触れること
疲れていた。7月に自分が受け止めたすべての事象に対する反応が蓄積された結果がこれだ!年甲斐もない事に挑戦し、同時進行で年老いた義母の世話をすることは、想像以上の精神的、身体的疲労を伴っていた。その渦中にいる間は何とかなる。しかしそれを客観的に見つめる頃には、どうしようもない倦怠感ともう少し上手くやれたのではないかという後悔とそこから脱出できた安堵感がない交ぜになって心よりも体が悲鳴を上げたのだ。しかし意識は妙に覚醒していた。それ故、寝室で横になっている事も出来ず、リビングのソファーで過ごす時間が増えていた。いつだっただろう?夏休みで家に居る時間が増えていた次男が、いつものように私の陣取るソファーにくつろぎにやって来た。当たり前のように少し距離をとって深めに腰を降ろす。そして私の携帯に手を伸ばし、お気に入りの無料ゲームを始めた。先月末に16歳になった。主人に似て手足が真っ直ぐで長く細い。しかし顔つきは小さい時の面影が消えることなく幼げで、母としては手を繋いで歩いていた頃のままの感覚で、スキンシップ多めに接してしまいがちだった。特にこの時、どうしようもなく気持ちまで落ちていたから、手の届く距離にある我が子の体温にしがみつきたくなってしまった。その衝動を抑えられなくなった私は、気がつくと息子の右腕に顔を埋めていた。でも次男はその行為を拒絶することなくあっさり受け入れてくれた。ゲームをしながらも微動だにしない右腕。そこから私の掌に伝わってくる温もり。触れた肌の感触。変わらない次男の匂い。私の触覚がその全てを感知し取り込むことで、ガチガチに強張った自分の心がゆっくりと弛緩していくのがわかった。次男はわかっているのだ。母はいつも本人の度量以上のことに関わると、完全にエンストしてしまうことを。だから自分に出来るのは、母の気持ちの逃げ場所になってあげることなんだと。 私の人生における最大の宝物それは自分をあるがまま理解し受け入れてくれる人が存在すること。それが我が子であるという奇跡は私が幸せ者であるということを換言できるだろう。