駒木の諏訪神社 | 徒然探訪録

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▲流山 駒木の諏訪神社

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こちらにも流山の街並みに並んでいたものと同じ切り絵行灯が置かれていました。
今でも、地域の人々にとって馴染みの場所になっているのが伺えます。

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境内は凛とした涼やかな空気が流れていました。

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およそ30程と多くの兼務社を抱えています。

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▲義家献馬像
この他にも多くの像や碑が並び、見所の多い神社です。

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▲諏訪神社の狛犬
隆起した筋肉と力強い表情はまるで歴戦の武者のよう。

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▲御社殿
この諏訪神社の御社殿は、本殿幣殿と拝殿が繋がる権現造りという社殿形式をとっています。

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流山市役所のあるあたりから国道6号線へ続く路は、かつてこの諏訪神社への参道でした。
この東葛地区での崇敬が篤かったのはもちろんですが、江戸からも多くの参拝者が訪れたと言います。

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    新選組局長近藤勇が板橋に移送される際に使われた矢河原の渡しは加村にありました。流山市役所のあるあたりに『加』という住所が残っています。利根川の布施河岸とこの江戸川の加村河岸を結ぶ陸路は、我孫子・松戸間を結ぶ鮮魚(なま)街道とともに江戸の台所を支える重要な物資の輸送路でした。鬼怒川や小貝川から布施河岸に運ばれてきた穀物、利根川の沼地で獲れた鰻や鮭などを流山の加村河岸に荷馬で運び、加村河岸から高瀬舟で江戸に輸送していたそうです。流山街道広小路沿いは様々な品を取り扱う問屋や船宿、商店、料理屋等が立ち並び、賑わいを見せていたと言います。

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    諏訪道はうなぎ街道とも呼ばれていました。流山市役所近くにある『割烹 柳家』は創業大正6年の老舗です。街歩きに疲れたら、こうしたお店で当時の賑わいを思い浮かべながら、ゆっくりお料理を味わうのも良いですね。