

「ナビゲーション」
どっちも
使えない。
艱難汝を玉にす(かんなんなんじをたまにす):
人は困難や苦労を乗り越えることによって、初めて立派な人間に成長するということ。「艱難」は、困難に出会って苦しむこと。西洋の諺「逆境は人を賢くする」の意訳。
注:
一人でドライブするのは気楽で楽しいものだが、慣れない土地をドライブするのは複数人のほうが頼りがいのあるものである。ましてやカーナビを装備していれば、怖いものなしである。友人を助手席に乗せ、長距離ドライブにスタートしたものの、「今の看板、俳優の○○だ」「△△が咲いている」「質屋がドライブスルーになってる」など、目視しないと成立しない会話ばかりである。さすがに嫌がらせかと思い始めたところ、「□□さんは運転しながら見つけるよ」とオソロシイ発言が飛び出した。そこへカーナビが「あと50mで左折です」と的確な指示をしたところ、「あっ!」と叫ぶ友人の声。「お?ここで曲がるのか?」と慌てて急ブレーキをかけたものの、まったく関係のない話題が始まった。それでもなんとか到着し、帰路へとスタートしたところ、「目的地周辺です、案内を終了します、お疲れ様でした」という音声が車中にこだました。目的地へと渋滞する列に並ぶことで、自動的に到着したため、カーナビの存在を忘れていた。当てにしていたものが、ここまで使えないと、あきらめを通り越して“悟り”が開けそうである。イライラしたり怒ったところで、どちらの機能も向上しそうにないもんね、…という、日常生活にありがちな“修行”への道。