こんにちは、ないとめあです。

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マスコミや経済評論家がよく使う言説があります。「日本の労働生産性は先進国の中で低い。労働者の意識改革が必要だ」——しかし、この言説には根本的な論理の欠陥があります。労働生産性の低さが、なぜ、労働者の問題ではないのかを整理します。


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労働生産性とは?

 労働生産性は次の式で表されます。

労働生産性 = 付加価値額 ÷ 労働者数(または労働時間)

分子の「付加価値」を決める要素こそが問題の核心です

 付加価値を左右するのは、機械・ITへの投資額、価格決定権の行使、組織設計と人材配置です。これらはすべて経営者の管掌領域です。

 現場の労働者には、これらの決定権が原則としてありません。決定権を持たない者に結果責任を帰属させることは、論理的に成立しません。


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データが示す「責任の所在」

 日本生産性本部(2023年版)とOECDのデータを並べると、明確な矛盾が浮かび上がります。

OECD時間当たり労働生産性

30位

加盟38カ国中(2023年)

PIAAC 読解力・数的思考力

世界最高水準

国際成人力調査(OECD)

 インプット(労働者の能力)が世界最高水準であるにもかかわらず、アウトプット(生産性)が低い。この矛盾が意味することは、一つです。能力を付加価値に変換する「仕組み」、すなわち経営・マネジメントに問題があるということです。

 また、OECDのデータによれば、日本企業の人材育成投資はGDP比で主要国最低水準に近い状況です。「労働者のスキルを上げるべき」と言いながら投資を怠る。これは、経営側の矛盾であり、労働者に帰責できる問題ではありません。

 スタンフォード大学らによるWorld Management Survey(WMS)は、「マネジメントの質」と「企業の生産性・成長率」の強い相関を実証しています。日本企業は現場規律が高い一方でIT活用や動的な人材配置といった経営判断のスコアが米国等に比べて低い傾向があります。


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「制度の壁」は言い訳になるのでしょうか?

 経営者側からは「解雇規制や系列取引慣行など、制度的制約があって変えられない」という反論が出ることがあります。

 しかし、経営者には与えられた環境に従うだけでなく、環境そのものを変えるよう働きかける責務があります。業界団体を通じた政策提言、規制改革への関与は経営者の役割であり、大企業においてはその影響力と責任が特に大きいと言えます。

※ 推論・仮説:中小企業の経営者が単独で制度変更を実現することは現実的に困難であり、この点には留保が必要です。ただし、それは「労働者に責任がある」という結論を導くものではありません。


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労働者のせいではない

 ここで重要な論理的整理を行います。

正当 経営者は制度変更に努力すべきである
留保あり 経営者のみが生産性低迷の原因である(制度・政策も関与)
論理的誤謬 経営者に完全な責任がないから、労働者に責任がある

 「AがBの完全な原因でないから、Cが原因だ」、これは論理学上の誤りです。責任の所在として考えられるのは、経営者の判断・制度と政策の設計者・産業構造・マクロ経済環境であり、労働者はそのいずれの決定権も持っていません。


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なぜメディアは経営者責任を語らないのでしょうか

 それでもなぜ、「労働者の意識改革」「働き方改革」といった言説がメディアで繰り返されるのでしょうか。それは、大企業が主要広告主であること、「個人の努力不足」というナラティブが視聴者に受け入れられやすいこと、制度・構造問題は説明コストが高くコンテンツとして不利であること、こうした構造的理由が重なり、問題の本質が隠蔽され、最も声を上げにくい労働者に責任の矛先が向けられていると考えられます。


「日本の労働生産性が低い」という言葉は、本来こう読み替えるべきです。

「このビジネスモデル・この経営者では、どれだけ労働を投入しても十分な付加価値が生まれない」

 生産性向上に必要な投資判断・事業選択・組織設計はすべて経営の責任領域にあります。労働者には、その決定権がそもそも与えられていません。

「労働者の生産性が低い」という言説は、決定権の所在を無視した論理的誤謬であり、経営責任を覆い隠す言説として機能している可能性が高いと言えます。メディアがこの構造を問い直さない限り、日本の生産性論議は本質から外れ続けるでしょう。

【参考資料】
公益財団法人日本生産性本部「労働生産性の国際比較 2023」
OECD「PIAAC(国際成人力調査)」
World Management Survey(Stanford University / LSE)