ご訪問ありがとうございます。

ないとめあです。

 

 

 

ここは日本?それともどこかの自治区?

 気づけば大阪は日本から切り離され、勝手に「中華人民大阪共和国」として独立していた。首都は梅田、国家主席は維新。街を歩けば人民元が飛び交い、日本語の看板はすっかり絶滅危惧種だ。道頓堀のグリコのランナーも、次は中国の指導者が走り出すんちゃうか、と市民が冗談を飛ばすほどである。

 

維新の掲げた「改革」の正体

 大阪維新の会は「大阪を世界に開く」と言ってきた。しかし蓋を開ければ、やったことは街の切り売りに等しい。規制緩和と民営化を繰り返し、残ったのは“外資にお任せ”の都市運営。インバウンドに依存しすぎた結果、気づけば中国資本に街を明け渡してしまった。これを改革と呼ぶなら、それは改革ではなく“投げ売り”だろう。

都構想は失敗、人民共和国構想は大成功

 維新が血眼になって推し進めた都構想は二度否決。しかし、その代わりに着々と進んだのが「中華人民共和国化」である。観光地の店は中国資本、商業施設も中国資本、ホテルも中国資本。IR誘致も「カジノで大阪復活!」などと声高に叫んだが、実態は「人民元投資を効率よく回収する仕組み」にしか見えない。まさに“売国”である。

 

市民生活に忍び寄る影

 地元の八百屋が気づけば「チャイナモール」に化け、馴染みのお好み焼き屋は辣油とパクチーを乗せ始めた。文化が混じり合うこと自体は悪くない。しかしその裏で、大阪人が築いてきた地域の商売や暮らしが、資本の論理で一掃されていく。維新は「大阪を元気に」と言うが、元気になっているのは市民ではなく、外資の財布である。

 

維新は大阪を誰のものにしたのか

「中華人民大阪共和国」という揶揄は笑い話で済ませることもできる。だが実際には、維新政治が大阪を外資に依存する街へと変えてしまった現実がある。地元の暮らしや伝統を守るどころか、彼らがやってきたのは大阪を切り売りし、値札をつけて差し出すことだった。

 結局のところ、大阪は大阪人の手を離れつつある。維新が夢見る未来は「アジアのハブ都市」かもしれないが、現実は「日本でありながら日本ではない街」だ。もしこの流れを止めなければ、次の世代が生きるのは“中華人民大阪国”であって、“大阪”ではないのかもしれない。

 

では、また!