// ----- >>* Initialize Division *<< //
// TimeLine:251005
// NOTE:
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
治療の止め時とウィーケストリンク。
SUBTITLE:
〜 Like that weakest link. 〜
Written by BlueCat

// ----- >>* Body Division *<< //
//[List]

 

//[Body]
251005
 
 昨年末から体調が悪い。
 5月には皮膚粘膜に影響が波及し、9月には根尖性歯周炎が発覚してまたもやインプラント施術を受けることになった。
 今回は歯の治療のためというよりは骨の治療の為なので、施術部位にかなりの負担を掛けたようで、1週間ほど頬(顎の骨周辺)が腫れた。
 
>>>

【個性は肉体に宿る】

 養老孟司さんが言っていたのだと記憶しているが、人間の個性というのは考え方や価値観ではなく、身体により強く現れる。
 考え方や価値観などというものが突飛で群から逸脱していれば確かにそれは個性的だが、社会性という物差しで考えた場合、その逸脱はときに犯罪やテロリズムやカルト宗教のように異常で危険な傾向を生み出す源泉とも見なされかねない。
 
 もちろん新しい価値観が群れにとって必ずしも悪いものではない。
 たとえば現代では一般的な冷蔵庫や炊飯器といった家電品もかつては珍妙奇異な道具であり、電気を消費するうえ使う者を堕落させるという理由で批難忌避されたと聞く。
 携帯電話も一時期は「電話番号を記憶する能力が失われる」と言われていたし、事実、現在の社会で電話番号を記憶する人などほとんどいないだろう。
 それで人間はどれほどの記憶能力を失い、思考力を失っただろう。
 
 ちなみに僕は炊飯器を持っていないので米を炊くときは鍋を使っている。
 ついでにアンテナに繋がったTVも30年近く使ったことがない。
 しかしそれによって失わずに済んでいるものがあるとは思えない。
 
 価値観は習慣を作り、それが個人や集団に根付く中で文化としての体系を形作る。
 
 いずれにしても個性というのは思想/志向的なものなら少数派のまま推移するに過ぎず(多数派になる場合は一般化されて個性と真逆の性質に変わる)、危険因子なら排除される。
 物性による個体差にもっとも個性が現れ、その端的な例が肉体ということなのだろう。
 
 たとえばアレルギィもそうだ。花粉によるアレルギィひとつとっても千差万別だ。
 にもかかわらず人間達は健康情報を鵜呑みにして「バナナが身体にいい」などと聞くと気でも触れたようにバナナを食べ続けたりするらしい。
 バナナアレルギィの人にとっては「身体にいい」わけがない。それを理解している人であっても、である。
 
 コレステロールもかつては「食品に含まれ動脈硬化を引き起こす悪い成分」という認識だったそれからさらに細分化してLDLとHDLに(その機能とともに)分けられた。
 また体内で必要量を生成する方が食品から吸収するより優先される代謝機能であるというのが昨今の認識である。
 ために食品の含有コレステロール値は以前より騒がれなくなったのだが、未だに古い情報に左右されている人もいる。
 
 僕などは脂質異常症のため定期的に医者に掛かって数値を見てもらっているが、医者が知っているのは広く集約された「一般的な人体」というモデルである。
 医者は僕という個体の持つ肉体について、その概要すら知らない。
 
>>>

【絶食のはなし】

 7月の終わり頃だが、4日間ほど絶食した。
 信仰などの理由ではなく、1日1回ヨーグルトを食べているだけで胸焼けがするようになったから、である。
 飲み物や喫煙は自由だし、糖分やビタミン剤はふんだんに摂っていたから、一般に想像されるような絶食ではない。
 
 しかし4日経ってもさほど筋タンパク分解が起こらず空腹も感じない。
 食費が掛からず便利だと喜ぶべきだろうか。それともこれって恋の病?
 とはいえ何かのチャレンジをしているわけでも(恋をしている覚えも)ないので、流石にそろそろよろしくないと思い食事を再開した。
 
 一般的な現代人は一日に何度も空腹を感じると聞くが、このように僕の身体は生理現象さえ一般的なそれから乖離している部分がある。
 
>>>

【「食べる」はきっと「生きる」に似ている】

 味の素あたりがCMのコピーに使いそうなサブタイトルだ。
 
 世俗では「生きること」は良いこととされ「死ぬこと」は良くないこと、避けるべき事とされている。
 生命体としては標準的な生理反応から生まれる思想なのだろう。
 現実に動物的な欲求はヒトも含めた多くの生命にとって「生きること」「生きようとすること」の原動力でもある。
 
 当然より高次な欲求も等しく「生きよう」という意志の源泉になる。
 しかし何らの欲もなくなり、新たに生まれもしなくなった場合はどうすればよいのだろう。
 高次な欲に限らず動物的な欲求さえわずかにしか発生しない場合、どうすればよいのだろう。
 
 食べたいと感じない身体、食べることを得意としない身体を ── 。
 
 食べること/生きることは良いことだと皆が言う。
 それは彼らが食べたい/生きたいという欲求に正直で、ほとんどすべての人がその概念を肯定しているからだろう。
 
 それでは食べたくない身体は、食べたいと思わない身体は、どうすればいいのだろう。
 良いとされていることをできない、したくない身体は、どうすればいいだろう。
 
 生きたくない思考は、生きたいと思わない精神は、どうすればいいのだろう。
 もちろんそんなこと誰にも答えられない。
 
 私はその答えを知っているけれど、だからといって簡単に口にするわけにもいかない ── それは私のためだけの答えかもしれないからだ。
 
>>>

【ウィーケストリンク】

 鎖は弱い輪から切れる。
 Web上ではウィーケストリンクについて、冗長性(システムエンジニアリング上の概念)まで含めて説明している文書が存在するが、あれは人間が勝手に付随させたドラマであって、単語の意味としては補足にすらならない蛇足だ。
 一般的に、鎖は断ち切れた時点でその機能を果たさなくなる。
 
 冗長性というのは、たとえばヒューズが電気回路の過負荷によって発生する熱で溶断し、結果的に回路を守るようなことを言う。
 回路本来の機能について言うならヒューズ素子(モトコではない)を使わず、その部位を直結(ショート)させたところで影響はない。
 つまり本来必要のない素子だが、システムを保護するために付加されている。こうした概念が冗長性である。
 
 これは回路というシステムを考えた場合、本来、熱に弱くて不要なヒューズを回路に組み込むことで、過負荷という不測の事態における損害を最小限(ヒューズの溶断)に食い止める物理的な冗長性であると考えられる。
 ヒューズは過負荷が掛かるまでは何の役にも立たず、過負荷が掛かって溶断すれば再利用はできない。
 
 鎖の場合はどうかというと、一般に動力の伝達(自転車やバイクがメジャーか)、2点間(3点間以上の可能性もある)の接合、ロープやワイヤ代わりの固定具として使われることが多いように観察される。
 いずれの場合も、断ち切れた時点で機能が失われる上、断ち切られることそのものはウィーケストリンク(もっとも弱い鎖の輪)の役目ではない。
 
>>>

【私の身体のウィーケストリンク】

 僕は僕自身やその肉体もシステムとして認識している。
 たとえばたびたび歯の治療(人工歯の埋設)をしているが、その耐用年数(およそ20年と言われている)を待たず寿命が尽きると考えている。
 高脂血症薬を使用しているが、これも僕の寿命を延ばすわけではない。
 それどころか肝臓と腎臓に負荷があり、服薬以前に比べて機能低下が発生している。
 
「一般的な人体」の平均的な適正数値の内側に肝臓/腎臓機能がポイントされている一方、コレステロールと中性脂肪の値は適正数値の外側にある(コレステロールは上限を超えて高いが、中性脂肪が下限を超えて低い)ため、医師は異常な脂質症状を適正数値内にポイントさせようと投薬治療を行う。
 仮にそれで僕の血管が梗塞を起こしにくくなっているとしても、他の機能低下に起因して全体の機能が損なわれればそこまでである。
 
 周囲の人は自身の肉体を基準にするので、そんな若さで死なないと言うが、彼らはそもそも食欲すら発生しないような消化吸収能力に乏しい肉体に生きたことがない。
 医者だって、そういう特殊な肉体ばかりを相手に治療行為を行うわけではない。
 個々の肉体が違うことを知っていてなお、ありもしない「一般的で平均的な人体」の数値モデルを追い回すしかないのである。
 
 おそらく人間社会は精神性にさえそうした「一般的で平均的な人格」というモデルを押し付けているのだろう。
 自分以外の誰かにとって都合の良い誰かを演じて価値を認めてもらい、やがてそれに疲れて、あるいは復讐のように自分以外の誰かを都合の良い玩具に使いたがる。
 それが悪いというのではない。ただ、そういう人もいるな、という話である。
 
 その道のプロ(医者)とはいえ私の身体もろくに知らない誰かが「平均的数値モデル」と向き合ったところで、もともと生存不適な私のカラダはもっとも弱い部分から破断する。
 他の部位を守るためではなく、それが私の身体の終着点だからだ。
 憂うつもりも嘆く気持ちもない。ただそう考えると、この治療行為の終わりはどこにあるのかと考えてしまう。
 
 死ぬまでコレステロールを適正に保ったところで、何らかの梗塞や血管系の異常が起こることは予測されている。
 医者にではなく私によって。
 それなら投薬による内臓の負担と比較して(積分によって死から逆算した)ほどほどの時期に投薬治療を辞めてよいように思うのだ。
 
 僕はそれをおよそ5年後に設定している。
 とはいえ周囲の誰よりも長生きしようと思っている、という話はまたいずれ。
 
<Trio de 三匹>
 
>>>
 
 術後からおよそひと月、口腔内の違和感はあるし歯磨きや入浴はまだできないものの、違和感も大分改善されてきた。
 数百メートルの歩行でも血圧や脈が上がって患部に響くが、それで痛みを感じることはなくなって、眠ることも楽になった。
 煙草やカフェインはあとひと月以上愉しめないだろう。
 
 身体が求めないからやめてしまっても良いとは思う(だいたい医者という医者は煙草をやめろと言ってくる)のだが、できればやめたくない。
 いつかのお祝いにと何年も仕舞ってある高価な葉巻だって(5本くらいストックがある)いつかは愉しみたいのだ。
 
 それでも、いつかはやめるのだろう。
 シガーの煙の重さに、身体がついて来られなくなっていることを僕は知っている。
 
 
 
 
 
 
 

// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]
~ Junction Box ~
 
// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]
  :青猫α:黒猫:銀猫:
 
[InterMethod]
  -Algorithm-Blood-Darkness-Diary-Ecology-Engineering-Life-Maintenance-Mechanics-
 
[Module]
  -Condencer-Convertor-Reactor-
 
[Object]
  -Human-Poison-
 
// ----- >>* Categorize Division *<< //
[Cat-Ego-Lies]
  :暗闇エトランジェ:
 
 
 
//EOF