やっぱ武市半平太やったな、この人は
はい、意気消沈のnzです。
だから今日はゲーム以外の話題を。
さて、今日のタイトル、正直わけがわからんと思います。
ですが、最後まで読んでいただければわかってもらえるかと思います。
ということで今日は、今最もホットな話題を提供し続けている
あの会社の、いまや元代表取締役のこの人のお話。
それは!!
このひと。
またこの人の話かよ!!って思われた方。
僕はおそらくぜんぜん違う話をするはずなのでまあそんなこと言わずに見ていって頂戴。
さて、このたびついにというかまさかというか、
ライブドア元代表取締役「堀江貴文」容疑者が逮捕とあいなりました。
正直なところ、堀江氏の逮捕に関しては僕はなんとも思わなかったです。
別に興味のあるところではなかったので。
さてさて、そろそろ本題に触れようかと思います。
が、タイトルに記してある、
「武市半平太」とはだれぞや?って言う人が結構いてそうなのでまずさらっとご紹介から。
武市半平太・・・・土佐長岡郡吹井村の郷士、武市半右衛門の子として文政12年生まれる。
江戸に渡り、江戸の桃井春蔵の剣道場に入門。鏡新明智流の剣客として名をはせる。
文久元年、長州の久坂玄瑞などと会して薩摩、長州、土佐三藩が提携し、尊攘運動を推進することを約束し帰国。
帰国後、土佐勤王党を結成、盟主となる。
盟約書には、坂本竜馬、中岡慎太郎など総勢192名が署名血判。
まず最初に、当時土佐藩の藩政を握っていた佐幕派の参政、吉田東洋を暗殺。
これにより当時佐幕色濃かった土佐藩を尊皇攘夷に傾け、
文久2年、山内容堂に従い京に上る。
この途中、坂本竜馬は土佐の藩論には期待できないとし、土佐を脱藩。
その後、武市半平太は「天誅」、いわゆる暗殺の効果の大きさを知り、
配下の人斬り「岡田以蔵」「田中新兵衛」らを使い次々と佐幕派の重鎮を暗殺。
しかし、このとき一緒に京に上った山内容堂は公武合体派で、武市の行動を憎み、
文久3年に土佐勤王党の弾圧をはかる。
結局、武市半平太はその後の8月18日の政変により勢力を失い同士数名と投獄。
在獄生活2年の後、慶応元年に切腹。享年37歳の一生を終える。
こんなもんかね?わかりにくい言葉を説明していきますと。
佐幕派、尊皇攘夷とは幕末の思想のことですね。
佐幕派が幕府の味方、尊皇攘夷は幕府を倒すほうです。
で、公武合体派ってのは説明すんのが邪魔くさいので幕府側の味方と考えてください。
その他、人名とか説明すると時間がかかりますので省略。
ここで大事なところを要約すると、
・坂本竜馬と武市半平太は志同じくした同士であった
・武市半平太は無理な攘夷活動を行っていた
・その武市のやり方、及び土佐の藩論に期待ができないと思った坂本竜馬は途中で
土佐勤王党を脱退、同時に土佐を脱藩している。
以上この三点のみ。
これだけ覚えていてください。
なに?いつもならURL貼ってるくせに何で今回に限ってクソ長い説明文があるんだって?
しょーがねえだろ!!参照したかったページが転載不可だったんだからよ!!
だから自分で書くしかねえの!!
ちなみにこれは自分で持ってる資料からの引用ですから。
はぁ、めんどかった・・・・・
そんなことはさておき本題に戻ります。
えーっと、なんだったっけ。
そうそう、「ホリエモン」こと堀江容疑者の話だった。
皆さんは覚えているだろうか?
つか、普通は覚えてるでしょうが。
彼はかつて、広島6区から衆議院選挙に出馬しております。
そのとき世間が彼のことを何にたとえたか?
そう!坂本竜馬ですよ。
確かに、彼の考え方は現代の坂本竜馬といえることだったのかもしれないです。
ですがね、幕末の坂本竜馬の考えってのはね、
倒幕派のほとんどが同じ事考えてたようなもんですから。
そりゃー考え方は人それぞれですけど、
今の日本を変える!!ッて言う考えは全く一緒。
ですから、この時点で「現代の坂本竜馬」って言うのはおかしかったと、
そうおもいませんか?
堀江氏はそのとき日本を変えるスタートラインにすらまだたってなかったわけですから。
まあ、それでも僕はこのときは期待してましたけどね。
またしても個人的な考えになるのですが、あの時点では「亀井氏」よりはよかったと思ったし。
その後でしたか、先だったそうです。スカイさん、つっこみ有難うございます。
あのニッポン放送株問題が起こったのは。
いまいち覚えてないからどっちが先かわからん。
まあ、そんなことはどうでもいいんです。
この衆議院選出馬、ニッポン放送株問題の2つをテレビ等で見て僕が思ったこと。
それは、
「コイツは現代の坂本竜馬やない。現代の武市半平太や」
でした。
だってね、堀江氏の言動、行動などどれをとってもなんか無理やりって感じがしたんですよ。
その「金さえあればなんでもできる」的考え方、
まるで「邪魔者は天誅」の武市半平太の考え方と似てません?
極論的な考え方あたりが。
まあ、若干無理な置き換えですな。
ではそのほかから。
結局、この堀江氏、メディアによく顔を出すようになってから、
一度も大きな取り組みを成功させた所を僕は見てません。
プロ野球新球団加盟、衆議院選挙、ニッポン放送株・・・・・
全部失敗してない?(まあ、ニッポン放送株問題に関してはどうなったのかぜんぜん知らんのだが・・・・
で、そのあとの強気の発言。
僕にはすべてが「負け惜しみ」に聞こえてくるんですよね・・・
そんな人をとってして「現代の坂本竜馬」だって?
片腹痛いわ!!!
・・・・・・すいません。いいすぎですね。
とはいえ、確かにこの人の思考はすごいものがありますよ。
経営術にかけては一流のものを持ってる人ではあるんです。
でないと、あそこまで会社を大きくすることはできないでしょうからね。
さて、話は武市半平太に戻ります。
彼は結局やりすぎたため、投獄の後切腹しました。
ココまで語ればようやくタイトルの意味を理解していただけるかと。
結局堀江貴文氏は堀江貴文容疑者になってしまったのです。
行き過ぎた経営術によって、証券取締法違反の容疑で。
これはまだ容疑者の段階なのでなんともいえないんですが、
このことが原因で堀江氏は「代表取締役」の座を失脚。
ただの取締役に成り下がったわけです。
このことを武市半平太に置き換えると、
やりすぎた攘夷活動のために投獄、土佐勤王党は廃党という結末が今回の事案とそっくり!!
ね?やっぱ武市半平太でしょ?
以上のことから、
堀江貴文容疑者は現代の坂本竜馬ではなく、現代の武市半平太であった。
という結論に至ったわけです。
なんか・・・まとまりないなあ・・・・・
まあ、もともと興味のあった話題でもなかったんでこれぐらいで勘弁。
もともとココはこんなまじめに語るようなところじゃないんで。
なれないことするとこんなもんなんだよ。
あと最後に。
これを読んで気を悪くされた方も多いかと思います。
しかし、逮捕された事実からこういっているだけです。
堀江氏を批判しているわけではないのでそこのところご了承ください。
ちなみに、この話題を取り上げるにあたって、
「ライブドア社長日記」を拝見。
一番最新のブログのコメント数を見てびっくり!!
なんと僕が確認した時点で7,000件ものコメントが!!
前半部分だけ見てみましたが・・・・・・
なんだこれ?ココは2ちゃんか?
って感じの書き込みがずらり。
まあ、興味のある方は一回見に行ってみてください。
ただし、かなり重いよ。
余談
待ちわびている人がいるのかどうかはわからんのですが、
パワプロ、マイライフ3代目十兵衛編、
もうじきスタートです。
いちおプランのほうは完成したのでおそらく明日からリスタートきれるかな?
まあ、前回のような最悪な結末を迎えねえようにしていきたいんでね、
先に予告しておきますが、
今回は「唸る剛速球」はずします。
で、代わりに「背筋230おーばー」つけます。
理由はまた後ほど。
ではでは、お楽しみに~