| 景数 | 34景 |
| 題名 | 真乳山山谷堀夜景 |
| 改印 | 安政4年8月 |
| 落款 | 廣重畫 |
| 描かれた日(推定) | 安政4年7月9か10日 |

前回に引き続き真乳山山谷堀夜景の解説をする。今回は、対岸と星空に目を向けてみよう。
対岸の小高くなっているところは、真乳山で真土山とも書く。江戸の初期はもっと高い山であったが、江戸を洪水から守るために造られた日本堤のために削られて低くなったとされる。その山の頂には、聖天宮があった。この聖天宮も安政地震では「聖天宮類焼(武江地動之記)」とあり、焼けてしまった。
川面にはかなり多くの舟がある。これらはみな吉原に向うものである。前回も書いたが今戸橋までは舟で乗りつけられるので、宵の口になると商家の旦那などはここまで舟でくる。舟や駕籠は現在のタクシーのような便利な乗り物であったが、酒代が高いため庶民は利用しない。また藩士は門限があり夜は必ず帰らなければならなかった。よってこれらの舟には裕福な商家の旦那がほとんど、ということになる。
この辺りは洲がおおかった。この絵でもその辺は忠実に描かれている。
空には星があることからある程度の日時が推測できる。
この絵は春に分類されていて、水面の施されている雲母摺りは、満天の星が反射しているのを現わしているとも、散った桜が漂っているともとれる。女性の服装から衣替え前の季節であることは明らかであり、一応桜が散る季節としておこう。しかしいくら目を凝らして見ても、この絵の星空は春の星空と一致しない。いつも使ってるフリーの天体シミュレーションソフト「つるちゃんのプラネタリウム」で一致する季節を探してみた。
するとなんと夏の星空が近いことがわかった。女性の左上にあるのがさそり座、上側がへびつかい座、木の下あたりがうしかい座に似ている。女性の服装からして夏を描いたとは考えらえないが、改印が8月ということもあり、描いたのは夏でそのときの星空をそのまま写生したのだと考えられる。以前にも4景「永代橋佃しま」で同じような考察に行き着いたこともある。
それでは実際に描いたのはいつだったのか。この時代は夜は早く寝るもので宵の口だと考えられる。宵の口に西のそらにさそり座などが見えるのは、新暦で8月後半から9月にである。このあたりで晴れて、少し涼しい日を選んでみる。斎藤月岑日記によると、旧暦7月9日(新暦8月28日)は「後曇、夕方晴、冷気也。蚊少し」とあって、星空観察にはなかなかの日である。続く10日は「天気よし。冷気也。四万六千日」とある。この日の前後は雨だったり、蒸し暑かったり、蚊が多かったりで、ぱっとしない。
3回に渡って「真乳山山谷堀夜景」を解説したが、結論としてこの絵は、有田楼の広告目的で描かれ、桜が散る頃の春を想定して描かれたが、実際に描いた日は安政4年7月9日ころで、その日の夜空を写生した、ということになる。
この記事で参考にした本
日本庶民生活史料集成〈第7巻〉飢饉・悪疫 (1970年)
広重 名所江戸百景
和洋暦換算事典
斎藤月岑日記 6
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