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TITLE:
その憎しみを、大切に、ね。
SUBTITLE:
〜 Light of hatred. 〜
Written by BlueCat
Written by BlueCat
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241022
僕はあまり思い悩まない性格であると思われがちである。と想像する。
少なくとも誰かが今の僕を観察した場合、眠くなったら眠ってお腹が空いたら食事をするという、動物のような生活を淡々と続ける様子にさしたる悩みなどなさそうだと思っても仕方ない。
実のところ周囲に僕を観察する人間は(仮想奥様を除いて)ほぼ存在しないため、僕が思い悩む性格かどうかを知る者は誰もいないことになる。
僕も比較のしようがないので知らない。
一般に、思い詰めるというのはあまり良い意味では使われないだろう。
会社のお金を使い込んだとか、学校の宿題を忘れたとか、修学旅行の朝に目覚めると出発の時間だったとか、恋人から「実は妊娠しているの」と言われたとか、そういうときに思い詰める、という表現を使うのかもしれない。
実のところ僕はプログラミングやゲームデザインの時に思い詰めていたことがあるので、失敗による嫌な汗で肌が冷え、緊張のため体中の血管が収縮するときの体感があっても、単に「頭が働かなくなっているな」と思うだけである。
プログラミングやゲームデザインは、個人ですべて行っても、年単位の時間が掛かることもある。
僕は学生時代に、2〜3のゲームを並行してデザインしてノートにまとめていたので、ひっきりなしにゲームを作っていた。
誰に頼まれたわけでもお金になるわけでもない。ただただ自分の思い描く世界をゲームにしたかったのだ。
しかし作業を続けていれば疲れるし飽きる。
いっそ真面目に授業を受けていた方が楽しいかもしれない、と思い(実際、授業を受け)ながらデザインを続けた。そう、寝ていない授業中もね(口調が変)。
Aのゲームデザインに行き詰まったらBのゲームに使う設定画を描き、それに飽きるとCのゲームの内部処理に使われる計算式を見直してステータスとの整合を確認し、それにも飽きるとDのゲームはどんなものにしようかと夢想し(寝ている)、帰宅したら自宅のPCで計算処理をプログラムにして出力を確認する、といった具合である。
高校時代にもなると弁当を作るのは面倒だし、毎日買うほどの財力もなかったので昼食を抜き、ゲームを作るか読書をするか昼寝をしていた。
正直、今思い返せば正気の沙汰ではない。
が、授業を受けるより楽しかったし、食事よりも、恋人とイチャイチャするよりも、楽しかった。
なんといっても自分の思い描く世界に浸って、あるいはその一側面の、あるいはワンシーンを描いて、それを可変的な結末(ゲームのほとんどは、何らかの成功と失敗)をもたらす系として具現させることができるのだ。
神が七日で世界を作ったとして、ゲームデザイナは死ぬまでゲームを作り続けても足りない。
だから僕は寝食を削って(といってもその頃になると食事は父が作ることのほうが増えていたが)ゲームを作り続けていた。
思い起こすと本当に思い詰めていたのだと思う。思ってばかりだが、今はそういう作業だから仕方ない。
なので一般に「思い悩んで思い詰めている」とされているのは、それが悪い状態であればあるほど、結論も出ない不快感に浸って「どうしよう、どうしよう」と解決の糸口も見つからないまま物事の表面や感情の表象をオロオロとしているだけで、じつのところ何も思い詰めてなどいない ── 少なくとも何も考えておらず、何も情報を処理していないのだと思うようになった。
もちろん傷を負っていることに気付くと、その傷の痛みが気になって仕方なくなるというのは動物的な反応なので、不快感(あるいは不幸感)をちくちく気にしてしまうことがおかしい、というつもりはない。
とても自然だけれど、生産性の観点からいえばその時間は無意味だ、というだけのことである。
不遇な時期に、あれこれ堂々巡りの不幸感を思い詰めていたことは僕にもあるが、いよいよそれでは死んでしまおうかと考えた場合に、その後のことをあれこれと考えてしまうのもまた事実で、現在も生きているのはそういう側面がある。
会社のことであるとか、姉妹のことであるとか、飼い猫や恋人のこともある。
そうしたしがらみが何もなければ思い残すことも無く死ねるから、そういうものがなくなればいいのに、と思ったのが多分25〜8歳頃だったのではないだろうか。
どうしようもないので、その不幸を、ただただ眠ってやり過ごしたことは何度も書いている。
僕はひたすら、栄養失調になるくらいまで眠り続けた。
そう考えると徹底している。そういう性格のようだ。
徹底の仕方が自堕落で欲望に満ちているだけだ。
ついでに倫理観にも欠ける。
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ときに不幸というのは人を呪縛する。
たとえば僕の姉は、かつて結婚していた配偶者がかなり狂った人間で、暴力は振るうわ姉を働きに出して自分は仕事もしないでギャンブルに行くわで、クズを絵に描いたような人間だったらしい。
そのせいで肉体的にも精神的にも傷を負い、歪んでしまった部分があるようだ。
双極性障害も負い、肉体的な障害も持っている現在、その介護の一翼を僕が担っている。
もともと僕の両親は子供の自己肯定感を高めてくれるような人たちではなかったため、そういうクズが配偶者でも仕方ないのかと自分自身やその人生に諦観しか持っていなかったらしい。
姉妹が口々に「大切にされていた」という僕ですらそうである。
だいたい中学生も半ばになる頃には「ろくな人生設計もできず、貧乏なまま(遺伝による)病気の治療もままならず、道端で文字通り野垂れ死ぬのだろう自分は」と思っていたので、進路(進学)に希望もなく、将来、家族を作るという理想さえ持たなかった。持てなかったのだ。
そういう(絶望的な)未来像をふと口にしたことがあったらしく、当時(14歳)のTUは「こいつは本物の世捨て人だ」と絶句したらしい(僕は覚えていないが)。
流されるように、なるようにしか生きられないとずっと思っていたので、だから姉の身に降りかかり、流されてしまった不幸についてもやむを得ないのだと思う。
親も子を選べないが、子も親を選べない。
流れや事情や状況で、選ぶことのできない配偶者もあるだろうし、回避できない小児性愛被害もあるのだろう。
そうやって負ってしまう傷や不幸がある、ということを僕は姉たちを観察して知っていた。
自己責任論は理想的だが、そもそも自身の肉体や意識の発生が自分の責任において為されていない時点で机上の空論に過ぎない(発生の自己責任性/自律性のなさが許せないから僕は自分を殺したかったのだ)。
選択の余地もなく、為す術もなく、もがくことさえ許されず、しかし振り返ると不幸だとしか言いようのないこともあるのだ。
べつに何をするわけではない。
ただただ飽くまで憎み潰したのだ。手の中で作り出される世界は何度となく業火に焼かれ、男も女も骸に変わり、人類は滅び、宇宙は消滅した。
そうやって憎んで憎んで、支配や滅亡が具現することを夢想し、そしてとうとう飽きてしまった。
姉は今、憎み潰している最中である。
その憎しみは、かつての配偶者にだけ向けられていて、ときどき過剰に思えることもある。
哀れだが、それは執着に思える。
離婚して十年以上経ったと思うが、その配偶者の名を挙げては「ああいう事をする奴は」とか「ああいう考えをする奴は」と、非難する。
せっかく自由になったというのに、ことあるごとに思い出してはあげつらう。
解放されているのに、自ら呪縛を望んでいるかのようで、だからそれが執着に思える。
憎しみというのは、下手に隠したり、綺麗事で覆い隠しても、ろくな事にならない。
正しく、憎んで憎んで己の熱がなくなるか、対象の息の根が止まるまで憎み潰すしかない。
それに世俗にクズは事欠かないから仕方ない。
涼しいカオをしていても「シュレディンガーの仔猫(存在が不定な隠し子のことです)」を持つ僕とてその「クズ」の一端には違いないので、何とも言えないことである。
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僕が「忘れる」というテクノロジィを手に入れたのは、その憎しみの熱が醒めないからだった。
世界に対する憎しみも、自身(とくにその存在とその基盤となる肉体)に対する憎しみも、どうしようもなかった。
思い詰めれば詰めるほど、自身は無力であり、安易に自身や他者を殺すわけにもいかなかった。
無選択的に強制され、為す術もなく、選ばないことさえ許されなかった自身の生を、僕だけは許さなかった。
僕だけが許さなかった。
憎しみを溜め込んでも良いことはないというが、そもそも許す対象すら持たない憎しみをどうすればいいのか。
(概念としての生を憎んだとて、現象としての生を止めたところで何も変わらないのだ。まして己一人の肉体などでは)
それで大事な宝物を瓶に詰めるようにして、憎悪やそのときの自身の感情を形成する人格をあれこれ書き連ねて記録し、代わりに記憶を徐々に失った。
その結果、僕は(20代前半で)従前に増して記憶力が悪くなり、そういう「あんまり思い詰めないし記憶もしない人格」になった。
書き連ねた記録はしかし、当時の恋人がみだりに読んでしまったりしたので、最終的に捨てた。
大切な宝物ではあったが、他人が眺めて美しく感じるようなものではない。
もっとドロドロとしていて、どうにも救えないものだったからだ。
何かを憎むということは、取りも直さず「愛されたい」と泣き喚くことに等しい。
僕は世界に愛されたかったし、男にも女にも愛されたかった。
つまり世界を愛したかったし、男も女も愛したかった。
だからそうなっていない世界が憎かった。そうならない世界が哀しかった。
自分も、世界も、なにもかも。生きることも死ぬことも、なにもかも。
憎くて、哀しくて、あたたかくて、やわらかくて、優しくて、だから辛かった(辛(から)かったのではないし、揶揄(からか)ったのでもない)。
そういう救えない、矛盾してどういう解決も出来ない気持ちを、改めて、とうとう手に入れることが叶ったので、案外良いものだな、と今は思っている。
僕はすぐに忘れてしまう自分と、ずっと覚えている自分とを共存している。
若い頃は「君の言い分は間違っている」と言い合うことで分裂し矛盾していたのだが、今や「君の言い分も分かるよ」「いやいや君の意見こそ利があり理があるよ」とお互いに譲歩している。
なにそれめっちゃ可愛いじゃんか〜。ハートウォーミングじゃんか〜。
……大人になってよかったね。
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DVというなら僕もかつてはそういう狂った人間が恋人になったことがあった。
憎む価値すらないような出来事だったので、具象の出来事も相手の名前も顔も忘れてしまった。
あるいはわざわざ思い出す価値も見出していないのだ。想起するのも煩わしい。
当時、僕は憎しみのエナジィに関する法則や忘却のテクノロジィについて、すでに理解してしまっていたから。
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姉はかつての配偶者の名前や、それによって振るわれたいくつもの不幸を自分から切り離すことが出来ずにいる。
おそらく多くの人間がそうだろう。
自身の負った傷も痛みも、不幸も不快も、不運や不遇でさえ自身から切り離すわけにはいかない宝物のような記憶なのだ。
それを手放す幸せと手放す不幸があり、同じく抱え続ける幸せと抱え続ける不幸がある。
呪縛か祝福か、それは誰にも分からない。自分で決めるしかない。
ひとつの出来事は、刃物で切ったような始まりと終わりがあるわけではなく、たいていの場合、いつしか始まり、いつしか終わるからだ。
そうした一連の流れには良いときがあり、悪いときがあり、それぞれに良い面があり、悪い面がある。
どんな良いことも、悪いことも、そういうものなのだ。
そんなふうにどれもこれもを同時に経験することは、一般的ではないかもしれないし、あるいは多くの人にとっては現実的ではないのかもしれない。
失踪している別の姉の児童売春についてさえ、そのように認識することは可能だと、今の僕は知っている。
もはや憎しみなどというものは、記憶と、それにまつわる執着の熱でしかないのだ。
その熱を使って何をするわけでもないなら、それこそ無闇な発散など無駄なことである。
詰められるなら瓶に詰めて、熱ごと大切にしておいた方がいい。
他の誰かが触れてしまいそうなら、海の底に捨ててしまえばいい。
その熱が本物なら、いつか海の底から世界を焼くだろう。
焼け残った世界を眺めて何を感じるかも、また自由なのだ。
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だから僕は、僕自身の憎悪をとても大切に思っている。
きっと誰かの憎悪も、同じように、宝物なのだと思う。
ために自分の憎悪と同じように、誰かのそれをみだりに否定したりはしない。
「いやな奴がいる? イヤなことがある? 憎くて仕方ない? いいねぇ、そういうの。誰にも言わず(Webにも書かず)に大事にしようよ」って思ってしまう。
それが本物ならばこそ、大事にしているそれをポイッと捨てる日も来るし、それをもう一度取り上げる日もきっと来るはずだから。
……だから、世界を正しく灼き尽くして。
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[NEXUS]
~ Junction Box ~
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[Engineer]
:青猫α:青猫β:黒猫:赤猫:
[InterMethod]
-Algorithm-Blood-Chaos-Darkness-Diary-Ecology-Engineering-Eternal-Life-Love-Memory-Recollect-Stand_Alone-
[Module]
-Condencer-Connector-Convertor-Generator-Reactor-Resistor-Transistor-
[Object]
-Computer-Friend-Game-Garden-Human-Memory-Poison-
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[Cat-Ego-Lies]
:いのちあるものたち:
:君は首輪で繋がれて:
:夢見の猫の額の奥に:
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