十で神童十五で才子二十過ぎれば只の人(とおでしんどうじゅうごでさいしはたちすぎればただのひと) | 今日もぐだぐだ

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「合格までがんばるぞ!」って、実際はそんなに頑張ってねーんじゃね?

「成せばなる、成し続ければ、いつか成る」・・・ってなわけで、日々のダメダメっぷりを「ことわざ」モジって晒すブログ。

ぐだぐだ。だけど、明日も笑顔。そんなカンジでGO。

今日のダメ出し

「節分」

まさに、
ガキの使い。

十で神童十五で才子二十過ぎれば只の人(とおでしんどうじゅうごでさいしはたちすぎればただのひと):
幼少時代は並外れてすぐれているように見えても、多くは成長するにつれて平凡な人になってしまうことのたとえ。十歳の頃に「神童」と称され、十五歳になって「才子」と言われるような、才知ある子供でも、成長するにつれてごく平凡な人間になってしまうことはよくある。自分の子を神童と思い込んでいる人に対しては戒めの意で、かつて神童と称された人は自嘲の気持ちを込めて使うことが多い。

注:
住み慣れた地域では、多少の珍しいことがあろうとも、いまひとつ“ぱっと”しないものである。それでも、お祭りとなれば、気分だけは盛り上がる。平日ながら“節分祭”が開催されるので、“福引き・餅まき・どんど焼き”を楽しみに、神社へ赴くことに。その途中、小学生当時の友達に出くわしたところ、「母親と一緒に神社まで行ったのに、しめ縄を忘れて取りに戻ったところだ」と笑わせてくれた。慣れ親しんだ同居中の親子とはいえ、お祭りとなると気もそぞろで、肝心の御用を忘れてしまったようである。とはいえ、御用を忘れるほどに、親子の会話が盛り上がっていたのかも?“ぱっと”しないイベントでも、ひとの営みには大切なのかもね、…という有難い平凡な日常生活。

どんど焼き
小正月(こしょうがつ=1月15日)の行事で、正月の松飾り・注連縄(しめなわ)・書き初めなどを家々から持ち寄り、一箇所に積み上げて燃やすという、日本全国に伝わるお正月の火祭り行事。残り火で、柳の木や細い竹にさした団子、あるいは餅を焼いて食べるという内容で各地で行われる。どんど焼きの火にあたったり、焼いた団子を食べれば、その1年間健康でいられるなどの言い伝えもあり、無病息災・五穀豊穣を祈る民間伝承行事。