| 景数 | 25景 |
| 題名 | 目黒元不二 |
| 改印 | 安政4年4月 |
| 落款 | 廣重画 |
| 描かれた日(推定) | 安政3年10月21日 |

この絵は、24景「目黒新富士」に続き、目黒の地にあった富士塚を描いたものである。この2つの目黒の富士塚は500mくらいしか離れていなかった。なぜ、近くに2つも富士塚があったかというと、基本的には講が異なるためである。元富士は伊右衛門という先達が願主となり近くの村の信者が築いたとされ、新富士は、北方探検で有名な旗本近藤重蔵の発意で麻布の富士講が築いた。ただ見栄や商売っ気もあったと想像できる。
絵本江戸土産で広重は、元富士を描いているが構図は明らかに異なる。百景では西の方角を描き、江戸土産では東の方角を描いている。さしたる距離のない2つの富士塚から眺める景色は同じようであるので、構図がかぶらないように工夫したと思われる。
それに対し百景では、新富士と元富士の構図がかぶらないようにいくつか工夫がされている。
1つは、富士山の配置を右側と左側で変化させている。また元富士の特徴である山腹の一本松を大きめに描いている。
さらに元富士では山裾の木々を紅葉にしている。、24景「目黒新富士」でも説明したが、この地は紅葉で有名なのである。ところが、掲載している絵では桜のように見える。
これは初摺では紅葉だったのに、途中から桜に摺りが変更されてしまったのだ。この指摘は浮世絵研究者の間では早い段階で指摘されていたことで比較的有名な話である。山裾の木は桜にしては小さく、枝ぶりがおかしい。初摺が紅葉に間違えたのではなく、後から意図的に桜に摺りなおされたと考えるのが自然である。ただ背景に広がる広野は青々としており、秋の憂愁を描いたものでもなさそうだ。真意を量りがたい。
最後にこの絵の描かれた日であるが、手がかりは紅葉だけとなる。日本には20種類ほどのモジミが自生するが、絵のモミジは人の手によって植えられたものである。樹高から考えるとイロハモミジであろう。
東都歳事記によると、目黒不動や行人坂のモミジは立冬から5、6日目から見ごろになるという。この絵では周囲の景色が青々していることから、立冬に近い日を想定して描いたと考えられる。24景「目黒新富士」でも述べたが、広重は目黒周辺を安政3年に行っていると思われるので、安政3年の立冬は10月10日、それより5、6日後で晴れ渡った日を調べるとこの辺りはずっと天気が悪く、11日後の10月21日に漸く晴れている。広重はこの日を想定して描いたと考えられる。
この記事で参考にした本
広重の大江戸名所百景散歩―江戸切絵図で歩く (古地図ライブラリー (3))
広重 名所江戸百景
日本名所図会全集〈〔6〕〉東海道名所図会・東都歳時記 (1975年)
和洋暦換算事典
斎藤月岑日記6
この記事は全てオリジナルです。許可なく他への引用は禁止です。
