| 景数 | 22景 |
| 題名 | 目黒千代が池 |
| 改印 | 安政3年7月 |
| 落款 | 廣重筆 |
| 描かれた日(推定) | 安政3年3月13日ころ |

この絵は絵本江戸土産7編に同じ構図の絵があるが、22景「広尾ふる川」で説明したようにこの絵の方が早く出版された。目黒といえば、目黒不動を描くのが定番であるが、広重は百景で目黒不動を描かなかった。代わりに24景「目黒新富士」、25景「目黒元不二」、84景「目黒爺々が茶屋」、111景「目黒太鼓橋夕日の岡」と安政4年4月改印で描いて、いずれも7編に同様の絵が描かれている。
しかしこの絵だけは同じ目黒を題するのに、安政3年7月の改印で早く出版された。この理由は7編の解説文にある。7編の千代が池の説明には、
「目黒 千代が池 この書前編に,千代が崎の其景を図したれど、紙中隘(せま)くて池に及ばす。ゆゑに今またその池の図を増補して出だすのみ」とある。前編とは江戸土産3編のことで、「千代ケ崎風景」という題で崖の方を描いていた。しかし紙面が狭く池の方まで描けなかったので心残りがあり、他より早く描いたと思われる。
千代が池とは、新田義興の妻千代が夫の戦死を落胆し、この崖から身を投じたことが由来とされる。絵を見るとこの崖からでは身投げできないが、3編にある千代ヶ崎から飛び降りたのだろう。この千代が崎は、江戸名所図会でも取り上げていて、江戸土産と構図が似ているのでそちらを掲載してみる。
さらに絵を見てみると、霞雲のかけ方に違和感がある。通常霞雲は、遠景で細かくなりすぎる風景をハショるためや、絵に描くことがタブーとされる幕府直轄の建造物に対して掛けられるのであるが、この絵にとっては必要のない場所である。この理由は江戸土産の方の絵を見てほしい。同じ位置に霞雲があるが、紙面が広い分、山と左の森に霞雲を掛けていたのである。百景では同じ構図を採ったために不要な位置に雲がきてしまったのである。従って、7編の出版は百景より遅いが、この絵に関しては7編の方が先に描かれたと考えられる。
もう一つ注目したいのは、池に写った木々の描写である。水に写った風景を描きいれるのは広重としてはめずらしく、百景の中では他に4景「永代橋佃しま」と91景「請地秋葉の境内」しかない。
さて最後にこの絵の描かれた日の推測であるが、桜以外に日付を特定する情報がなく、心苦しいが例によって将軍御成の日を利用したい。16景「千駄木団子坂花屋敷」で述べたように安政3年3月13日ころが有力である。
この記事で参考にした本
広重の大江戸名所百景散歩―江戸切絵図で歩く (古地図ライブラリー (3))
定本 武江年表〈上〉 (ちくま学芸文庫)
定本 武江年表〈中〉 (ちくま学芸文庫)
定本武江年表 下 (ちくま学芸文庫)
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