キャサリン・ゼタ=ジョーンズという女優をご存じだろうか。
キャサリン・ゼタ=ジョーンズである。
キャサリン・ジョーンズではない。
キャサリン・“ゼタ”・ジョーンズである。
この“ゼタ”があるのと無いのとでは大きな違いがある。
キャサリン・ジョーンズではせいぜい中学生の時にいた英語の先生だ。
ちなみに僕の中学校にはスコットという名の、アイルランド系で背があまり高くない男の先生がいた。
ある友達が生徒手帳の白紙のページにスコットのサインをもらっていた。
まだ外国人が珍しかった時代だ。
とてもカッコよかった。
その友達の行動がとても眩しく見えた。
話をキャサリン・ゼタ=ジョーンズに戻そう。
ただの平凡なアシスタントティーチャーをハリウッド女優たらしめているのは、紛れもなく“ゼタ”である。
キャサリン・ジョーンズ。
キャサリン・ゼタ=ジョーンズ。
どうだろう。髪の毛のキューティクルからして全く違うのがお分かりいただけると思う。
キャサリン・ジョーンズは決して背中がパックリ開いたドレスなど着ないのだ。
このキャサリン・ゼタ=ジョーンズの“ゼタ”のように、あるのと無いのとでは全く違う物や事に出くわしたとき
「いや、キャサリン・ゼタ=ジョーンズの“ゼタ”みたいやな」
とツッコミたいものである。
あるいは誰かや何かにとってのキャサリン・ゼタ=ジョーンズにおける“ゼタ”のような存在でありたいと願う今日この頃である。
「願う」と言えば、キャサリン・ゼタ=ジョーンズの“ゼタ”が“七夕”に見えてきた。
キャサリン・七夕=ジョーンズ
うーん。。