徒然探訪ー筑波山神社ー | 徒然探訪録

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筑波山では2月16日より『第40回筑波山梅まつり』が開催されています。梅まつりを見に行ったその足で『筑波山神社』をお参りしてきました。

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境内へと続く階段を上っていくと、『藤田小四郎像』があります。藤田小四郎は藤田東湖の四男で、尊王攘夷派の志士でした。若干23歳で、田丸稲之右衛門を総帥として迎え、天狗党を結成します。攘夷を決行させるために日光を占拠し、幕府及び諸藩の説得を試みましたが、この計画は頓挫し、日光ではなく太平山にて兵を募りました。1000を超える多くの兵を集めることには成功しましたが、次第に暴徒化し、兵糧の確保や宿陣を理由に惨殺・強盗などを繰り返したため、周囲の住民から恐れられ、忌み嫌われるようになってしまいました。新選組の前身となった浪士組を結成した清河八郎も尊王攘夷の思想を強く持っていたので、この挙兵に賛同し、天狗党に入党しましたが、このような惨状を目にし、天狗党とは距離をおくようになります。幕府もとうとう天狗党追討を命じましたが、向かった幕府兵は返り討ちに合い、敗走。敗走した幕府兵たちは水戸城を占拠、天狗党に関わる者の家に火を放ち、その家族を虐殺したりしました。それに追い打ちをかけるように一橋慶喜が天狗党の討伐に動き、天狗党は朝廷に攘夷を訴えるために擁立しようとしていた人物に追われる形となってしまいます。追い詰められた天狗党は投降しましたが、厳しい取り調べの末、実に斬首350名という壮絶な最期を迎えることとなりました。
藤田小四郎も斬首に処せられ、故郷の水戸でさらし首にされたと言います。

『さく梅は 風にはかなくちるとても にほひは 君が 袖にうつして』

藤田小四郎の辞世の句だそうですが、若くして散っていった彼も愛する人とこの花を眺め、少しでも心安らぐ時があったのなら、救われる思いがします。



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▲『筑波大御堂』。坂東三十三観音霊場第二十五番札所。こちらにある『祈願石』。もろもろの願いごとを石に手をふれて御祈り下さいとありましたので、少々お願い事をしてきました。


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▲筑波山神社へ。家光公より寄進された『八脚楼門』


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▲境内にある『大杉』。樹齢700年、37mもあり、筑波山神社のパワースポットの一つとなっています。


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▲拝殿。梅まつりの季節だからだと思いますが、この日は平日にも関わらず、参拝する人が絶えることはありませんでした。


参考HP:『筑波山神社HP』  
      『茨城県林業技術センター』  
      『ねずさんの ひとりごと』