// ----- >>* Initialize Division *<< //
// TimeLine:241121
// NOTE:
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
自己同一性を保てない。
SUBTITLE:
〜 No where / Now here 〜
Written by BlueCat
Written by BlueCat
// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
【すっきりしないんですよね問題】
明らかに問題だと思えるようなことや、解決しなければならない(あるいはしたほうがより状況がよくなる)ようなこと、というほどでもなく、どちらかというと言語化がむつかしいからか、あれもこれもモヤモヤとまるで澱のように、自分という瓶の中で沈殿することもなく拡散したまま内容物が曇ってすっきりしない、という時がある。
え、ないの? 僕はあるんだけど……。
こういうとき僕はじっとそれを観察する。
いや自分のことなんだから観察するもなにもないじゃない、という向きもあろうと思う。あるのか?
しかし多くの人の場合、自分のことについて、考えることも感じることも、考え方も価値観も記憶も「考えるまでもなく分かっている」様子である。
なんとなれば何も起こらないうち、何も見ないうち、何も聞かないうちから「いえ私こういう人間なんで、どうするかなんて分かってます」という人も多い。違うだろうか。
新聞の勧誘や宗教の勧誘やNHKの黒服や国税調査に来た地域の役員さんを相手に「間に合ってます」ってとりあえず態度を硬化させたりすること、ありません? 僕はないんですけれど、そういう人の話はよく聞きます。
妹や姉はだいたいの人を追い返します(少なくともそのように聞いている)し、それ以外の皆さんも僕と違ってヒマではありませんからね。
つまりこれは「セールスや勧誘なぞ、そこから学ぶことはないし、まして知る必要のあることなど万に一つも無いし、相手(気高く清く正しく美しく多忙で有能なのに些末な来客に対応させられている自分のこと)に対する思慮に欠けるような奴の話なんぞ聞くものか私は騙されないぞ」という明確な価値観を持っているわけで、それはわざわざ状況を追認するまでもなく「アタシ知ってるんだからね!」っていう明らかで強固な姿勢や認識や価値観を思い出すまでもなく記憶しているということである。分かっちゃってるのである。
自分について「こういう者でこういう事を考え、こういうときの対応はこうする」ということが明確な人が、僕の観察の範囲ではだいたい100人中98人くらいいる。だからだいたいみんなそうなのだと僕は判断している。
おそらくそれは「好きなものは好きと言える気持ち」をいつも抱きしめているからなのだろうと想像する。
どんなときも僕が僕らしくあるためにそう決意しているかどうかは知らないが。
しかし「好きなものは好き」と言い切れるということは「嫌いなものは嫌い」と言い切れるのかというとそうとも限らない。
たとえば「サイレンススズカ(ウマ娘)は好きと言い切れるが、メイショウドトウ(ウマ娘)は好きと言い切れない。しかしだからといって嫌いというわけではないし、むしろイイ! と思ってもいいんじゃないか」と思ったりする。いやいいだろ! イイ!
しかし思ってもいいんじゃないか、ということは思わなくてもいいのであって、どちらでもいい、といっても差し支えないものの「え。じゃ青猫さんってやっぱりショートヘアでおっぱい大きい子が好きなんですね」とか非難を浴びる可能性もあれば「結局オトコなんて女だったら誰でもいいのね」路線もあるわけだから、ここは失言を恐れる政治家の気持ちを味わいつつ、どうやってこの一文を締めくくればいいのか冷や汗をかいたりするわけです。誰にも言われたことないし言われるわけもないのにね。
ちなみにアグネスタキオン(ウマ娘)よりもサイレンススズカ(ウマ娘)のほうが、より狂気が強いと思うのは僕だけでしょうか(唐突な生徒会長立候補口調)。
エイシンフラッシュ(ウマ娘)くらいのほうが、性格的にも親近感を持ちやすい気はします外見も素晴らしいですし(政治家なら失言)。
ちなみにウマ娘(ゲーム)、12ヶ月くらい起動していないのですよね……という話はまたいずれ。
>>>
【自己同一性とは「好きなものは好きと言える気持ち」】
ご存じの方も多いとは思いますが、この「好きなものは好きと言える気持ち」が自己同一性です。
僕が僕らしくあるためには、自己同一性を抱きしめていることが最重要件である(という歌がある)というお話です。
「嫌いなものは嫌い」もそうだし「男は殺せ! 女は犯せ!」もそう。
自身の明確なポリシィを自覚しているというのは自己同一性がある、ということです。
私は猫です! とか アタシ知ってるんだから! とか 勧誘・セールスお断り! とか でもイケメンは別! とかそういうの(考えるだけでもめんどくせー(失言))。
ゴキブリは嫌い! とか やっぱりラーメンは醤油! とか 焼肉はタレ! とか インテル最強! とかそういうの。
僕の場合、自己同一性が非常に乏しい。
自身の記憶や価値観やコミュニティにおける同一性を優先して、任意の点で固定しておけば良いものを、そうしないからですね。
自分を女だと思っていた記憶もあるし、男だと理解した記憶もあるし、性別の認識を持たなかった記憶も持っていて、どの地点にもいられる。
自分を猫だと思っているし、人間として暮らした記憶もある。
ゴキブリはもちろん、コガネムシの幼虫やヤモリやクモの巣で悲鳴を上げる程度に忌避していることはもちろんのこと、それらのイキモノを慈しむ気持ちもある(ただ同じ部屋で暮らしたくないだけでね)。
近所の老婦人に好かれている(とは僕は思っていないのだが、害意を持っているわけでもないことなども含めた観察の結果そのように表現するのが一般的であると考えている)ことを迷惑に感じるものの、だからといって嫌悪するより哀れみを感じるものだし、ために相手の寂しさ(好意ではなく寂しさが動機のすべてだと僕は認識している)に付き合えないことを申し訳ないとも思う。でも老婦人と私とでは価値観があまりに違うのでお近づきになりたいわけでもない。
迷うなぁ〜! セクシーなの? キュートなの? どっちが好きなの? って言われても困る。
どっちも嫌いじゃない。だからといって一方を格別好きというわけでもない。どうでもいいのだ。勝手に迷ってろ、とも思う。
ショートヘアとロングヘア、どっちが好きなの問題だってどっちでもいい。
ベッドの上で踏んだり、腕に絡みついたままのそれを引っ張ってしまったりして、不快な思いをさせたくないのである。
そんなに絡まない? 絡まないの? 僕はよく絡む(そういう記憶がある)んだけど……。違うの? じゃ試しに絡めてもいい? ダメなの? 幾ら出したら絡めてもいい? まって警察呼ばないで! おまわりさん違うんです! そういうんじゃないんです! やめろー! 俺は無実だー! この税金泥棒ー!
……アイツまた連行されてるよ。
この一貫性のなさが周囲との摩擦を生む。
昨日は海賊みたいなことを言っていてステキ! 抱いて! って思ったのに、今日は生徒会長みたいなことばっかり言ってる! つまんない! 死ね! みたいなことになる。
ショートヘアが好きって言ったからアタシ髪切ったのに、めっちゃガッカリした顔してる、もう死んでやる! とか、薄型バストが好きだと思ってたのに実は違ったのね、もう! とかね。
なんとなれば短時間(たとえば区切られていない一文)のうちに、最初言っていたことと真逆のことを言い出す。体型だけならメイショウドトウ(ウマ娘)の方がいいかもだよね、みたいな。これが僕には普通なのだ。……そうだっけ?
こうした摩擦熱の処理が面倒なので「私は飽きっぽいです」と宣言している。
「俺は同じ女と二度寝ない」みたいな感じで、最初から予防線として宣言しておけば「キモ!」と吐き捨てられて誰も近づいてこない。
パズくん(攻殻機動隊アニメ版)はそういう意図で使ってたんだと思います。つくづくイケメンは得だな……くそう! くそう!
自分の中では一貫性があるのだけれど、周囲からの観察では一貫性のない矛盾した言動として認識される、ということがあらかじめ予測されるがしかし誰だって好きなものは好きと言える気持ち抱きしめてたいでしょう? だから。
>>>
【決まってないから自己同一性が保てない】
このような自己同一性の希薄な性質は幼児期から(なんとなれば生まれたときから)始まっているのですが、これについて今回は置いておいて、一番最初の「たくさん(といってもせいぜい3つとか5つとか7つくらい)の物事について、なんとなくモヤモヤしている」というときは「(そうした)定まらない自己同一性のため対応に苦慮している」状況なのだろうな、と思うのです。
人間というのは、とりえあず問題だと感じると、すぐにそれに対処しようとするのです。
冷蔵庫のドアを開けっぱなしにしていると母親に怒られますし、最近では母親に代わって冷蔵庫が開けっぱなしを検知して警告音を鳴らします。一人暮らしの老人や忙しい奥様も安心ですね。
おそらく世俗のお母様方も昔に比べて多忙になってしまって、いちいち冷蔵庫のドアを子供(あるいは伴侶)が開けっぱなしにするかどうかなんて気にしているヒマがないのでしょう。
不特定多数のために開かれているSNSなども同様で、興味本位で適当に情報を集めて思いつきで発言する人は思ったより多くて、思ったより少ないものです。え、矛盾してる?
端的に、僕の周囲にはそういう極端に短絡な人は少ないため、Webを観察していると思ったより多くの人が短絡だと推論できるけれど、実際のところ端的に短絡な人が身近にいないのと同じように、日本全国でもそんなに短絡な行動に出る人なんて実は少ないもののだからこそ目立っているだけで、思ったより多いけれど思ったより少ない、ということですね。少ないんだよ。おまーら少数派なんだよ! でかいツラしてんじゃねーよ! ばーか! ばーか!(失言)
短絡的に対処するのは、早急に気分がすっきりするという点では非常に秀逸なメソッドです。
急激に低下したIQを取り繕うような物言いをしていますが、そのとおり、とりあえず横文字でごまかしています。
セールスが来た! 宗教の勧誘だ! 死ね! こっち来んな! ばーか! ばーか! NHKの会長に就任させろ! 宝くじ協会の会長にさせろ! 日本赤十字社のエライ人にならせろ! 薄型バストより大きなバストの方がイイに決まってんだろ! 太ももは細いより太い方がかっこいいしエロいに決まってんだろ! ばーか! ばーか!
……ほら。すごくすっきりするでしょう? え。しないの? 僕はするんだけど……。
いずれにしてもこのような不適切な例を考慮の対象から外しても「こういうとき、自分はこう考えて、このように行動する」ということがあらかじめ決まっていれば、悩んだり迷ったりする必要もないし、時間も浪費しない。
周囲に対しても「一貫性のある自分」を演出できます。筋が一本通っているように見える……念のため、ここは下ネタではありませんからね。
でも後になってから「あれちょっと違ったかな?」とか思うこと、ありません?
今日は野菜炒めを作るつもりであれこれ調理していたのだけれど、炒めている間にちょっと気が変わってしまってスープにしてしまった、とか。
今日はポトフにしようと思っていたのだけれど、ローストビーフが出来上がった、とか。
ここでちょっと下ネタを考えて無理矢理ねじ込もうかと思ったのだけれど、面倒なのでやめちゃおうかな、とか。
どっちが正しかったのか、どっちが自分の好みだったのか、と問われても困るんです。
野菜炒めを作ろうと思ったのは事実だけれど、スープもいいなと思って両方は面倒かな、とか、テーブルに提供するタイミングとか、そういう諸々を考えたらスープも間違っていなかったしだからといって野菜炒めにしようと思い立ったのが間違っていたわけではない、とかそういう感じで。
ゴミステーションにゴミを出そうと思ったらイノシシが出てきて困ったのでイノシシを狩るための罠を仕掛けたものの仕留めたそれを処理する事ができないのでそのままにしておいたら腐敗してしまったから手が出せずに放っておいたら近所の人から訴えられた上、SNSで炎上してアンチイノシシ狩りみたいなムーブメントが起こってしまって「いや害獣だから仕方ないだろう派」と「イノシシだって生きてるんだよ派」が争っているけど自分としては「ゴミを安心して出せればそれで良かったんだけどな派」なんだけどな、とかね。
その場で自分の立ち位置を決めなくてはならない場面も確かにあるし、なんとなれば周囲から「立ち位置をはっきりしろ」なんて求められることも多いし、あるいは周囲から一方的に「お前はこう思ってるだろ」なんて決めつけられたり、ときには一般常識に照らして明らかに「この立場が正しい」みたいな場面があるけれど、実際にそういう場面が発生したときに必ず決まった対処ができるわけではないのではないかと思うんですね。
少なくとも僕はそう。
ショートヘアとロングヘア、巨乳と貧乳、どっちがいいかなんて決められないよ! 機械の身体なんていらないよ! ってそういう話じゃなくてですね。
男は殺せ! って言っても、いや無理かな。って思うし、女は犯せ! って言われても、そりゃ無理だよ、って思う。
髪の毛踏んだら痛いよね、って思うくらいだからね。男女問わず髪の毛引っ張ったら痛いんだよ。それは変わらない事実でしょう。
そういう「変わらない事実」だけを変わらない事実として認識して、あとのことはその時々で考えるのが普通だと思うのね。
イノシシだって無駄に殺したら申し訳ないけれど、邪魔だったり(狩りが)面白かったら食べるわけでもなく殺すだろうし、その殺しが無駄かどうかは自分にしかわからないときもあるんじゃないかなって思うけれど、それを他人に説明したって分からないじゃない。めんどくせーな(失言)と思うわけですけれど、それを言ったらもっと怒られて泥沼化しちゃう。湿原なだけにね。
>>>
【自分の決まりを他人に押し付けるのはちょっと……】
結局のところそうした(そのとき自分の中でモヤモヤしている)問題について観察を続けると、一定の傾向が見えてくるわけです。
解決の糸口でもなければ、自分が取るべきスタンスのヒントでもなく、ただ「自分はこういうことで悩むんだな」という自分自身に対する知見。
自分の事なんて、わざわざ観察しなくても分かってる、という人もいるとは思います。むしろその方が多い。
老いも若きも男も女も、そういう人が多いし、それはそれで賢いでしょう。少なくとも一貫性があるように思えるし、それが社会では意味を持つ。
昨日と今日でコロコロと意見を変えられると「昨日あなたがショートヘア好きって言ったから髪を切ったのに、今日になってロングヘアの方がいい、って言われても困るし髪を切った私の気持ちをどうしてくれるの」みたいなトラブルが発生する。
そんなもんお前の勝手だろうめんどくせえ(湿原)って言い放ってしまいたいけれど、一貫性のある男は「うん。ショートヘアの方が似合うよ」とかなんとか言うんですよ。
キモっ! むしろそっちのほうがキモっ! 他人を自分の思うとおりに操ろうっていう思惑とかがキモっ! て僕は思うんですけどね。
>>>
【スタンスってつまり「自分が決まっている」ことかも】
結果的に、そういうときって自分のスタンスが定まらないから、自分も気持ち悪いんです。
周囲だって「あいつ何考えてるか分からない」って思ってると思いますが、自分だって「自分、何考えてるか分からない」って考えてるんです。
少なくとも僕はそう。
このイキモノは、何を考えているんでしょうね。
一方で様々な物事がモヤモヤと感じられるときというのは、姿勢(スタンス)さえ整ってしまえば、すべての問題が一度に解決するようになる。
もちろん対症療法的に、この問題にはこういうスタンス、この問題にはこのような対応、という手法も有効でしょうし、多くの人はそうやって日々を過ごしているのだと思います。
他人の前では「イキモノを殺すな!」と聖人ぶって、家に帰れば食肉くらいするでしょう。そういうことに矛盾を感じない人は幸せだろうな、って思う。
僕は矛盾を感じてしまうため、最初から「男は殺せ! 女は犯せ!」と宣言しているわけで。いや殺しませんけどね……多分ね。
姦淫については……まぁ、分かりませんよね、そのときにならないと。
// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]
~ Junction Box ~
[ Cross Link ]
// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]
:青猫α:黒猫:
[InterMethod]
-Algorithm-Blood-Color-Ecology-Form-InterfaceLink-Kidding-Mechanics-
[Module]
-Condencer-Reactor-Resistor-Transistor-
[Object]
-Human-
// ----- >>* Categorize Division *<< //
[Cat-Ego-Lies]
:ひとになったゆめをみる:
//EOF

