| 景数 | 34景 |
| 題名 | 真乳山山谷堀夜景 |
| 改印 | 安政4年8月 |
| 落款 | 廣重畫 |
| 描かれた日(推定) | 安政4年7月9か10日 |

前回に続き真乳山山谷堀夜景の解説をする。
この絵でもっとも目立つのは、土手を歩く女性である。堀晃明氏の「広重の大江戸名所百景散歩」では、近くの料理屋平岩などで桜見物の客を相手にした帰りと推測しており、ヘンリー・スミス氏の「広重名所江戸百景」では、広重のひいきの小万だという話を否定して、襟うらと蹴出しに紅を使った芸者の風俗は、広重のひいきにしては野暮ったいと指摘している。
いずれにしても、猪首の女性は広重らしい描き方で、構図的になにかアクセントをつけたかったのだと思う。
ちょうどこの女性の歩いているあたりは、三囲鳥居があるところで墨堤では桜が最も密集して植えられている場所だった。広重は過去に隅田川対岸から山谷や真乳山を描いているが、そのときは三囲の鳥居を描くことが多いのに、百景では一回も三囲鳥居を描いていない。これはなぜだろうか。
この三囲稲荷の鳥居は、隅田川や山谷側から見ると鳥居の先が土手に突き刺さったように見えるため、江戸名所には恰好の場所であった。現在でも堤防に向かって鳥居が建てられており、江戸時代からの経緯をしらない人にとっては、不思議な場所である。
三囲稲荷も雨乞いで有名な稲荷であるが、その昔宝井其角が雨乞いの句を読んだところ、たちどころに雨が降ったとされ、知名度が一気にあがった。また土手に突き刺さったように見える鳥居は、代々信仰している三井越後屋が寄進したものであった。
しかし、その鳥居は安政地震では倒壊を免れたが、安政3年8月の台風で倒壊してしまった(安政風聞集)。
この絵を描いたときまでに復活しているかどうかわかっていない。この鳥居は三井越後屋の寄進によるものであるので(広重と浮世絵風景画)、三井文庫を調べれば、修理したのか、再び寄進したのかわかるのだが、残念ながら三井文庫で調べるには専門家でないとできないようだ。
過去にたくさん描いていた三囲鳥居を百景ではどうして描かなかったのか・・なぞのままである。
鳥居ではないが三越池袋店が閉店するとき、入口のライオン像は、三囲神社に寄進されている。
次回は、描かれた日に迫る。
この記事で参考にした本
新収日本地震史料〈第5巻 別巻2〉安政二年十月二日 (1985年)
実録・大江戸壊滅の日 (1982年)
広重と浮世絵風景画
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