竈門禰豆子の家事事情
―麻の葉文様の着物の意味と大正時代の家事事情―
■麻の葉文様の着物
竈門禰豆子を示すアイコンといえば、撫子色の麻の葉柄の着物に市松模様の帯、竹の口枷といえるでしょう。麻は丈夫な繊維で、4ヶ月に4mにもなる程成長が早い植物です。またすくすくとまっすぐに伸びる様から麻の葉文様にはこどもの健やかな成長を願う意味が込められています。古来より虫がつかないことから神聖な植物とされてきた麻ですが、三角形の鱗文には魔除けや厄除けの意味があり、その集合体からなる麻の葉文様はより強い魔除けや厄除けの意味も持つと言われているのです。それにあやかり、こどもの着物、特に産着に頻繁に使用される柄となりました。
『ああ 辛抱ばっかりだったな 禰豆子 お前は』
『また着物を直してるのか 買わないとだめだな 新しいのを』
『いいよ いいよ 大丈夫 この着物気に入っているの』
『それよりも下の子たちにもっとたくさん食べさせてあげてよ』
禰豆子が小さくなってしまった自分の麻の葉文様の着物を直しているシーンが『鬼滅の刃』1巻に描かれています。柄や色からしても、恐らく随分とこどもの頃にあつらえてもらった着物を何度も何度も直して着ているのでしょう。
『みんなごめん…禰豆子…』
『謝らないでお兄ちゃん どうしていつも謝るの?』
『貧しかったら不幸なの?綺麗な着物が着れなかったら可哀そうなの?』
『そんなに誰かのせいにしたいの?お父さんが病気で死んだのも悪いことみたい』
『精一杯頑張っても駄目だったんだから仕方ないじゃない』
『人間なんだから誰でも…何でも思い通りにはいかないわ』
『幸せかどうかは自分で決める』
『大切なのは“今”なんだよ 前を向こう 一緒に頑張ろうよ 戦おう』
家族への愛情を象徴する麻の葉文様の着物を戦装束に、四肢の欠損も厭わず、兄の炭治郎とともに禰豆子は戦い続けるのでした。
■大正時代の家事事情
以下は大正末期(大正10年以後)から昭和初期(昭和6・7年くらいまで)の家事労働に関する調査結果です。
① 最も時間をかけた家事
裁縫 |
そうじ |
洗濯 |
調理 |
来客のもてなし |
日用品の買い物 |
その他 |
回答無 |
計 |
42.1 |
15.9 |
7.5 |
11.2 |
6.5 |
0.9 |
2.8 |
13.1 |
100・0 |
最も時間をかけた家事は裁縫との調査結果ですが、禰豆子の趣味は裁縫でその腕前は商品として売れる出来栄えとの設定です。裁縫は最も主要な家事だったことが伺え、裁縫が趣味という禰豆子の設定も自分の着物を仕立て直す描写と合わせるとリアリティがありますね。
② 裁縫にまつわる家事
和服の仕立て直しは調査対象になった家庭の83%がおこなっており、布団つくりは67%がおこなっていました。つぎものも86%がしているとの結果でした。仕立て直しに伴い、ほどきもの、洗い張りも行われますが、ほどきものは90.7%、洗い張りは79.4%の家庭でなされていました。家によっては暇さえあれば繕い物をしていたということもあったようです。
③ 調理にまつわる家事
都市部では8割くらいがガスを用いて炊飯をしていたようですが、竈門家ではかまどを用い、まきで炊いていたのでしょう。朝の味噌汁つくりでは味噌をすったり、こしたりするのに手間がかかったということで、およそ8割の家庭で味噌をするということがされていました。
④ そうじにまつわる家事
そうじは、はたきかけ、ほうきで掃く、ぞうきんがけ等があります。また、約62%の家庭で乾布で家具を磨く、約40%の家庭でおからを使って廊下などのつや出しをしていました。
⑤ 洗濯方法
約75%の家庭ではしゃがんでたらいを用いており、立って洗っていた家庭は27%でした。
⑥ 日用品の買い物
店に買いに行く他に、御用聞きによる購入を約75%の家庭がしていました。竈門家では、炭治郎が町に炭を売りに行ったときにしていたものと思われます。
⑦ 睡眠時間
起床時間は6~7時で、最も多いのは6時頃起きる層でした。睡眠時間は8時間が45%と最も多く、次いで7時間の26.2%でした。夜10時に就寝、朝6時に起床というのが一番多かったようです。竈門家は山仕事をする家ということもあり、町家より2時間早く就寝、起床という感じではなかったでしょうか。
参考文献:『家事労働の変動とその要因(第1報) 大正末期・昭和初期の東京における家事労働』 大森和子・加藤悦著