騏驎も老いては駑馬に劣る(きりんもおいてはどばにおとる) | 今日もぐだぐだ

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「合格までがんばるぞ!」って、実際はそんなに頑張ってねーんじゃね?

「成せばなる、成し続ければ、いつか成る」・・・ってなわけで、日々のダメダメっぷりを「ことわざ」モジって晒すブログ。

ぐだぐだ。だけど、明日も笑顔。そんなカンジでGO。

わんわん今日のダメ出しわんわん

「老化現象」

愛があれば、
わかるはず。

騏驎も老いては駑馬に劣る(きりんもおいてはどばにおとる):
いかにすぐれた人物でも、年老いると働きがにぶり、ふつうの人にさえ負けてしまうことのたとえで、一日に千里を走る名馬でも、老いれば、足ののろい駄馬にさえ劣ってしまう意味から。「騏驎」一日千里を走るという駿馬。転じて、俊才の意味。「駑馬」足ののろい馬。転じて、凡才、愚か者の意味。

注:
毎日同じように思えても、時間の経過とともに、少しずつ変化しているものである。とはいえ、あまりに小さな変化は、たくさん積み重ならないと、気付きにくいものである。久しぶりにご近所の高齢紳士が、犬を散歩させていた。冬毛でフカフカな犬の姿と比較して、飼い主のほうは痩せ細っているようだ。そうした言葉を交えつつ挨拶をしたところ、犬もかなりの高齢で、もともと悪かった足も更に弱り、慣れた道で転ぶようになったとか。動物の老化も、ひとと同じく足元からくるようだ。とはいえ、挨拶程度のカンケイだと、相手の変化に鈍感なものだが、一緒に暮らす家族となると変化に敏感なものである。つまずいたり、転んだり、忘れたり、壊したり…をネタにして楽しく笑い合うだけでなく、“兆し”として受け止めたほうが良いのかもね、…という、家族で進む老化への道。