▲京急線 青物横丁駅から徒歩5分の商店街
▲旧東海道にあたる道
▲釜屋跡とされるマンション(左側の建物)
『この地はもと「釜屋」のあったところです。釜屋は南品川にあった建場茶屋のひとつで、東海道を上がり下りする旅人たちは、ここで休息したり、見送りや出迎えの人たちと宴会をひらいたりしました。大へん繁盛したので、のちには本陣のような構えに改築しました。
幕末動乱の世情を反映して慶応三年(一八六七)には連日のように幕府関係者が休んだり宿泊した記録が残っています。長井尚志(若年寄挌)をはじめ、奉行、代官、歩兵隊々長他、旗本達が数多く利用しました。
有名な新選組副長土方歳三も、隊志を連れて、慶応三年十月二十一日に休息しています。
また、慶応四年一月(一八六八)の鳥羽・伏見の戦いに敗れた新選組隊志たちは、同月十五日に品川に上陸し、しばらく釜屋に滞在しました。
今から百ニ十余年前を偲びつつ、ここに記す次第です。』
幕末動乱の世情を反映して慶応三年(一八六七)には連日のように幕府関係者が休んだり宿泊した記録が残っています。長井尚志(若年寄挌)をはじめ、奉行、代官、歩兵隊々長他、旗本達が数多く利用しました。
有名な新選組副長土方歳三も、隊志を連れて、慶応三年十月二十一日に休息しています。
また、慶応四年一月(一八六八)の鳥羽・伏見の戦いに敗れた新選組隊志たちは、同月十五日に品川に上陸し、しばらく釜屋に滞在しました。
今から百ニ十余年前を偲びつつ、ここに記す次第です。』