

「お迎え」
するのではなく、
されたのね。
抜来報往(ばつらいほうおう):
急いでやって来たり、速やかに去ったりすること。また、たびたび行き来すること。また、往復の旅行で中間の駅を経ずに、急ぎ往復する意から、物事の次第・順序を飛び越えて行うたとえとして用いられることもある。「抜」「報」はともに疾はやい、急速にの意。「抜とく来きたり報とく往ゆく」と訓読。
注:
お盆といえば「ご先祖様が戻ってくるから」と、お墓参りやお供え物など準備をするものである。ましてや近年に、近親者の逝去があればなおさらだ。というわけで、亡き母の三回忌に奔走していた友人から、「入院中の父が、母と同じ日に亡くなりました」との連絡が。ご先祖を“お迎え”するつもりが、ご先祖が“お迎え”に来てくれたようである。夫婦そろって“お盆が命日”とは、なんと子孫孝行なことだろう。ここまでされると、先祖供養を蔑(ないがしろ)にはできないよね、…という、友人のご先祖にみる、見えない世界への感謝の気持ち。