Goblin
スリルっぽい。ベースの音がですね、気持ちいいです。ドラムの軽快さと相まって余計に。
そういや、まともに今井さんがギターソロ弾いてます。
一番気になるのがサンプリングなんですが、その音で緩急がくっきり分かります。
なかなか踊れそうな曲です。いや、詞の通り酒呑んで馬鹿騒ぎしたくなります。
特にサビで。
この曲で、やっと今井さんのコーラスが聞こえるんですが、やっぱりどこから出ているのか分かりません。
摩訶不思議な声で「オーゥィェッアー」(難しいな、文字にするの)のコーラス。気が抜けて好きです。
あと、櫻井さんの低音コーラスがほぼ全編に渡って聴けるんですが、素敵です。
歌詞に進みましょうか。
初めは今井さんが書いたんだと思っていました。
でも、櫻井さんだった…。
支離滅裂な様でそうでない、ハイテンションな歌詞でございます。
さて、タイトルの「Goblin」。確か妖精…じゃなくて子鬼だったんかな?調べてみます。
ゴブリン(goblin)
ヨーロッパの民間伝承やその流れを汲むフィクション(主としてファンタジー)に登場する伝説の生物である。
以下のような様々なイメージで捉えられている。
ゴブリンとは、邪悪な、または悪意をもった精霊である。
ゴブリンとは、おふざけが好きで意地の悪い(だが邪悪とは限らない)妖精である。
ゴブリンとは、ぞっとするような醜い幽霊である。
ゴブリンとは、ノームまたはドワーフのこと(またはその一種)である。
従って、伝承や作品によってその描写は大きく異なるが、一般に醜く邪悪な小人として描かれることが多い。
また、ドイツのコボルトは、上記のゴブリンのイメージに重なる事もあり、英文ではしばしば「ゴブリン」と訳される。

なおホブゴブリンは、密かに家事を手伝う善良な妖精というのが伝承での姿だが、後世のフィクションではゴブリンに似たもっと大型の生物と設定されていることが多い。
さてさて。
この曲、お酒の名前が羅列されております。
ウォッカ、テキーラ、日本酒。
なんで日本酒なんですか。
櫻井さんのイメージとして(何でも飲んでそうなんですが)「ワインと焼酎」が良いと思ったんですが。
しかも、「Japanese SAKE」です。そのまんまです。
ここに、日本人としての心意気を感じます。
酒を羅列する所、hideさんの「DOD」を思い起こさせますね。
日本酒、バーボン、ビールにアブサン、焼酎、どぶろく、テキーラなんでもこい。
こっちの方が上手でした、(そんな事書くな)
テーマとしては、「お酒呑んでハイになってきたぜ」ってことでしょうか。
Bメロが三回続きます。
この中に、対が5つ出て来ます。
悪魔と天使
淑女と紳士
ユダとキリスト
王と女王
アダムとイヴ
もう、全部踊れば良いじゃんみたいな。
この曲から、世界平和への道を想像してみる事にします。
あ、そうそう。この書き方が好きです。
 Strippppper!
えらい気合いを感じます。歌い方も気合入ってましたしね。


ALIVE
まず初めに。
この曲、浮いてませんか?なんで入れたんでしょうか?
好きな曲ですが、このアルバムでは一番ロックバンドな曲ですよ。
「ゴシック」とは真逆な気がします。
でも、曲の間に聞こえる「シャラーン」と言う音。
この後の「月蝕」「Passion」でも似たような音(そちらはもっと宗教がかってますが)がしてますよね。
そして、間奏後のシンセの音。その辺がゴシックっぽい…のかな?
間奏後が凄く好きなんですよね。
結構、櫻井さん高音で歌ってますよね。サビとか。
あ、そういえば、二回目の「歩けるだろう」(歌)の直後に来る「歩けるだろう」(セリフ…?)はびっくりしました。
これを言っているのは櫻井さんですが(今井さんではないですよね)、自分に言い聞かせるみたいな気持ちの込め方で呟いているように聞こえました。
では、歌詞を見てみましょうか。
この曲。後に発表されるある単語が歌詞に含まれています。
Rendezvous」です。もちろん、櫻井さんがそれを意図してこの言葉を使用したなんて事は言いません。
でも、不思議な感じです。
あちらでは「感謝」の気持ちがたくさん詰まってますけれど、こちらでは死神付きですからね。
ただ、感じるのは「死神」と一緒だから悲観しているわけでは無いって事です。
 お前と一緒ならゾクゾクするぜ
っていうのも、常に、生きている存在には「死」が付き纏うけれど、「死」が付き纏うおかげで生きていく事が出来る。
言い換えれば、「死神」と「俺」の「生きるか死ぬか」の駆け引きを楽しんでいる。
その事を、「お前と一緒ならゾクゾクするぜ」という歌詞に集約させているのではないかな?と思いました。
「迷い子なら~」の歌詞。両方とも好きです。
突き放している様で、ちらほら優しさとか愛しさとかが見えてしまいます。
以前から櫻井さんは、頻繁に「孤独」や「一人」を連想させる歌詞(もしくはそのまま)を書いていらっしゃいました。
特に「生と死」を描く時、それが顕著に表れる様に思います。
思えば、人は一人で生きていく事が出来ませんが、結局「個」としては一人なんですよね。
生まれる前は母に守られていても、生まれた後は、「個」として一人。
自分と同じ存在なんてこの世には存在しませんし、双子ですら、同じ顔形と思考回路を有していても、結局は別の存在だと思うんですよね。
もちろん、死ぬ時も、看取ってくれる人はいても、死ぬのは一人だけですよね。
嫌な話ですが、たとえ一緒に死んだとしても同時に死ねるわけではないですもんね。
そんな事をつらつら考えてしまいます。
そういえば、歌詞を読んでいて思った事なんですが、この詞に興味を持ちました。
 殺られちまう前に ブッちぎってやるさ
前は、「死」というものを前にして、迷ってみたり逃げてみたりしている歌詞を多く見ました。
でも、今はそれすら「ブッちぎってやる」と宣言(?)出来る。
強さを感じました。ヤケクソとかじゃなくて。
そんな、一人の人間として生きて死ぬ事を何度も見据えた先に見えた答え。
それがこの歌詞なんだろうなと思うし、櫻井さん自身や聴いている私達に対して言い(聞かせ)たい事なんだろうなって思うんです。
だから、後半の「歩けるだろう」の所にだけ何がしかの感情が込められた台詞が入っているんだろうな…と一人で暴走してみたりしてます。
おっと。忘れていました。
サビの「傷を付けてやる」と「刻み付けてやる」も、「俺」が生きているという事の「証」を「傷」と言ってたりするんじゃないかと考えてます。
最初、歌詞をあんまり見てなかった時は、「傷を付けてやろう」っていう怖い言葉に聞こえたんですが。
聞き間違えてました。
で、浮いている答えを歌詞に見つけたというおこがましい話。
アルバム全体を通して、唯一、「生きる」事を明確に見据えた曲だったんです、私の中で。
「生きる」事に対する「希望」。
このアルバムの根底に流れているであろう「死」や「絶望」「異形」…。
もっと言えば、浮世離れした歌詞が多い中でこの曲だけが生々しかったから、「浮いている」と感じたんです。


月蝕
来たよ!どんどこ!
原始的な匂いのする曲ですね。
星野さんのアルペジオの音が好きです。これ、サンプリングじゃないですよね?
この曲は今井さん作曲ですが、やっぱり「緩急」「静動」が半端ない。
間奏部分の静けさとか、無意味にドキドキします。
この曲の背後で、鈴っぽい音がしていまして。
なんですかね。あれの音。神社で巫女さん達が神楽やってる時に鳴らす、鈴がいっぱいついてるアレ…。
神楽鈴、もしくは鉾鈴っていうらしいです。
この神楽鈴。
輪が3つ付けられ、上から3個、5個、7個の鈴が付けられていて、稲穂を模したものであり、五穀豊穣の祈願の意味があるそうです。
どちらの鈴にも柄の端には5尺~6尺の五色の鈴緒が付けられるんだとか。
ああ。この曲、生贄の儀式っぽい(歌詞もそうなんですが)からなあ。
それを考えての鈴の音なら凄いなとしか言いようがないです。
サビの部分の「あーあああああー」が、儀式の歌みたいですよ。
この詞。表現が凄いなと思ったのが「月蝕」という言葉無しに「月蝕」を表現しているこの歌詞。
 闇となり 月喰らう
この詞は…じつは意味が分からないんですよ。
「儀式」なんだろうなとは思うのですが。
「人外の血」を、異形の血ととるか人以外の、例えば獣の血ととるか。
そもそも、この曲は「贄」の視点の曲なんですよね?
「茨」が食い込むとか書かれてあると、どうもイエスを思い出すんですけれど。
そして、この曲のタイトルにもなる「月蝕」。
「贄」は「闇」になって「月」を「喰らう」んですけど。
これ。現実世界の「月」を「喰らう」のか、それとも「月」は何かの象徴なのか。
自らを「贄」とする。
自らの「欲望」のために。
…わからないよう。
もっと聞き込んだ方がいいかな。

道化師A
荘厳な「異形の目覚め」から一転し、次はハードな曲です。
と言っても、ギターがノイジーで、でもテンポはゆっくり、ただし重たいという。
イントロのギターが、曲の節目節目に出てくるんですが、歪んだ高音なので、まるで叫びみたいに聞こえます。
なんていうか…ハードボイルドっぽい。
間奏部分で一旦は大人しくなるんですけれど、途中から音の上がり下がりが激しくなって(これはギターで音出しているんですかね?)、この間奏で男がどれだけ狂っているのか(もしくは狂っていくのか)が垣間見られる様です。
櫻井さんの歌い方も、随分強くて男らしいです。
なんか違うな。抑えていようとするけれど、結局抑えきれなくて、最終的に「叫び」や「狂気」を噴出させている。そんな感じです。
タイトル通り、ある「道化師」の歌です。
詞を読むと、「道化師」の「俺」は、たまに来る「あの子」に恋をしているようです。
しかも、「血の文字で書いた」「手紙」を送ろうと思っている程、狂ったような恋です。
ですが、曲が進むうちに頭に「?」が浮かんできます。
二回目のサビの歌詞を読んでみますと、
 誰もお前を 気にしちゃいないさ
とあります。
初めのサビの所で、「あの子が泣くと 俺は死んでも死にきれない」という物騒な事が書いてありますが、解釈出来そうな心情として、好きな人に泣かれる(楽しんでもらえない)と満足できないと思っているんじゃないかと。
でも、二回目のサビで、正体不明の「お前」に対して辛辣な言葉を吐き、誰からも気にされない「お前」を、「俺」は「殺したいほど愛している」。
終いには「鏡」が出てきて更に混乱しました。
分からない。でも、考える余地はあるよね。
と言う事で、2パターン考えてみました。
その1。
「俺」=「道化師」
「あの子」=「お前」
このパターンで行くと、「道化師の狂気の愛」という歌になります。
この歌詞には、「俺」が狂っているという直接的な事はほとんど書いてないんですが、「血の文字で書いた」の辺りを見るにつけ、「俺」は狂っているんだなと思えるんです。
で、狂おしい恋を「あの子」に向ける「俺」。
「あの子」が辛い思いをすると、「死んでも死にきれない」ほど「あの子」を愛している。
でも、その思いを伝えた事は恐らく、無い。
何故なら、「俺は名も無い道化師」であり、「舞台裏で震えている 髭の女装歌手」という何とも言えない存在だから。
だけど思いは募るので、「俺」の熱い気持ちを込めて、「血のように赤い」花と、「血」で書いた「手紙」を贈ろうと考えた。
やばいです。妄想にしたってやばいです。
思いついた話の流れなんですが、「俺」は例の物を「あの子」に贈ったんじゃないですかね。
血で書いた手紙なんて贈られたら、絶対怖いと思うんですよ。
もしかするとその文章が
 誰もお前を 気にしちゃいないさ
 ただ俺だけが 殺したいほど愛している
とかだったりしたら、本気で怖いですよね。
で、怖がって泣いている「あの子」の為に、「支配人」に「俺」を出させろって言ってんじゃないかな~と。
でも、「支配人」実は妙なものを贈った事を知っているから「俺」を出させない~とか。
で、泣いている「あの子」と「舞台裏で震えている」自分自身が重なって見えて、「あの子」を自分と思った「俺」が「鏡よ 鏡」ってなって…。
わはは。勝手に話を作ってしまいました。調子に乗り過ぎました。
その2。
「俺」「お前」「おまえ」=「道化師」
「あの子」=「道化師」が恋する別人
これが、なんとなくしっくり来るパターンかなと思います。
ぶっちゃけ、最初は「あの子」ですら「道化師」だと思ってましたからね。
このパターンですと、「もう一人の自分との歌」になります。
最初のサビは、「道化師」である「俺」の素直な気持ち。
二回目と最後のサビは、「道化師」を愛するもう一人の「俺」の気持ち。
キーを「鏡」にしますと。
「あの子」に恋をする「俺」に、もう一人の「俺」が、「誰もお前を 気にしちゃいないさ」と言って、そんな「お前」を強く愛しているのは「俺だけ」となってもおかしくないような…気がします。
「名も無い道化師」である、「誰も」気にしてくれない「お前」を「愛している」のは、「鏡」に写る「おまえ」であるもう一人の「俺」。
最後のサビの「おまえは誰だ」だけ平仮名なのは、主人格の「俺」がもう一人の「俺」に気づいて問いかけているから…なのかなあ?
どちらにしろ、狂っているし、報われないのですけれど。


Cabaret
荒く処理されたピアノ音が、さも場末の「キャバレー」にいる雰囲気にしてくれる、とても不思議な曲です。
ギターの音も、「キャバレー」のいかがわしさを醸し出すのに一役買っています。
Aメロからサビへの展開が凄く好きです。
始めはしおらしいんですが、いきなり本性むきだしな具合で激しくなります。
これは、星野さんの曲です。次の「異人の夜」もそうです。
間奏部分のコーラスが、この「キャバレー」で歌う女言葉の何者か(普通に女性だと思うんですが)の悲哀を感じます。
にしても、櫻井さんは女言葉で歌ってもあんまり違和感ないですね。
キャバレーとは、本来はダンスやコメディショーなどパフォーマンスをする舞台のあるレストランやナイトクラブの事である。
パリのモンマルトル界隈ではかつて19世紀に伝説的な隆盛を見せたシャ・ノワール(黒猫)と呼ばれるキャバレーがあり、
エリック・サティやパブロ・ピカソなど、モンマルトルに住む名だたる芸術家たちの若き日の溜まり場となった。
現在もラパン・アジルをはじめ、ピアノやアコーディオンなどの伴奏によるレトロなシャンソンを聴かせる往時の雰囲気を残すいくつかの小さなキャバレー(シャンソニエ)がある。
同様にパリ郊外の川沿いにはギャンゲットと呼ばれるレストラン兼ダンスホールがあり、19世紀から続いている。
現在も年輩者をはじめ多くのパリ市民に親しまれている休日午後の娯楽となっている。
パリにはまた一方でムーラン・ルージュやリド、クレイジーホースなどのいわゆる高級キャバレーもあり、
こちらは大規模な店内でトップレスの女性が舞台上でスペクタクルを繰り広げる(ただし決して卑猥なストリップショーではない)のが特徴である。
歴史的にはフレンチカンカンが展開されたことでも有名である。

いきなりこんな事書いて申し訳ございません。
言葉は知っていても、意味が分からない事が多々ある私。
気が付くと、何でも調べてしまいます。
さて、キャバレーがどんなものであるか分かった所で、「お唄」に参ります。
今回は、最初から最後まで、ほぼ女性言葉で歌詞を書いていらっしゃいます。
楽曲の静かな部分では、弱々しくたおやかな女性。
一転して激しい部分では、言葉も荒く、本能剥き出しな状態。
曲に合わせて書いたのでしょうから、こんな風に、「お唄」を歌う「私」の二面性をうまく分けられたのでしょうね。
では、歌詞について見てみましょう。
最初と最後が同じ歌詞です。
 私は今夜もお唄を歌うの 夜の底のキャバレー
当初は、幼い雰囲気を纏わせ(「お唄」と書いてあるせいだと思うのですが)、「愛に満ちたメロディ」を「上手に歌う」わけなんですが。
その「お唄」は「愛に満ちて」いるはずなのに、粘り気のある狂気を聴く者に与えようという「私」の気持ちが多分に含まれています。
粘り気のある、と書いたんですが、そう連想させたのがこの歌詞です。
 吐き気がするほど甘く 毛穴という毛穴から
その後で、「滑り込み」と書いてあるんですが、サラリとした感じには取られませんでした。
中毒性のあるどろりとした「愛」。
これを「欲しいと叫べ」って命令しています。
最初の弱々しさは何処へやら。
「毛穴」で思い出したんですが、随分前に、櫻井さんが女言葉でMCをしていた事がありましたね。
雑誌で読んだような気がするんですが、そのMC中に「毛穴と言う毛穴から」という言葉が出た事があったそうです。
普通、「毛穴という毛穴から」って書くと「汗が」とか「角質が」(すみませんね)出てくるもんじゃないんですかね?
いや、「浸みこむ」でも良いんですけれど。
滑り込むんですからね。
液体ではなく、「愛」が。
もう、脳みそにダイレクトではないんですよ。
じわじわと侵食していく。そんなイメージです。
で、その後で「いつまで正気でいられるでしょうね」と来るんですが…。
挑発しています、この「私」さん。
「私の歌を聴いていつまで踊ってられるかしらね~」っていう、冷たさ。
それなのに、「時には涙を浮かべて歌うの」。
で、「愛で濡れたメロディ」。
……。
この「私」。
かなり怖い感じですが、実際問題、何を思って「お唄」を歌っているのでしょうか?
軽く考えれば、ステージで歌う回数が多ければ多いほど、お金をたくさん貰えるわけですよね?
だから、「今夜 貴方にお会いできたの 本当に私は幸せ」とおべっか使ってみたり、「貴方に見つめられたら」幸せと言ってみたり。
貴方は一人でも複数でも良いのですが、お客さん。
リピート率が高いほど、収入を増やすきっかけが掴めるわけです。
だから、「私」の歌で「貴方」を溺れさせ(「熱狂」やら「絶頂」やら欲しがらせて)ようとしている。
でも不思議なのが、「与えるより奪う」なんですよね。
歌で「愛」を与える振りをして、実際は「貴方」の理性を奪おうとしているって事でしょうか。
怖いわ。
ところで。
この「私」。本当に女なんでしょうか?
「奪う」ってかなり男らしい発想なんですが。
で、私はある説(たいしたことないんですが)を考えました。
それは、また後日。


異人の夜
こちらも星野さん作曲です。
こちらは、「Cabaret」から続く、「静」と「動」をもっと細かくした雰囲気です。
音と音の間に余白があるんですが、その余白のおかげでギターのリフの荒々しさとシンセの音による鋭い緊迫感を際立たせているように思います。
特に秀逸なのが、太いベースの音。
ピックで弾いていないと思われるんですが、それがまたイイ。
この曲に「重さ」を与えています。
淡々としているようで、実は状況は緊迫している。それを半ば諦めているかのような櫻井さんの声。
「あなたは誰、」の「だぁれ」の所が個人的なツボです。幼い感じで。
それが余計に怖いのですが。
「赤い靴」
歌詞にも登場しますが、多くの方がこの曲をご存知だと思います。
哀愁漂うメロディに乗って、「異人さん」に連れて行かれた女の子の歌です。
実際、連れ去られていったかどうか定かではありませんが、この曲では「誘拐」として扱われています。
全然関係ないですが、「赤い靴」という童話もありましたね。
かなり残酷な話だったと思います。本当にどうでも良かったな。
さて、この曲に登場する、様々な情景を思い浮かべる事の容易い歌詞。
例えば、「もう帰れないよ」の辺りですとか。
出てくる歌詞に応じて、色々と解釈出来そうなんですが、次の三つの描写から連想出来た事を、まず初めに書いておきます。
「片目の黒猫」→不吉
「夏が逝く」→季節
「月が逝く」→時間
だれかの視点で他人事として書かれてあるみたいに感じ取れたりするんですが、やっぱり最後の歌詞で「?」となってしまいました。
 あなたは誰、ねぇ誰なの?
 私は誰、ねぇ誰なの?

「道化師A」のフラグを立てました。
今回も2パターンです。
その1。
「誰か」=「私」
「あなた」=「僕」
最後の二行以外は、全て「僕」の思い出や諦めの気持ち、そして「誰か」に会った時の状況として考えます。
「誰か」は「僕」の知っている人物です。「私」といっているので単純に女の子と仮定します。
「誰か」が「異人」に連れていかれてから長い月日が経ち、やっと「誰か」に出会う。
「誰か」に対して、「なりふり構わず」「名前」を「呼んでくれ」だの「愛されたいんだ」だの「喚き続ける」わけですが、
その「誰か」、「僕」はおろか「私」自身すら認識出来ず「あなたは誰」に繋がる…。
ん~。凄い無理矢理ですね。
一応のストーリーとして、「僕の叶わぬ恋」って言うのを思い描いてみたんですが。
その2.
「誰か」「私」=「僕」
「あなた」=「異人」か別の誰か
季節が移っていくのを淡々と感じ、「仕組まれていた罠」であった事を認識し、帰る事が出来ない事も分かっている。
でも、本当は、「懐かしいその声」に会いたいと思っている。
すでに「僕」が何者であるか認識する事すらあやふやになってきているので、「懐かしいその声」に「僕の名前」を呼んでもらい、「抱きしめて」もらい、愛してほしいと喚く。
しかし願いは叶わず、結局自分が誰なのか分からなくなり、「私は誰」に繋がる。
あはは~。本当にわけわかんないや~。
この曲と、「道化師A」「Cabaret」は連作なんじゃないかと、突拍子もない事を考えております。

【2009年6月28日 追記】

上記三曲に対する、大変頭の悪い妄想文がございます。

連作じゃないのか?と思いついた私の書いた妄想ですが、お暇でしたらどうぞ。

BUCK-TICK妄想文「『道化師A』は『お唄を歌う』『僕』か?」
 
CLOWN LOVES Señorita
インストです。
ENTER CLOWN」で使われた曲を、もっと古く加工した感じです。
オルガンの音と背後に聞こえる木の軋むような音のおかげで、また更に妖しげに聞こえます。

2005年4月6日 BMGファンハウスよりリリース


BUCK-TICKの出した楽曲にだらだら感想を書くCD感想文。
ついに、やっと、このアルバムが来ました。
BUCK-TICK初(?)のコンセプトアルバムです。
テーマは「ゴシック」。
なぜ、「ゴシック」なのか?
このアルバムリリース前の2004年と言えば、櫻井さんのソロプロジェクトがありました。
櫻井さんは多くのコンポーザー、ミュージシャンに支えられ、ライブも行いました。
そのソロプロジェクトのテーマの一つが「ゴシック」だったそうです。
さて、そのリリース作品を聴き、ライブを見た今井さん。
「ちょっと違う」(この辺曖昧です)
と思ったそうな。
そして、「俺ならこうする」と言う事で、「ゴシック」を全面に出したアルバムを作りだしたそうです。
つまり、「BUCK-TICK楽器隊の櫻井敦司プロデュースアルバム」って事…なんですかね?
さて、この「ゴシック」。
私には意味が分かりません。
「悪の華」の時もそうだったんですが、用語分かりません。
で、調べました。
ゴシック(wiki)
ゴシック(Gothic)は、中世ヨーロッパの美術形式を示す用語、及びそこから派生した言葉である。
原意は「ゴート人の」を意味する言葉である。
ルネサンス期の15-16世紀に、イタリアの美術家アントニオ・フィラレーテやジョルジョ・ヴァザーリらが、中世時代の美術を粗野で野蛮なものとみなして、「ドイツ風の」あるいは「ゴート風の」と呼んだことに由来する蔑称である(ゴート人が実際に用いていた美術様式という訳ではない)。
中世の教会建築、絵画などの様式を示す概念になっていった。
ルネサンス期以降、ヨーロッパでは古代ギリシア・ローマの美や文化が理想とされ、暗黒時代とされた中世の文化には低い評価が与えられてきた。
ゴシックが再評価される契機となったのは、18世紀末以降になって中世風(ゴシック風)の建物を舞台にした幻想的な時代小説(ゴシック小説)が出版されるなど、人々の間に中世趣味が広がってからであった。
19世紀になってロココ様式や新古典主義に対する反動から、中世の時代へ関心が向かい、建築を中心にゴシック様式を回顧的に用いるゴシック・リヴァイヴァルが生まれた。
イギリスの国会議事堂はその代表的な建物であり、一般の邸宅もわざわざ中世風の様式を取り入れ、建てるものもあった。
ほう。わかんね。
「ゴシック」と言えば、マリスミゼルを思い出しますね。
今作。インスト4曲、歌入り13曲、無音1曲(?)計18曲収録されております。
歌入り13曲は…偶然なのでしょうか?
もし、それも計算だったとしたら、今井さん恐ろしいですよ。
また、歌詞についてなんですが、思い起こせば、ここまで一曲一曲に何がしかのストーリーが明確に存在する歌詞はありましたかね?
いや、あるんでしょうが、ここまで特化したのは無かったんじゃないでしょうか。
ストーリーというか、物語?話を読んでいるような。
しかも、散りばめられているのは「異形」「狂気」「狂乱」「諦め」「願い」「叶わぬ愛」「生きる」などなど、キーワードが多いです。
私が馬鹿だからかもしれないですが、果てしなく話が広がり、「こうかもしれない」「ああかもしれない」と、いつも以上に想像(妄想)を掻き立てられます。
さて、そんな「十三階は月光」に対して感想を書かせて頂きます。


ENTER CLOWN
「十三階は月光」のオープニングを飾る今作のテーマであり、また、このアルバムを物語というならばその導入部でもあります。
古めかしいドラムロールの後に続く、おどろおどろしいテーマ。
このテーマ(主題)は「Lullaby 」を除く3曲に入っています。
イメージとしては、見世物小屋とか妖しいサーカスでしょうか。
今井さんの凄い所は、おそらく生楽器と電子楽器を合わせて使っていらっしゃるのでしょうが、何故か全てが生楽器に聞こえるように音を作った所です。
この辺り、なんとなく今井さんの本気が垣間見えるようです。
曲が進むと、最初のおどろおどろしさが薄れ、若干コミカルに感じられる部分も出て来ます。
それでも、最後には聞いているこちら側を悪夢に誘うかようにおどろおどろしいテーマが復活して、曲が終わる…わけですが。
この最後の辺り。左右で交互に聞こえる単音。皆さんはお気づきになりましたか?
言葉にするとおかしいんですが、「てとてとてとてとてとてとてん」(なにこれ)と聞こえるあれ。
13音なんですよね。細かいところまで、今井さんはいい仕事をしております。


降臨
イントロがまたおどろおどろしいです。
闇夜を思わせるようなベース音と、時を刻んでいるかのようなドラム。(これ、シンコペーションっていうんでしたっけ?)
静かに始まり、「歌う」所で音が大きくなるっていう強弱が凄く好きです。
曲の構成が本当に不思議で、サビがどこなのかと思ってしまいます。
「歌う」の部分なのか、「目覚めるがいい」の部分なのか。
「大地が唸る」からラストにかけての盛り上がり方が半端ないです。
凄く胸にくるものがあります。
サンプリングのコーラスとパイプオルガンを含めた全てのパートの音が混ざりあって、本当に歌を歌っている様に聞こえます。
しかも、荘厳で力強い。
そして、悲しい。
夜に目覚める悦びを歌っているはずなのに、なんでこんなに悲しいんでしょうか。
櫻井さんの歌い方が、なんだか今までと違います。
よくある例えで「魔王」がありますが、櫻井さん、そんな感じです。
重々しく、力強いです。
続きまして、歌詞について。
たった一行の凄さ。
意味がわかりますか?
では、上から読んで参ります。
この曲、今作の中では一番情景を思い描ける曲だと思います。
それぞれ思い描けるんですが、この曲は凄い。
まず、初めの4行と曲の相乗効果なのか何なのか、異常な静けさを感じさせます。
音がするのは、恐らく「針は震え」の所だけ。
「午前零時」と書いただけでも「真夜中」で辺りは静かだと分かるのに、更に「獣たちは 息を潜める」と続きます。
「息を潜める」時ってどんな時だと思います?
人でしたら色々なシチュエーションが思い描けますが、「獣達」は?
おそらく、隠れて獲物を監視する時と、何がしかの脅威から逃げる為に隠れた時だと思うんです。
そして、「午前零時」から「針が震え」て「十三秒を過ぎ」た時に「その時」がやって来ます。
その「十三秒を過ぎ」た後、何の時が来るのでしょうか?
次に来る歌詞に注目してみましょう。この詞が、「たった一行の凄さ」です。
 白蓮の浮かぶ 水面が揺れる
「白蓮」と聞くと、思い浮かぶのが「清浄」「聖なる花」なんですが、それが浮かぶ「水面が揺れる」という描写に、なにか良くない物が訪れようとしていると思い描く事が出来ます。
「清浄」なものを揺るがす存在。対といえば「不浄」しかないですから。
たった一行でそれを書く櫻井さんは、おかしい。(いや、褒めてるんです)
その後、答え合わせみたいに「外道」「悪魔」と言葉が続きます。
「産声」は、「夜」なのか「魔王」なのか分かりませんが、「降臨」の言葉から連想するに、「闇を支配する存在」だと思うんですね。
歌詞中に「十字を飾る 血塗られている」と出て来ます。
血塗られた十字が示すもの。「闇を支配する存在」。
私が想像したのは、「ルシフェル」です。そういや、「DIABOLO」も悪魔を指す意味に使われますし、そのサブタイトルって「Lucifer」でしたね。
曲感想の時にも書きましたが、「我等」が歌う歌を悲しく思えるのは何故でしょうか?
そこで想像してみました。世界平和に努められるかどうかは分かりませんが。
忌み嫌われる「外道」や「悪魔」。
「声高らかに」存在を歌いあげる「我等」。
最後の詞は、
 もがき 産まれ
 足掻き 歌え
です。
もしかすると、「闇を支配する存在」の目覚めの歌でありながら、私達「人」の歌なのかもしれません。
想像なんで、この辺スルーして欲しいんですが。

おはようございます。

まだ眠いのに…。


昨日の更新の仕方がアレだったが為に、アクセス解析が凄い事になっていました。

本当に申し訳ない…。


今日は…十三階は月光」「天使のリボルバー」を載せます。

「十三階は月光」に関しましては、本当に長く書いている曲もあるのでぶつ切りに投下。

「天使のリボルバー」は、ブログをやっていた当時にシングル単品で感想文を書いていたりした関係でアルバムにはシングル曲の事はあんまり書いてなかった。

そして、そのシングルの事を書いてたメモ帳を…間違えて消したので…もう1回書き直さないといけない。

いや良いんだけども、新鮮味が無いなあ…って。

当時は「ジャイアン」とか書いてたし。

今はしっくりきてるから、逆になんか書けるかも。


では。

始めまする。



いやがらせしすぎました。

へへへへへへ。

頭痛くなってきた。


本当は、この後も載せようと思っていたんですが、十三階は月光」の分け方を考えている関係で今日はやめます。


しかし。

改めて読んでみると、なんかおかしいですよね~文章が。