「ピエゾ素子」というのがある。別名「電圧素子」。

電圧を力に変換させる受動素子で、最近では振動型スピーカーなどに使用されている。

とても簡単に説明すると、音の信号を伝えると、こいつが変形するのである。といっても、大きく変形するわけではない。ほんの少し変形するのであるが、ほんのわずかなレコード盤の溝で音が再生できるように、音を再生するための「変形」は大きくなくても良い。

 

これまでロボットを動かすための機構としては、歯車的・ピストン的な考えが主流を占めてきた。

そういう考えを基に作られてきたので、例えば人型ロボットの場合、どうしても本物の人間とは動きが違う。一言でいえば動きが鈍いのである。

 

私は、ピエゾ素子のことを考えていて気づいた。

もしかすると、これを活用すれば、新たな機構が発明されるかもしれないのではないか。

 

骨と筋肉の関係のように、二重構えの機構でロボットを動かしてはどうか。

骨となる部分には基本的に形状の変化は必要ない。関節部には捻りや回転が可能な仕組みを施す。

そして筋肉部にはピエゾ素子(電圧素子)を使用する。といっても、使用する素子は小さなピースで組み合わせ、それで全体像を構築させる。正多面体のピースが良いかもしれない。ロボット細胞といったところか。

 

このピエゾ素子からなるロボット細胞のそれぞれに、音響的な信号(動きに対し、どのような音響的信号を与えれば良いのか、そのへんは研究と巧妙なプログラミングとが必要となるだろうが)を与え、個々のロボット細胞を変形させる。例えば、腕を曲げる動作の場合には、肘の外側のロボット細胞を一気に伸ばし、内側は一気に縮める。これによって、歯車的・ピストン的運動に比べ、格段に素早く柔軟な動きが実現するようになる。

 

ただし、ピエゾ素子を利用した場合、、、防音対策には苦労するかもしれないが。。

 

きっと、もっと人間的なロボットを開発するためには、これまでの延長線でのアレンジでは届かないだろう。上記のような、思い切った斬新なアイディアでなければ、無理なような気がする。

 

 未来の洗濯機には洗剤が必要なくなると思う。

電解水とか、イオン水とか、そういうのを機械内で生成させ、これでもって洗う。

 

 近い将来、きっと洗濯機はそんな感じになると思う。

財政難に陥った徳川綱吉の時代、勘定吟味役の荻原某の主導により、新しい小判の鋳造が行われた。

それまでよりも黄金の含有率を三分の二まで下げた小判を大量に鋳造し、世間に流したわけである。

その結果、一時は幕府の財政を潤すことになったが、そのツケは数年後に支払うことになる。

未曾有のインフレーションを引き起こしたわけである。

 

そんなのは当然の結果であった。

実際には景気が良くなったわけではないのに、金だけ多く出回ったわけで、つまり経済の空洞化が生まれてしまったわけだ。

 

その昔、アメリカでは、国策としてダム建設を推進した。

紙幣を大量に刷り、地方などから失業者を集め、刷った金を使って仕事をさせる。

これにより失業者も収入を得るわけだが、ダム建設という国策にはこの後の狙いがあった。

ダム建設による生活インフラの充実により、外貨獲得を狙ったわけである。

 

日本では、これを真似して、昭和の東京オリンピックの前に、首都高をはじめとする高速道路の建設をはじめた。大量の紙幣を刷って、高速道路工事のため労働者を募り、金をばらまいた。

ただし、これもアメリカのダムと同様、オリンピックを皮切りに外貨を稼ぐことが目的であった。

 

時代も時代である。これは成功した。そして日本は急成長を遂げて言った。

 

さて、アベノミクスとやら。

安倍は日本銀行に紙幣をガンガン刷らせ、国民に株と国債を買わせまくった。

結果、日経平均株価は上昇し、過去最高高値をマークするほどになった。

そして経済とかの専門家ははしゃぐ。

これが安倍の制作の成功なのだそうだ。

金持ちも喜ぶ。

日経平均株価が上がっているので安心なのだ。

 

ただし、忘れてはならないことがある。

大量に紙幣を刷った後には、外貨を稼ぐことは必須だ。

しかし、安倍はそこまで考えていない。

おそらく、次の東京オリンピックで稼げると、甘い妄想を抱いているに違いない。

しかし、安倍の紙幣印刷は、何のインフラを整えるものでもない。

ただ「株価」という、バーチャルな経済グラフをあげてみせたに過ぎない。

 

この制作は、綱吉の小判鋳造に似ている。

砂を多く含ませた小判を大量に鋳造し、もとにあった予算より1.5倍に膨らませたわけだが、これによって整ったインフラはない。したがって、数年後に悪夢のようなインフレを引き起こすわけである。

 

安倍の経済制作も、砂を混ぜた小判と同じだ。

このツケは、数年後に確実に訪れるであろう。

その時、経済とかの専門家たちは、今度は何というのだろうか。

 

綱吉といえば犬で有名な殿様だが、安倍もまた「お犬様」の愚策を繰り返している。

 

 

 

 

 

 

 

 

以下、私の友人のブログに書かれた経験談である。

そのまま引用する。

 

 

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ヴィパッサナーとかいう瞑想カリキュラムがある。

 

古くからの知人「榎木くん(仮)」は、数ヶ月前に「ヴィパッサナー」を知ったようだが、10日間からなるこの瞑想コースを一度体験したことから、最近ではすっかりヴィパッサナー瞑想の伝道師気取りだ。

 

私は、冤罪により1年1ヶ月もの期間、名古屋拘置所の独房に勾留されていた。「勾留」すなわち監禁であり拘禁である。

私の勾留生活は特別であった。冤罪だったからだ。

日本には「人質司法」という言葉があるが、私の勾留はまさにそれであった。

事件の被疑者となった際、その容疑を容認すれば、凶悪犯罪でもない限り、比較的早い時期に保釈されることになるが(それでも日本の刑事事件における勾留期間は世界一の長さで、国連などから非難轟々である)、否認した場合には、延々と独房に閉じ込められることになる。

私の場合、当局による誤認逮捕というべき事件であったため、本来であれば最長でも23日間の勾留で釈放されるべきところ、メディアが起こした時流により事件が注目されてしまったことから、ムキになった検察の謀略により、その勾留期間は異例の長さとなった。

 

榎木くんは、10日間の瞑想コースで、己が起こす騒音に気づいたそうだ。心静かに己と向き合ううちに、最も煩いのは自分自身であることに気づいたのだという。

 

私は元々、若い頃から武道を学んでいたし、禅にも興味を持っていたので、京都在住時代にはちょくちょく禅寺に修行の真似事をしにいったものだ。

ちなみに、榎木くんがようやく気付いたという「己が煩い」については、禅修行のうちでは、まずは誰もがこれに気づかねばならない初歩の初歩。まず最初にこれに気づかねば、その後の修行は決して進まない。

悟りから最も遠いような存在である榎木くんがこれに気付いたことは奇跡かもしれない。それはすごいことだ。

しかし、自分が初めて気付いからといって、他人がまだ知らないと思い込むのは正しくない。

 

一年一ヶ月の独房生活を送った私は、冤罪であることを主張しつつ、検察による明らかな人権蹂躙(監禁、辱め)に耐え抜き、人格を失わないまま保釈まで耐えた。ちなみに一年一ヶ月に及んだ私の勾留期間のうち丸一年は接見禁止がついていた。

接見禁止、すなわち弁護士以外との一切の接触を禁止(面会だけでなく手紙のやりとりも禁止)されていたのである。外部に対し、どころか、身内に対しても自分の意思を伝えることが禁止されていたため、まさに己と向き合うことでしか時間を過ごすことが出来なかった。

 

己が煩いなどという気付きは、当然のとこながら独房生活の前から知ってはいたが、もちろん独房の中でもその気付きは繰り返された。

人と会話が出来ない期間は、390日にも及んだ。

その間、一定の姿勢で座り続けなければいけないし、接見禁止がついていたため外部との連絡は取れず、自分の意思を家族にすら伝えることが出来ない。検察は冤罪と知るや否や、私への拷問を徹底して強化した。何一つ証拠もないうちに全国報道までされた。

誰とも会話出来ないままにそういう状況を独房の中で知る。これはまさに拷問であり、「己が煩い」に気付いたといって喜べる状態ではない。

 

月に何回かは同じ階の独房で問題者が出てくる。

真夜中に壁を叩き、大声で騒ぎ、しまいには壁に頭を打ち付けはじめ、、、。

私は同じ状況にあるからこそ、その気持ちがよく理解できる。

しかし、そんなことをしても、何も始まらない。だからこそ、そういう問題児が出ると、さらに自分を戒める。

どんなに苦しくとも、どんなに気を荒らされようとも、決して興奮しない。

興奮する暇があったら、法を勉強し、裁判に向けて資料を整理し、文章を綴り、とにかく自分を内面から出なく、外部から別人格で見つめることで、心を鎮めた。

 

榎木くんは、そんな経験をした私に、ヴィパッサナー瞑想10日間コースを「受けるべき」と言うのだ。

そして、散々に「自分が一番煩いことを知った」と嘯く。

それが榎木くんにとって一番の自慢だったようだが、その榎木くんの行為こそ非常に「煩かった」。

 

そして榎木くんの奥さん。

この人もナチュラリズムでオカルト主義を擬態するタイプであるが、ヴィパッサナー瞑想について私にこういった。

 

「とにかく信じなきゃだめ」

 

瞑想って、そういうものだったっけ?

ヴィパッサナー瞑想の真価について私は何も知らないが、少なくとも、榎木夫妻によって知らされた「ヴィパッサナー瞑想」は、私の最も嫌いなパターンの自己啓発セミナーにしか映らなかった。

 

ヴィパッサナー瞑想を本当に知る人にこそ、このブログは読んで頂きたい。

こういう輩を野放しにしないで欲しい。

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私はこの話を聞いて、ヴィパッサナー煩わしい、、、と思った。

 

中一の頃だったか、初めて自分の金で買ったアルバム、それはロックとかじゃなくて、
久保田早紀の「夢がたり」でありました。

iTunesでふと見かけた「異邦人」、あんまり懐かしいんでアルバムごと購入。
そして視聴。。。おお、懐かしい。
中学の頃は全くわからんかったが、これはラテン系のサウンド。。
結構、格好良いな、これ。


改めてググってみよう。。。ふむ、なるほど。
お父上が怪しい。あんな時代に中近東に。。。
イランの土産に買ってきた、現地の「ユーミン」的アーティストのアルバムにハマり、繰り返し聴き込んだ事で、あんな音を作るようになったそうな。きっとイランのユーミンのアルバムは、ラテン系アレンジだったんだろうなあ。おおかた、歌詞も父上に訳してもらったのであろう。そういうのに影響されて、あんなエロい感じになったのではなかろうか。。

そういう事だったのか、あの大人っぽさは。
それに、今、この歳で聴くと、かなりエロですよ、こりゃ。

中学生時代、かなり聴き込んだなあ、久保田早紀。
ずっと聴いてなかったのに、アレンジの隅々まで覚えてる。

そして、ふと、我に返る。
こんなものを12~13歳で聴きまくっていたのか。
やばいなー。すげえマセガキ、しかもエロガキだった、という証拠になるなー、こりゃ。

さらに曲を進める。。
おおお、そそる、そそられるー!
そんなお歌うたってると、おじさんが守ってやりたくなっちゃいますよ!

そして再び我に返る。
いけね、あの人、今55歳くらいだよな。

思春期の脳みそに、あんなに聴かせ続けたもんだから、きっと何かを刻み込んでしまったのだな。
あるいは、凄いのは、夢がたりというアルバムの魅力の方なのか。。

久々に、歌謡曲の良さにやられた。