

「とことん」
“師”となると、
レベルが違うなあ。
深謀遠慮(しんぼうえんりょ):
将来のことまでよく考え、計画をたてること。また、そのようなはかりごと。「深謀」は奥深い見通しをもったはかりごと・考え。「遠慮」は、ここは将来について考え巡らす、遠く先のことをおもんぱかる、よくよく考える意。
注:
日頃お世話になっている人や、教えを乞うている方に御歳暮を贈ることは、どんなに心をこめたところで儀礼的になりがちだ。そのため、送ったほうは「送った」ことで安心し、送られたほうは「受け取る」ことで、やりとりは円満終了する。ところが、贈った相手が“師”と仰ぐレベルになると、意識レベルも高いようで、“お返し”が届けられることがある。しかも、枯渇したタイミングで“珈琲”を送って来ようとは、驚くべき洞察力。“師”となると「見えない何か」が見えているのだろうか?学びどころが多すぎて、学びきれないよ、とりあえず珈琲に感謝!…という、いろいろな意味でのありがたさ。