山岡鉄舟によって建立された『全生庵』には、鉄舟と交流の深かった落語家の三遊亭円朝が生前収集した幽霊画が所蔵されています。
それらは50幅もあると言われ、現在では『円朝まつり』の期間である8月1日から31日まで、寺内の展示室で一般公開されています。
■円山応挙 幽霊画
描かれた女の幽霊の表情は静かでおどろおどろしさはなく、むしろ気品の良さを備えています。
筆者不詳のこの応挙の幽霊画の模写と思われる画も展示されていましたが、こちらは女霊の目付きもきつく、表情もがっしりと描かれ、より怖いものになっています。描かれた紙が黒く陽に焼けてしまっていることもあり、どろどろとした感じです。
■歌川広重 瞽女の幽霊
水辺は幽霊の現れやすいところだと言われています。この画は幽霊の出現する場所をよく考え、上手く組み合わせた構成となっています。
■兵藤林静 雨中幽霊画
幽霊は水のあるところに現れる…篠つく雨の中、不思議と燃え盛る人魂の炎の向こうに佇む幽霊の表情が本当に生々しく描かれています。
■川上冬崖 生首を抱く幽霊
男の生首を抱いた女の幽霊を描いたもので、生首のちぎれた首元と、女の口元の血が鮮明に描かれています。
■一静 一節切を持つ幽霊
ぬらりひょんのような後頭部の長い、恭しく一節切を捧げ持つ男の幽霊が描かれています。
■中村芳中 枕元の幽霊
奇妙にゆがんだ口元や瘤を持ったような顔面描写は『四谷怪談』のお岩や『累ヶ淵』の累を思い起こさせますが、ユーモラスな画風で後味の悪さを感じません。
■歌川国歳 こはだ小平次
蚊帳の上から覗く小平次はより人間に近く描かれ、幽霊の恐ろしさというより、妖怪の怖さとユーモラスさを感じる画風となっています。
しかし、それとは逆に伝承されている『怪談小幡小平次』は夫婦の因果・歌舞伎役者の復讐の物語です。
歌舞伎役者で「幽霊小平次」の異名をとる小幡小平次でしたが、その親友左九郎は小平次の女房お塚と密かに情を交わしていました。小平次が邪魔になった左九郎は小平次を夜釣りに誘い、舟上で殺害してしまいます。邪魔者を消して、お塚の元に向かった左九郎でしたが、殺したはずの小平次は左九郎より一足早く帰宅し、床に伏せっていると言います。床についている小平次はもうこの世の人間ではない…。言葉もなく、床にいる小平次を見つめるお塚と左九郎。その後、昼となく夜となく、ときには左九郎とお塚の情事を蚊帳の外から恨めし気に覗く小平次の幻影に怯えることとなり、二人はそれを振り払うために旅に出ますが、行く先々でも小平次の怨霊に執念深く付き纏われ、お塚も左九郎も無惨な最期を遂げたと言います。
■南海 姑獲女図
姑獲女は難産のあげく亡くなったり、子供を死産した女の妖怪で、赤ん坊を抱き、下半身には血まみれの腰巻をまとっています。人間を追いかけ、赤ん坊を抱かせ、赤ん坊を抱くのを断ると祟られてしまうといいます。赤ん坊は抱いているとどんどん重くなり、身動きが出来なくなってしまいますが、それでも抱き続けることが出来れば、姑獲女は去っていき、時にはその礼として非常な腕力を授けてくれるとの伝承もあります。
■勝文斉 母子幽霊図
赤ん坊を抱いた幽霊を描いたものですが、幽霊の佇む木柱の扉が開き、強烈な光から母霊の顔だけが映し出されたような不思議な構図です。
■禮朴 蚊帳の前の幽霊
行燈の前を通り、蚊帳の前に進む幽霊の姿を描いています。幽霊の後ろ姿を描いた珍しい画題です。
■月岡芳年 宿場女郎図
「血まみれ芳年」の異名をとり、おびただしい血が流れる残酷な場面を描いた芳年の血みどろ絵は、江戸川乱歩や三島由紀夫らといった文学者にも愛され、彼らにさまざまなインスピレーションを与えてきました。この「宿場女郎図」は結核でやせ衰えた遊女が階段に上がる途中振り向いた様を描いていますが、芳年は抑圧されたまま死にゆく女性の心の叫びを幽霊として捉えていたのではないでしょうか。ちなみに私は芳年の画風を汲んだ丸尾末広や花輪和一の絵も大好きです。「ちびまるこちゃん」で丸尾くんと花輪くんの絡みがあるとこの二人の絵や名前を連想してしまうのは、もはや病的といっていい程だと思います。丸尾末広に影響を受けて描かれた古屋兎丸の「ライチ☆光クラブ」も非常に好きな作品です。
■河鍋暁斎 幽霊画
歌川国芳に師事した月岡芳年と兄弟弟子の関係にあたる河鍋暁斎の幽霊画も円朝コレクションにあり、月岡芳年と河鍋暁斎の絵を同じ部屋で見ることが出来た興奮は未だ醒めやらぬといったところです。暁斎は最後の妖怪絵師と呼ばれ、若干9歳にして出水騒ぎの際、川で拾った男の生首を写生し、周囲を吃驚させたと言います。
■佐竹永湖 幽霊画
屏風の前に立ち、衣の裾を振り返る女。その視線の先には乱雑に捨てられた手紙が転がっています。女には足があり、手紙に込めた想いが無にされ、自ら生霊となる女性の執念が描かれています。円朝の「真景累ヶ淵」の豊志賀を彷彿とさせる一枚です。
■池田綾岡 皿屋敷
「番町皿屋敷」も非常に有名な怪談ですが、この絵は封建社会の影で痛めつけられ、無念の死を選ばざるを得なかった女の哀しみが美人画の体裁で描かれています。菊の絵が描かれ、金砂子を美しく蒔いた襖の陰に、袖で顔を隠してはいますが、若く、美しい女性の姿が見えます。この女性こそこの物語のヒロイン菊であり、奉公先の主人に見染められたのをその妻が嫉妬して殺されてしまったとも、主人の誘いを頑なに拒んだため、主人からの愛憎入り混じる思いがこのような悲劇を産んだのだとも伝えられています。
■鰭崎英明 蚊帳の前の幽霊
この画も美人画といえるような幻想的な美しさで、幽霊画の一般的な概念とは一線を画していました。哀しみが艶っぽく描かれている、いやそう感じてしまうのは不謹慎だと葛藤にかられてしまう一枚です。
■伊藤晴雨 怪談乳房榎図
「怪談 乳房榎」も「牡丹燈籠」や「累ヶ淵」と並ぶ、円朝の怪談噺の傑作で、夫婦の因果・父子の敵討の物語です。
元武士で絵師の菱川重信は美しい妻おきせとその間に生まれた真与太郎の親子三人で幸せに暮らしていました。良からぬ思惑を抱き、弟子入りを申し出てきた磯貝浪江をそうとは知らず、迎え入れてしまいます。重信の留守中宅に入り込み、かねてよりおきせに懸想していた浪江は息子の真与太郎を人質にむりやりその想いを遂げたのでした。何度か関係を強要されるうち、おきせの心は浪江に傾いていきました。浪江は重信家の下男をそそのかし、重信を闇討ちにしてしまったのです。ですが、重信の仕事場に来てみれば、殺したはずの重信の姿が!その後、墨痕鮮やかな画幅を残し、重信の姿は消えてしまいました。浪江はおきせと所帯を持ちましたが、真与太郎の存在が疎ましくて仕方ありません。再び下男を使って真与太郎を滝壺から落として殺そうとします。ですが、その時重信の霊が現れ、我が子を抱き取り、助け、下男の非を責めながらもこれを許し、諭して、真与太郎を育てて敵を討たせてくれと頼み、消えて行きました。おきせは浪江の子を身籠るも死産し、乳房の病に侵されて絶命し、浪江もついに真与太郎によって討ち果たされてしまったのです。この画には我が子が滝壺に落とされそうになったとき現れ、それを抱きとめた鬼気迫る重信の姿が描かれています。
■尾形月耕 怪談牡丹燈籠図
「牡丹燈籠」も円朝の代表作の一つですが、ヒロインの女霊お露と下女のお米が骨のような姿で描かれています。
萩原新之丞は妻を失い、無気力な日々を過ごすうち、盆入りの夜、牡丹の花が鮮やかに描かれた燈籠を下女に持たせ、夜道を歩いている美女に出会います。夜道は危ないからとその女を自分の家に招き入れ、深い仲となり、夜毎女は牡丹の燈籠を捧げ持って新之丞の家に通うようになりました。新之丞は女と関係を始めた頃からみるみる衰弱していき、顔には死相が現れています。それを見た隣人は女の正体が幽霊であることをつきとめ、新之丞に進言しますが、女を恋しく思う気持ちを抑えられず、結局新之丞は女の霊にとり殺されてしまいました。その後、新之丞とお露と思しき若い二人連れの幽霊が町をそぞろ歩くという噂が立ち、それを見た者は重い病に侵されると言われ、町の人々を震撼させたのでした。
今回これらの円朝コレクションを拝見し、幽霊画、とはいっても結局は普遍的な人間の本質を描いたものなのだなと感じました。だからこそ、それにインスピレーションを受けて書かれた円朝の「累ヶ淵」や「牡丹燈籠」は今読んでも面白いですし、幽霊画も時代を越えて今も描かれた当時と同じ魅力を放っているのでしょう。
参考文献:Books Esoterica 第24号『妖怪の本』学研
Books Esoterica 第25号『幽霊の本』学研