■日常食はカテ飯に1汁1菜
いくら豪農とはいえ、白米だけで炊いたものを口にすることはそうそうなく、米や麦飯に菜や大根、芋、小豆などで量増ししたカテ飯を主食としていたようです。土方歳三は小野路の橋本家や小島家にも出入りしていましたが、『小島日記』には『麦7・8割に米2・3割に調整して炊き上げた』、『麦・米・粳栗をそれぞれ3分の1位ずつまぜた飯も食べた』という記述があり、土方歳三もこれに似たようなものを食べていたのではないのかと思います。副菜は主に漬物で、豆腐や油揚げも日常はあまり食卓にのぼらなかったようです。漬物といえば、土方歳三は橋本家の沢庵が大好物だったそうで、土産に一樽担いで帰ったこともあったと言い伝えられています。この頃の近藤の食事情と言えば、とろめし競争の話が思い浮かびますが、とろめしは日常食というよりはちょっとしたもてなしの食事だったように思えます。
■ハレの日の御馳走
正月や大祭等の年中行事で出される御馳走は土方歳三も口にしていたのではないでしょうか。多摩地方ではそば、うどん、雑煮、赤飯・小豆飯、餅がそうした時の御馳走として食卓にのぼり、また、米粉を使った柏餅、まゆ玉、七草粥や小豆粥、まんじゅう、茶飯、豆腐なども食べられていたようです。
■梨の産地日野
土方歳三が中学生くらいの年頃の時には、三沢や連光寺の山で野生梨が繁殖していたようです。三沢から石田までは歩いて20分くらい、土方歳三の行動範囲だったとしてもおかしくないので、そのあたりに実った梨をもぎとって食べたこともあったかもしれません。今でも梨は日野の特産品です。
■多くの人々に愛された多摩川鮎
徳川家康の時代から、多摩川の天然鮎は庶民だけではなく、多くの要人たちにも、味は元より、鵜飼による漁法を含めてその風流な様子が愛されてきました。当時は鮎漁を見物に来る遊楽客向けの川魚料理店や宿が立ち並び、賑わいを見せていたそうです。新選組隊士、松本捨助の義兄弟にあたる天野要蔵の店、『玉川亭』もそのような店の1つでした。要蔵は甲陽鎮撫隊の甲州街道通行の手はずを整えた人でもあります。板垣や西郷ら維新の豪傑たちも足繁く多摩川の料亭に通い、屋形船で鮎漁見物を楽しんでは、鮎料理に舌鼓を打ったと言います。土方歳三も『玉川に 鮎つり来るや ひがんかな』という句を残しており、石田に住んでいた頃は、多摩川へ良く鮎釣りに行っていた様子が伺えます。
■近藤が推奨した栗の生産
多摩地方で作られた栗は将軍家にも献納される程上質なものだったそうで、近藤勇も故郷での品種改良を推奨し、出稽古に行った先で良質な栗を見つければそれを持ち帰って、郷里の名産にすべく栽培を勧めたと言います。近藤の実家、宮川家では維新後、東京への栗出荷事業で大きな成功を収めたそうです。
今回少しではありますが、調べてみたこれらのことに因み、土方歳三、近藤勇をイメージしたメニューでこんなのがあったら食べてみたいなと思うものをちょっと考えてみました。
★カテ飯のおにぎり ¥450くらい?
大根菜の混ぜご飯で作ったおにぎり。竹皮で包んであると雰囲気が出そうです。土方家の家伝薬、石田散薬の原料となる牛額草の刈り取りの日に食べたお弁当をイメージしました。歳三が刈り取りの指揮を任された日には、人の配置や段取りが上手だった為、いつもより作業が早く終わったとも伝えられています。
★まゆ玉の紅白団子 ¥350くらい?
梅の枝に刺した紅白のお団子。多摩地方は幕末から昭和初期にかけて、養蚕や織物業が盛んだったそうです。養蚕が盛んな地域ではまゆがたくさんとれるようにと願いを込めて、まゆ玉という蚕の繭に見立てて作ったお団子を梅の木などに飾ったと言います。土方歳三の生家にも、かつては養蚕のために設けられた部屋がありました。
★勇御膳 ¥2000くらい?
麦とろ飯、刺身盛り合わせ(天婦羅盛り合わせ)、たまごふわふわ、栗とさつまいものサラダ、壬生菜漬、汁物、デザート
麦とろ飯は件のとろめし競争に因んで。たまごふわふわは出汁と玉子を混ぜてふんわりと蒸した料理ですが、将軍家の饗応料理としても使われ、近藤の好物だったとも伝えられています。近藤が熱心に栗の生産を奨励していたとのことで栗のサラダ、とろろ飯にはやはり鮪の刺身があうと思いますが、天婦羅とどちらか選べる感じで。あとは緑の菜の物が欲しいので、春なら菜の花のからし和え、冬なら壬生菜漬が食べたいという個人的嗜好から。ちなみに調布には近藤勇をイメージした『いさみの里』というオクラの漬物があるそうですが、オクラの小鉢もいいなと思います。
★歳三御膳 ¥2000くらい?
桜ごはん、小鮎の甘露煮、大盛り沢庵、豆腐、水菜と梨のサラダ、汁物、デザート
ハレの日の御馳走茶飯もといさくらごはん。醤油や酒、味醂、塩等で炊いた具なしの炊き込みご飯のことをさくらごはんと言いますが、ここでは刻んだ梅干しで炊いた桜色のご飯に塩漬けの桜を飾ったものに。『玉川に 鮎つり来るや ひがんかな』という句に因んだ小鮎の甘露煮も小鮎というのがポイントで、釣りにいって今日獲れたものを調理したという感じが欲しいところです。豆腐は春夏なら鮎型に抜いた蒲鉾や桜の塩漬の入った玲瓏豆腐、秋冬なら煮やっこ、甘露煮にあいそうな梨を使ったさっぱりとした味付けのサラダを添えて、歳三が足繁く通った小野路の大根を使い、昔ながらの製法で彼の好物だった沢庵を再現。
新選組にまつわるメニュー、皆さんは作るなら、食べるなら、どんなものを試してみたいですか?今回はコメント欄を開けていますので、よろしければどうぞご意見をお寄せ下さいませ。今回参考にしました『江戸東京幕末維新グルメ』には多摩川の鮎や近藤勇と栗の話の他にも、永倉新八が属した靖共隊とにんべんとのエピソードも書かれており、『土方歳三の食事情を探る』というHPでは多摩地方の流通や多摩地方上層農のハレ食などを見ることが出来ますので、おすすめです。
参考HP:『羽村市郷土博物館』
参考文献:『子孫が語る土方歳三』 新人物往来社 土方愛著
『新選組余話』 小島資料館 小島政孝著
『江戸東京幕末維新グルメ』 竹書房 三澤敏博著