

「殺生」
ううっ…。
吸いこんじゃった。
世渡りの殺生は釈迦も許す(よわたりのせっしょうはしゃかもゆるす):
生活や仕事のためならば、多少の不道徳やむごい行いもやむをえないということ。仏教では殺生を禁じているが、暮らしを立てるための殺生であればお釈迦様でも許してくれるというわけで、生活のために必要ならば、多少あくどくなったり、過失を犯したりするのは仕方がないということのたとえ。
注:
身近な存在が亡くなると、命の尊さを思い、できるだけ殺生はしたくないと思うものである。小さな虫が飛んでいても、小さければ小さいほど、命の重さを感じてしまい“退治”できない。そんな中、数日前から、なぜかPC回りで飛んでいる一匹のコバエ。深呼吸したはずみで、思い切り吸いこんでしまった。あわてて“うがい”をしたものの、コバエは御陀仏に違いない。過失とはいえ、無実の証明はムツカシイ、ごめんなさい、…という、命への謝罪と感謝。