『「次は宇都宮城を攻めればいい」
と、歳三は大鳥の迷いを見ぬいているかのように断定した。
……(略)
歳三はいった。
「では、あなたは次はどこを攻めるのです」
「ここを」
と大鳥は地図の上で、ちょうど小山から北西二里半の地点を指で突いた。そこは
壬生
である。壬生には四方三町ばかりの小さな城塁があり、鳥居丹後守三万石の城下である。すでに少数の官軍が入っている。が、なにぶんの小城だから、ひとひねりにつぶせるはずだ。
「この壬生を通過する。先方から仕かけてくれば戦闘するが、さもなければ一路日光へゆく」
日光へゆく、という最終目標は、すでに軍議できまっているところである。
歳三はそれを良案としていた。日光東照宮を城郭とし、日光山塊の天嶮に拠って北関東に蟠踞すれば、官軍も容易に攻められないだろう。そこで官軍を悩ますうち、薩長に不満をもつ天下の諸侯どもがともに立ちあがるにちがいない。建武の中興における楠正成の戦略上の役割りを、この軍は果たそうというのである。日光は徳川の千早城になるのであろう。
「まあ、壬生はいい。しかし宇都宮城を捨てておいては将来、禍根をのこしますぞ」
「……」
歳三はさらにいった。
「宇都宮は、兵法でいう衢地である。奥羽街道、日光例幣使街道をはじめ、多くの街道がここに集まり、ここから出ている。他日、官軍が日光を攻める場合、この宇都宮に大兵を容れて兵を出すでしょう。この城は取っておかねばならない」
……(略)
「兵三百に、今魯閣した砲二門を借りようか」
と歳三はいった。
「たったそれだけで陥せる、とおっしゃるのか」
「陥せる」
すでに陽は落ちようとしていたが、歳三は、すぐに出発した。
部下は洋式訓練をあまり経ていない桑名藩兵を先鋒とし、伝習隊、回天隊の一部がこれにつづいた。
副将は、会津藩士秋月登之助である。
夜行軍してその夜は街道の民家に分宿し、翌日は宇都宮城下へ四里、という鬼怒川東岸の蓼沼に宿営して、ここを攻撃準備地とした。
……(略)
一方、本隊をひきいる大鳥のもとに、壬生藩から使者がきて、
ー当城に官軍の人数が入っております。もし城下をご通過になれば戦いは必至、われわれ徳川譜代の家としては板ばさみになり去就に迷います。それに城下が戦場になっては庶人が迷惑しますので、日光にむかわれるならば、栃木をお通りくださいませんか。道案内をつけます。
と口上をのべたので、それに従い、栃木へ迂回し、悪路を北上して鹿沼へむかった。栃木から鹿沼へは五里半、鹿沼から日光へは六里余である。
宇都宮城では、この大鳥部隊の行動をみて、
「さては当城を避けたか」
と、香川は手を拍たんばかりにしてよろこんだ。
それが、四月十九日である。
ところがその日の午後、にわかに城の東南に砲車を曳いた軽兵三百があらわれて、有馬、香川を狼狽させた。
有馬はすぐ、城の東方に彦根兵一小隊を出した。
歳三は、その奇襲兵の先頭にあった。
城東の野に彦根兵が現れるや、すぐ兵を散開させて射撃しつつ躍進させた。
歳三は、平然と馬上にいる。その馬側に、「東照大権現」と大書した隊旗がはためいていた。
「おりさっしゃい、おりさっしゃい」
と秋月が、田のあぜに身をひそめながらさかんに声をかけた。
「…………」
と歳三は、微笑してかぶりをふった。自分には弾があたらぬ、という信仰がある。
事実、弾は歳三をよけて飛んでいるようであった。
兵は、遮蔽物から遮蔽物へ走っては射ち、走っては射ちして、近づいてゆく。
歳三は馬上、
「射撃、やめろ。駈けろ」
とどなった。どっと桑名兵、伝習、回天の諸隊が駈けだした。
歳三はその先頭を駈けたが、途中、馬が鼻づらを射ちぬかれて転倒した。
と同時にとびおり、退却しようとする彦根兵のなかに駈け入った。
斬った。
斬りまくったといっていい。そのうち味方がどっと駈けこんできた。
敵は逃げた。
追尾しつつ、城の東南の雑木、竹の密生地に入り、そこへ砲を据えさせ、城の東門にむかって砲撃させた。
「門扉を砕くんだ」
と、歳三はいった。
三発射った。その三発目が、東門に命中し、戸をくだいて炸裂した。
その間、桑名兵の一部を走らせて城下の各所に放火させ、さらに伝習隊には大手門の正面から射撃させ、自分は主力をひきいて、空壕にとびおり、弾丸の下を一気にかけて、東門の前にとりついた。
ちなみに宇都宮城は、徳川初期の有名な宇都宮騒動のために幕府に遠慮し、郭内には建物らしい建物はない。
つまるところ、門の守りさえ破れば、郭内での戦闘は容易であった。
「門に突っ込め、突っこめ」
と歳三は怒号した。
門わきには彦根兵がむらがり、旧式のゲーベル銃を射撃してくる。
こちらはミニエー銃で射ち返しつつ、迫った。
歳三は業をにやした。
新選組華やかなりしころなら、このくらいの距離にまできて、たがいに距離を大事にしあっているということはなかった。
歳三のそばに、かつての新選組副長助勤斎藤一ほか六人の旧同志がいる。
「鉄砲、やめろ、鉄砲をー」
と味方をどなりつけて射撃をやめさせ、
「新選組、進めっ」
わめいて、門内へ突っこんだ。
斎藤一、歳三のそばをするすると駈けぬけるや、槍をふるって出てきた彦根兵の手もとにつけ入り、上段から真二つに斬り下げた。
わっと、血煙りが立ったときは、歳三の和泉守兼定が弧をえがいてその背後からとび出した一人を脳天から斬りさげていた。
ー新選組がいる!
彦根兵は、戦慄した。
どっと門内に逃げこんだ。
そのとき、背後の疎林から射撃している歳三の砲兵の一弾が、城内の火薬庫に命中した。
わずかに火災がおこった。やがて大音響とともに爆発した。
歳三らは、城内を駈けまわった。
「官軍参謀をさがすんだ、参謀を」
歳三は、全身に返り血をあびながらさけんだ。かれらをとらえて流山の仇を討つ。近藤の安否を調べる、-この城攻めは、歳三にとってその二つの目的しかない。
歳三は、郭内をさがしまわった。ときどき逃げ遅れた城兵がとびだしてきて打ちかかってきたが、そのつど無惨な結果におわった。
相手は、この洋式戎服の男が、まさかかつての新選組副長土方歳三とは知らない。
郭内での戦闘は、日没におよんでもやまなかった。
敵も執拗に戦った。
歳三は、左手に松明、右手に大剣をかざして、敵を求めた。
夜八時すぎ、敵は自軍の死体を遺して郭内から北へ退却し、城北の明神山にある寺に集結しようとした。
敵の退却がはじまったときに歳三は、新選組旧同志を率いて、退却兵の松明の群れのなかにまっしぐらに駈け入った。
退却兵のなかから、二、三十発の銃声がはじけ、弾が夜気をきって飛んできた。
なお突進した。
そのとき、すさまじい気合が、歳三の鼻さきでおこった。
避けた。
斬りおろした。
たしかに手ごたえがあった。が、敵の影は斃れず、そのまま敗走兵のなかにまぎれ入った。
それが有馬藤太だったらしい。
歳三の剣は、有馬の胸襟を斬り裂いたようである。
がかすった。有馬は一命をとりとめ、担送されて横浜の病院で加療し、のち回復した。
「燃えよ剣(下)」(新潮文庫)司馬遼太郎著 より』
▲『須賀神社』の小さな祠が目印になります。こちらから簗瀬橋側に向かって東門が建っていたようです。