠んだと指摘しているが、絵に雨の気配はない。
その他の句として、
茶水汲むおくまんだしや松の花
やぶ椿門は葎(むぐら)の若葉かな
松風の落葉か水の音涼し
おくまんだし→熊野神社(お熊ん様と呼ばれた)にあった深い淵のこと
葎→この場合は、雑草のこと
どれもピンとくるものはなく、広重は芭蕉の句を判じて描いてない、というのが筆者の結論である。
さて最後にこの絵の描かれた日の推測であるが、山の中腹に何か花の咲いた木があるが、どうも桜のようには見えない。筆者にはツツジのように見えるが、人々の服装が真冬の格好であり合わない。ちょっと花の密集度が高いが椿山だけに椿を描いたのではないか。
36景「真崎辺より水神の森内川関屋の里を見る図」でも説明したが、椿は江戸時代に流行して種類も多いため、開花時期を予測するのはかなり難しい。「江戸名所花暦」にも、梅と桜の間に解説があるが、開花時期が明記されていない。
36景「真崎辺より水神の森内川関屋の里を見る図」では、梅と椿が両方描かれていることや、人々の服装がかなり寒い時期ということなどから、2月までの寒い日を描いていることになる。また絵本江戸土産があるので刊行や、改印直前の安政4年の作であることが有力である。
斎藤月岑日記によると安政4年の1月25日から2月前半は大雪が多く、2月前半ならば雪が残ってしまい、このような絵にはならない。その後天気は回復し、暖かい日があったようだ。
このことから、安政4年2月後半の絵とするのが有力である。
この記事で参考にした本
広重の大江戸名所百景散歩―江戸切絵図で歩く (古地図ライブラリー (3))
芭蕉名句集 (日本古典文庫)
江戸名所花暦
江戸上水道の歴史
図説 江戸・東京の川と水辺の事典
斎藤月岑日記6
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