

「誤解」
究極の
正直者。
嘘も方便(うそもほうべん):
嘘も方便とは、嘘をつくことは悪いことではあるが、時と場合によっては嘘が必要なときもあるということ。目的を遂げるために、時には嘘をつくことも必要になるという意。「方便」とは、仏教用語で、衆生を真の教えに導く為に用いる仮の手段のこと。
注:
直接お会いしてお話しをすると誤解は少ないのに、電話だとトラブルを生じてしまうことは、ままあるものである。それだけに、どんなに正しい内容であろうとも、ちょっとした言葉づかいや行動に配慮がないと、相手の逆鱗に触れてしまうこともあるものだ。風邪が流行って人員不足なところ、経験豊富で立場もある方が、率先して顧客対応に奔走してくれた。その矢先、「態度が悪い」と怒りのクレーム連絡が。とりあえず謝罪はしたものの、「責任者を出せ」と言われたところで、態度が悪い本人が責任者だとは言いづらい。事実に忠実で、理にかなった行動をし、自分の感情に正直な、正義感ある対応は、内容はさておき、相手にとって“傲慢”に映ったようである。なるほど、合理的な正しさは、こちらの感情に配慮してもらえないと、高圧的で嫌な気分になるものだ。とはいえ、そのフォローのために、帰るに帰れないのは辛すぎる。対面では、裏表が無く好感度が高いのに、どうしてこうも違うのか、もう電話には出ないでね、…という、またまた日没後のカナシイ家路。