『虹の塔』の一角にも新選組関連の展示があります。
▲芹澤鴨と平間重助のキャラクターパネル
▲大河ドラマ『新選組!』新選組水戸派のパネル
▲芹澤家伝薬『筋渡薬』。この薬の作り方は梶無川の河童から教わったと伝えられています。
▲あさくらゆう先生蔵『文書 水戸浪士佐原一件より』
万延2年(1861)正月に佐原において水戸浪士7人は800両を借用していますが、その浪士の中に芹澤鴨、新見錦がいたことを示すものだそうです。▲『鈴木三樹三郎の辞令書』
石岡、かすみがうら周辺は伊東甲子太郎・鈴木三樹三郎兄弟の故郷にあたり、生家跡や墓所等がありますので、いくつか紹介致します。
鈴木三樹三郎は父の死後、父の開いた漢学塾『俊塾』を継ぎましたが、上手く経営出来ず、志筑藩寺内家の養子に入り、山林取締役兼御朱印番の職を得ました。しかし、次第に酒量が増え、勤務をおろそかにしたため、寺内家からも追い出されてこの職を失ってしまい、尊王攘夷運動に参加するため脱藩して、兄の甲子太郎の元に身を寄せたのでした。こちらはかつて『俊塾』があったとされる付近の現在の風景です。現石岡市中央公民館東大橋分館の周辺にあたります。
公民館近くの墓地の裏手、こちらのあたりにかつては『俊塾』があったようです。
かすみがうら市中志筑にはかつて伊東甲子太郎・鈴木三樹三郎兄弟の生家がありました。
千手観音堂の近くです。
千手観音堂の近くです。
今ではそれを示すものは何も残されてはいませんが、
この木が生い茂っているあたりが生家跡だと言われています。
この木が生い茂っているあたりが生家跡だと言われています。
▲『東耀寺』
『東耀寺』には伊東甲子太郎・鈴木三樹三郎兄弟の実家の墓所があり、鈴木三樹三郎はここに眠っています。
参考HP:『新選組!』のおと
『茨城県かすみがうら市立 志筑小学校』HP