徒然探訪ー上野ー | 徒然探訪録

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御茶ノ水・湯島界隈の散策記事の途中ですが、都内の雪景色は珍しく、昨日上野に立ち寄った時に撮影したものを載せておこうと思います。

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上野駅の中に『みどりのキッチン』というお店がありますが、私は上野駅に来るとよくここを利用しています。昨日もここで遅めのランチを取りました。今回注文いたしましたのは『菜の花と豚肉の生姜焼丼・冬大根とホタテのレモンサラダ』。お味噌汁とお新香がついて¥1000でした。私は菜の花が大好物なのです。

上野駅を出ると、まだ道路にはかなり雪も残っていて、凍結しているところもありました。足元に気をつけながらこちらへと。

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彰義隊のお墓です。こちらにも雪が積もり、ここに眠る隊士たちも寒そうです。

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説明板にはこのように書かれています。
『十五代将軍徳川慶喜の一橋藩主時代の側近家来であった小川興郷らは、慶応四年(1868年)、大政奉還をして上野寛永寺に蟄居した慶喜の助命嘆願のために同士をつのった。そこには徳川政権を支持する各藩士をはじめ、新政府への不満武士、変革期に世に出ようとする人々が集まり、「彰義隊」と名乗り、やがて上野の山を拠点として新政府軍と対峙した。旧暦五月十五日の上野戦争は、武力に勝る新政府軍が半日で彰義隊を壊滅させた。
 生き残った小川ら隊士は、明治七年(1874年)にようやく新政府の許可を得て、激戦地であり隊士の遺体の火葬場となった当地に彰義隊戦死の墓を建立した。なお、遺骨の一部は南千住円通寺内に合葬されている。以後、百二十年余りに渡り、小川一族によって墓所が守られてきた。現在、歴史的記念碑としてその管理は東京都に移されている。』


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寛永寺清水観音堂も雪の中。寛永寺もそのほとんどが戊辰戦争で焼失してしまいましたが、そんな中でも現在まで残されてきたのかと思うと、余計にこういった四季折々の景色を感慨深く思うものです。


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『正岡子規記念球場』に広がる真っ白な雪の絨毯。正岡子規は東京大学予備門時代にベースボールに熱中していたと言います。幼名の昇から『野球(の・ボール)』という雅号を持っていた程です。野球を題材にした短歌や俳句も多く残しており、『打者』、『走者』、『四球』などという野球用語を日本語に訳したのも子規でした。新聞や自身の作品において野球についての詳しい解説や紹介をして野球の普及に貢献したことを認められ、2002年に野球殿堂入りもしています。司馬遼太郎の『坂の上の雲』は、日本陸海軍に属した秋山兄弟と正岡子規を主人公とする青春群像劇の一面も持つ作品ですが、野球を海軍内に広めたのが秋山真之、文学を通じて広めたのが子規だと言われています。子規は明治19年から23年にかけてこの上野公園内で野球を楽しんでいました。子規の『筆まかせ』という随筆に捕手としてプレイした試合のことが綴られています。

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『春風や まりを投げたき 草の原』
『正岡子規記念球場』の前には句碑が建てられています。

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彰義隊のお墓の前にちょっと困り顔をした雪だるまが雪この日はこの付近で雪遊びをしていた子どもたちの姿も見かけました。ここに眠る隊士たちもこのような風景を微笑ましく見守っていたのではないでしょうか。

参考HP:『坂の上の雲マニアックス~「坂の上の雲」人物列伝~』