// ----- >>* Initialize Division *<< //
// TimeLine:241025
// NOTE:
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
白紙票の効率問題。
SUBTITLE:
〜 White boat. 〜
Written by BlueCat
Written by BlueCat
// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
241025
猫です。私は猫です。
私は猫です人間社会の観察者です。
猫の再来に震えろ。
>>>
【ムーブメントとブームの問題】
Webでは唐突に「白紙投票をするのは馬鹿だ」ムーブが流行っているらしい。これをブームという。
ムーブが流行でブームになるのだけれどブームが流行でムーブを起こすのかムーブとブームに直接の関係性はないはずなのに語感が似ているのでブームなのかムーブなのかブームなのか混乱してしまいそうでありでもムーブでもブームでもどっちでもいいかと思ったりします私は猫です人間社会の観察者です。
またぞろどこかのインテリ風情が識者ヅラをして「かくあれかし」などと言い放ち、それに乗って「そうだそうだ」組と「そうじゃないだろ」組の対立が形成され、ヴァーチャル抗争を楽しめるという状況になっているものと想像する。
いつもの流れといえば流れであり、いい加減、よくもみんな飽きないものだと思う。
そういえばサッカー(ワールドカップとか、そういのかな?)が流行った頃、それまでまったくサッカーなど興味を持っていなかった人間がにわかにファンづらをし始めて、頼まれもしないのにゲームやチームや選手の解説やらを始めて顰蹙(ひんしゅく)を買っていたように思う。毎回思うのだが、ひんしゅくって、すごい漢字だな。
もちろんサッカーファンとしての情熱に「にわか」も「ベテラン」も「にかわ」もない。「はにわ」も「もなか」も「かしわ」もない。
熱量こそがすべてであり、そして同時にそもそも傍観者なのだから、そういう自覚は持っていてほしいと思う。
お前がフィールドに立って走るわけでもないのに、知ったふうに「あそこは右に持っていかないと」などと語るな。
何のことかというと、投票の話である。
目先の餌には食いつかずにいられず3日前のことなど記憶にもなく10年先などもちろん、1年先のことさえ考えても仕方ないと思っているめでたい国民性(これが国民性でない場合は、端的に個々人の知性の低さ)を如実に表している。
>>>
【選挙制度というカミサマ】
僕は元々、投票という行為も、選挙という多数決制度も信用していないし、それが民主政治の具現としては非常に弱いと思っている。
ただ民主政治を具現しようとしていた当初の技術レベルでは選挙制度がもっとも妥当だった、というだけである。
散々叩かれたデジタル庁のエライ人の提唱や、死ぬまで取得しない方針でいるマイナンバーカードも、オンライン投票(現行の選挙制度をオンライン化する)やオンライン政策投票(複数の政策を政府が提示し、個々人がその政策に対して都度投票するような制度)の布石と考えれば、決して悪いものではないだろう。
(非難が殺到した国民全員確定申告制度だって、個人事業主目線でいえば、そうした方が国家全体の無駄が減って生産性が向上する余力を作りやすくなる)
もちろん技術の具現があり物性を持つ以上、企業との癒着が臭い立つのがこの国家の特徴なのでそこは我慢するしかないが。
そのようなわけで紙切れに(毎度おなじみ、消しゴムさえあればいつでもすぐに消せる)鉛筆で書いて箱に入れる程度のことで政治制度が良くなると思っているのだとしたらその考え自体が相当にめでたいし、その時間や交通費がもったいないから投票なんかしないよ、というスタンスだったのだ。
そもそも投票や選挙は義務ではない。権利である。
選挙も被選挙も、権利であるから、してもいいし、しなくてもいい。その自由が前提だし、その自由さを僕は好ましく思っている。今でもそれは変わらない。
だから僕は正しく選挙に行かなかった。選挙や政治に興味も持たなかった。それで僕は幸せだったのだ。
あんな烏合に興味関心を持ち、それに巻き込まれて、時間や労力を奪われるなどまっぴらごめんである。今でもそれは変わらない。
いずれにしても選挙制度がそもそも絶対だと崇拝するのはちょっと狂ってるな、とは思う。
不完全だけれど、今はこれしか実用化されていないから仕方なく我慢して新しい制度の具現を待っている、というだけである。
早く誰か新しい制度を設計して実装しろ。
>>>
【アンチ白紙投票におけるファシズム】
白紙票の効率を語るのは自由だが、白紙票の民意反映効率を論じたついでに、白紙票の人の意志や意識に介入しようという強制力はファシスティックで気に入らない。
何を考えて、どのように行動するかについて「こちらの方がお得ですよ」「このままでは損をしてしまいますよ」と誘導してゆく手口は、昨今では単なる商法の枠を超えて詐欺化している。
「私はこう思います」「私はこうします」という表明なら、ただその人がその人の自由を享受しているだけだからよいのである。
他人に対しても、何かを思うのは自由である。勝手に思って、勝手に批判すればいい。馬鹿にしたってそれはそれで構わない。
しかし「こうしたら損をします」「こうしないとダメです」「そんなことは馬鹿のすることです」などと他人のありようを教唆し誘導するに至っては、他人の自由の侵害である。
そして同様、教唆され、誘導されるのもまた馬鹿のすることではないかと私は思うわけです。
投票も同様で「行かないとダメだよ」「投票権を使わないのは非国民だよ」などと訳知り顔でエラソーに言うのは、お金も思想もヒマもあるインテリ風情のロクデナシなわけです。
自身の価値観の表明だけならまだしも、あろうことか他人にその価値観を押し付け、植え付け、特定の思想を強制し、行動に制限を与えて誘導するのは、民主主義的なありように反するわけです。
あまつさえ私も、先日弟子から「猫さん、どうせヒマなんだから投票に行きましょうね」と言われたので、いつもどおり「俺は絶対に行かない。行こうと思ってたけれどお前が今俺に言ったがために投票には行かない。投票にだけは絶対に行ってやらないからな覚悟しろよ」と宣言してしまいました。一体私の自由って……。
私の反骨精神の発露、パンキズム、ラケンローな精神についてはご理解いただけましたね? しなくていいよそんなもの。
ラケンローが反体制を謳っているのに体制化してしまったことを経てパンクが反体制を構築したように、権利が権利の行使を強制するようになると、権利ではなく義務になってしまう。
投票は権利であって、しようがしまいがそんなのは勝手である。でもした方がいいよ、という物腰でいられないのは何故かな、という疑問を持つわけです。
そりゃ自民党の尖兵なら話は別ですよ。
白紙投票なんて馬鹿な真似をするな、と言えば、そういう「ふわっと白紙投票層」はネームバリュー(知名度)の高い党に入れちゃいますから。
「他の党はよく分からんから自民党かな」みたいな。今までずっとそうやってのさばってきたんだから。アタシ知ってるんだから。
……いや自民党に投票したいならいいですけれど、どの党にも興味ないなら白紙にしとけよお前。
無論、現行の政権政党にとって「無関心者層」が多ければ多いほど好き勝手にしてしまえるわけだから、無投票層と、白紙投票層は同じだ、という意見にも一理あるとは思うけれどね。
ほんと? ほんとなの? アタシのこと愛してるって言ってたのに、「今日はカレーの気分なんだ」ってホントなの? アタシこともう愛してないの? カレーとアタシとどっちが大事なの?
>>>
【政治なんて機械を愛さなきゃダメか】
確かに政治に興味関心を持つことは大事なことだろうとは思うけれど、興味関心を持って理解を深めるのって、とても大変なことです。
好きでもないことに興味関心なんてそもそも持てないし。
だから「嫌い」というアンチ精神から始まる興味関心でも、大切に育てるのが民主主義かな、と思うのです。
選挙が嫌い、投票制度が嫌い、というのだっていいと思う。
では、どんな制度がいいと思う? と訊ねたり、あるいは「どんな制度ならより高効率な意志決定が可能で、適切なリソース配分ができるかな」と一緒に考えるのもいいと思う。
そういうところに本来の民主政治の理想が見えてくるのではないかな、と思うのね(口調が変)。
現行制度がまずあって、その上で居丈高に「選挙に行かない奴に政治を語る資格はない」とか、お前が決めることかよ! って言い返していいと思うの。
もちろん現行制度というレールの上に乗って、その進路を誘導して、緩やかに「より理想的な社会」に進行してゆくのが順当な手順である。
まさか武力に訴えようにも、相手は国家だから結構強力なのでね、だから弟子に反政府組織を作らせようとしてもしてくれないわけよ。
そういうドラスティックな手段で新しい土台を作ろうにも、今度は土台を作ることに大きなリソースを消費してしまって、結局それは新しい組織の中での新しい(しかし馴染み深い)腐敗を生むだけで、リソースを過剰に浪費する以外何も変わらない。
政治ってつまりは制度(あるいは制度を作る制度)で、制度ってつまりはメカニズムで、メカニズムってつまり自動化された仕組みなわけで。
そこに個々人の意志や価値観が反映される必要があるから人間が必要だと思わされているけれど、そもそもそこまで手動で運行しなくてもいいだけの技術が今はありますよね、って言っている人もいるわけです。
もうね歯車にクランクハンドルを付けてクルクル回しているようなことを未だにしていて、それで「これも立派な仕事だ」って勘違いしている人がいるわけです。
もちろんモータで回してそれを眺めているだけで「これも立派な仕事だ」って、観察している自身について言い訳するよりはマシだけれど、勘違いはどちらも同じ。
ハンドルで回すよりはモータで回す方がいいし、モータで回したら、代わりに人間でないとできない仕事をすべきなのです。
これは政治家だろうと経営者だろうと投資家だろうと同じで、ちゃんと手を動かして、手を汚さないとダメだと思います。僕は猫なので手を汚しませんが。これは愛されキャラの宿命です。ネコノカミサマを始め、世界が私を愛している。なので仕方ないのだと最近は諦めの境地に至っております。
>>>
【制度の強制はある段階でファシズムに変わる】
選挙制度はその政治制度という機械の部品を品定めするだけの品評会みたいなものであって、投票自体はじつのところそんなにエラソーに言うほど何にもしていない。
でも材料や材質、部品が変われば機械の性能が変わるから、悪かったら悪かったで再評価して、良かったら良かったでそれを評価して、再設計に生かしましょう、という制度でしょう?
実際に政策を考えてリソース配分から影響力から実効性まで予測して検証して馬鹿どもに説明して理解を得て……なんて面倒ですよ、イヤになっちゃいますよ。特に馬鹿どもに説明するあたりからのくだりが。
だからといって現行制度に縛られきった発想でたかだか投票に行った程度で「投票に行かない奴は政治を語るな」というのは、ただのファシズムだからね。
「俺は投票に行っているからその権利を有している」っていう特権意識を持つのは勝手だけれど、その身勝手に自身に与えた特権意識で他を差別するのは、すでに民主的ではないのね。
で、それを説明しなくてはならない(あるいは説明しても分からない)人がいるっていうのは、それだけ馬鹿が多いんだなぁ、という率直な印象を持つわけ。
投票に行かないことについて哲学があるなら、それはその人の権利だからね。
社会に関心を持たないことも権利だからね。
持った方がいいけれど、義務ではない。
では馬鹿ではダメかというと、そんなことはないでしょう。
馬鹿でも無能でも乱暴者でも、みんなで最悪の事態を避けて、災難があったらオロオロ困って助け合って、いいことがあったら「よかったね」って喜び合えるのが幸せでしょう、っていうシンプルな話でしょう。
原作版の「ドラえもん」みたいなもので、クセがあったり、自堕落だったり、自己中心的な人たちがそれぞれに集まっていて、ときどき泣いたりイジメられたり失敗したりして、それでも誰も死なずに生きていて、喧嘩したり仲直りしたりするのが生きているということでしょう。
劇場版みたいに、最初から最後まで「いい奴ばかり」っていうのは、まぁ理想的だけれど無理だからね。
クズでも言いたいことを言っていいし、やりたいことをやっていい。ただ度を超えたらしっぺ返しがあるよ、というのを、神様ではなく人間が作った制度できちんとしましょう、というのが法制度であってね。
同じように、政治に興味関心もない馬鹿じゃあるまいし白紙で投票するのは愚鈍だよねって嗤うのはちょっとどうかな、と思うわけね。
そういう、社会に関心を持っていない人でもきちんと幸せになれて、現行の政治制度がそういう白痴の民衆を悪用しない(悪用するような制度を作らない)ような制度を作ることができればよいわけで。
自浄作用的な制度によって社会が高効率にリソース配分する政治制度が完成すれば、政治に興味関心を持たない人は、その人の持つリソースを政治以外のことにきちんと配分して社会が豊かになるわけで。
みんなが同じことを考えて、同じことをしなきゃいけないとか、した方がいいとか、そういうのはちょっと狂ってるよ、とは思うのね。
もちろん現行の政治制度は仕組みが手回し式機械計算機みたいに古いから、その設計を見直す必要があって、そのためにはまだ人間が新しい設計思想を持って手を加えなくてはいけないという前時代的な段階にあるので、興味関心を持ちましょう、というのは間違ってはいないけれど。
最終的には「衣類を入れてボタンを押すと、綺麗になった衣類が乾いています」という状態が理想的でしょう。
「問題を入れてボタンを押すと、解決策が提示されて、電子化された情報やリソースは適切なタイミングで(必要に応じてただちに)配分されます」という演算処理の理想に、人間はほとんど必要ない。それを目指すべきであって、人間ありきの仕組みを考え続けるのはどうかな、と。
>>>
【白紙票の効率問題】
ぼくのかんがえたさいきょうのせいじせいど、についてはともかくとして、白紙票の効率問題を考えた場合、これは少数だから意味がない、という考え方はある意味で理性的である。
ただし問題は、白紙票を否定することがそもそも民主的ではないという、自由民主制度の原理に反するありようを体現していることですね。
「政治家や政党にとって、何の圧力にもならない」という人は、果たして政党であり、あるいは政治家かというと、そんなこともない。
政治家の秘書官やデータ整理をする官僚ですらない。
白紙票というのは、投票に行くくらい政治に興味関心を持っているのに、どこにも投票していない層の存在を示します。
自民党一強の時代が長く続いた日本では、どうでもいい問題かもしれないが、与野党が均衡し政権を担当する政党が頻繁に入れ替わる社会だとしたら、このあからさまな浮動票である白紙票層を獲得することにどの党も躍起になるように思う。
現状の日本社会が、そのような政治システムになっていない(自民党でいいだろう派閥が多すぎた)ため、白紙票の効率を考えれば「アンチならアンチらしく、反対意見の党や、あるいはとにかく与党以外の党に投票しなよ」いうのはおそらく正解だといえる。
ただしその投票用紙はお前のじゃない。
だから効率ごときの理屈を使って私が白紙票を投じる権利を侵害するな。
お前にそんな権利はない。
お前がお前の持っている投票用紙をどう使うかは自由だが、他人の投票用紙の使い道についてとやかく言う権利はない。
いやとやかく言うのは自由だけれど、それを強制する権利はお前にないし、私がその強制に従う義務も、そうする道理もない。
白紙票が全体の1/4とか(かなりの割合)になったりしても同じことを言えるんですか、ということですね。
数百票を争う場面も政治家にはあるわけで、そう考えたら、白紙層は政治家にとって恐ろしい存在になるわけです。
「推しなんかねーけどちゃんと見てるし考えてるから今回は保留ってことにしとくけんね」っていう存在がいる、ということになるわけで。
政治家からすれば「推しがない層を獲得したい」と思うし、推しがない層は言ったこととやっていることが違ってしまえば離れてゆくのは明白ですし。
>>>
【まとめ】
「白紙の効率はたしかに悪いかもしれないけれどそんなこと言っていられるのも今のうちなんだからね! ……って。べっ、べつにアンタに投票に行けとかそういうんじゃないんだから……」
というのが今回の結論です。唐突なツンデレ語調は仕様ですのでご堪能ください。私が詫びる必要などない!
にわかサッカーファンよろしく普段は政治制度に興味関心の全くない私、人間社会の観察者であるところの猫がお伝えいたしました。
今日もいい天気でしたね。
ところで(多分気まぐれなあまり)ときどきツンデレに思われたりしがちなワタクシですが、ツンデレって実在したらすごく面倒くさいと思いませんか? 私は思います。まぁ美少女だったら許されのでしょうか、私はそんな面倒でアタマの悪い女はイヤですね。ということはワタクシはアタマが悪くて面倒だと思われているのでしょうか……。困りましたね。
ちなみに私は弟子に「行け」と言われたので今回は絶対投票に行かない予定でしたが(急に追徴を課された税金の督促が来て世界の何もかもがイヤになったのでその納税相談ついでに)期日前投票に行ってきました。とりあえずれいわにいれておいた。
みんなも(行くなら)ボールペンを持って行けよな!(強制) 与えられた鉛筆に満足するな(教唆)。
行かない人はまぁご自由に……。
// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]
~ Junction Box ~
// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]
:青猫α:黒猫:
[InterMethod]
-Algorithm-Chaos-Diary-Ecology-Engineering-Form-Interface-Kidding-Link-Mechanics-Style-Technology-
[Module]
-Condencer-Convertor-Generator-Reactor-Resistor-Transistor-
[Object]
-Human-
// ----- >>* Categorize Division *<< //
[Cat-Ego-Lies]
:ひとになったゆめをみる:
:Webストリートを見おろして:
//EOF

