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TITLE:
自動化の自動化の自動化は自動化なのだ。
SUBTITLE:
〜 Automatically automatic Automata. 〜
Written by BlueCat
Written by BlueCat
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240928
【唐突にはじまるプロバイダ乗り換えの話】
夏に書斎のクーラを入れ替えた関係で、Webプロバイダを乗り換えることになった。
電気量販店にありがちな抱き合わせ商法によるもの。
回線を引っ越ししたときに使った業者がauの代理店で、勧誘に乗せられて乗り換えたものの、プロバイダとしてのサービスはイマイチだった。
それで結局、プロバイダをSoftbankに戻すことにしたのだ。
誰の役に立つとも思わないが要点だけまとめておく。
○ プロバイダ提供のルータで Wi-Fi を使える/使えない。
Softbank は無償で機能が提供される。まぁ、ハードの機能だから当たり前だよね。
auは使えない。ハードの機能だけれど、追加料金を払わないと Wi-Fi が使えない。
auは使えない。ハードの機能だけれど、追加料金を払わないと Wi-Fi が使えない。
我が家はプロバイダルータの先にサードパーティルータを(NASがあるので)接続しているから問題なかったが、持っていない人は Wi-Fi 税を払うか、自前で Wi-Fi ルータを買わなくてはならない。
繰り返すが、Wi-Fi そのものはハードの機能であるのにソフト側で制限を掛けて暴利を取ろうという思想はいただけない。
まぁ、そのぶん安いのかもしれないし私には関係ないことではあったが、気に入らないことは断固として気に入らない性格なのでその姿勢は気に入らなかった。
○ 設定のしやすさ。
先のとおり自前のルータを接続すると、ルータの設定があれこれ必要になる。
最近はプロバイダ側もサードパーティもソフトが進化してきて、ほとんどの項目は自動設定されることが多いが、NASがあったりポートの設定を(セキュリティなどを目的として)独自で変更していると、プロバイダ側ルータからの転送ルールを変更する必要があったりする。
IPv6 は自動化されている場合も多いが、手動だと帯域が広いから(?)か設定が煩雑で、IPv4 は帯域が狭いから(?)か設定は楽なことが多いものの、手動のケースが多い。
もちろんすべて手動で設定した方が、動作が機敏になることが多い。
しかし僕はネットワークエンジニアではないから、ネットワーク設定について、プロ/ベテランほど詳しくないのだ。
手探りで設定するにはヘルプが充実していて、説明が平易(簡易ではない)にされている必要がある。
わざわざ項目を作っているとおり、Softbank のルータはヘルプも比較的分かりやすく、設定も項目の仕分けなどが見やすくてよかった。
auのそれは本当にひどかった。作り手の「やっつけ仕事」感がすごい。一昔前の個人ウェブサイトを見ているようだった、といえば伝わるだろうか。
○ 代理店の勧誘。
Softbank も、代理店型ショップ(複数キャリアを取り扱う乗合代理店ではない)で契約/変更することが多くあったが、よほど重要な内容でもない限り、プラン変更などの勧誘はなかった。
(一度もキャリア変更したことがないから、余計にその必要がないユーザだと思われている可能性はあるしその認識は正しい。)
auの場合(Softbank での)光回線の引っ越しを依頼した業者がわざわざ乗り換え提案をしてきて、その後も何度となく(携帯電話も乗り換えませんか)と連絡をくださった(敬語は皮肉)。
試しにプロバイダを乗り換えたが、上記の通りである。
費用差はというと、明細を一度も見たことがなく比較するのも面倒なのでしたことがない。
それぞれの書類やデータを探して、比較するのに掛かる時間が僕の場合は30分以上掛かると推測される。
月額で数百円だとしたら僕の自己規定時給に見合わない(僕の1時間は、僕にとって「残りの寿命の1時間ぶんの価値」がある)。
月額で5000円以上の差があれば乗り換えを検討する必要(乗り換えではなく、あくまでその検討の必要性)もあるが、そもそもそんなに差があるはずもない(同帯域なら)。
ついでに乗り換えの作業は非常に面倒(ストレスが高いもの)で時間が掛かる(推定延べ時間で、契約手続きに2時間、機材やソフトの設定/返却で12時間以上)。
○ 解約手順のわかりやすさ。
Softbank のプロバイダ契約を解約するときは比較的簡単だった。
オペレータと電話でやり取りしていて、最初の人間は「解約したい」という僕の申し出に対して「再考せよ」と言い渡してきたためまったく意図が通じなかったのだが、電話を切ってすぐに掛け直したときの別のオペレータは意図を正しく理解してくれたので、すぐに解約できた。
二度手間になったのは、PCなどの「本当に削除しますか Yes/no」ダイアログみたいなものだと思えばいい。私は寛大だからな。
回線の追加工事もなく、機器返送も手軽だった。
auは面倒だったためオンラインで解約手続きをした。
代理店が噛んでいるからなのか「追加工事が必要」と表示され、Web上で日付を指定したのだが、それをまったく無視して「工事日を指定して欲しい」というメールが何度も来た。電話も掛かってきた。
もちろんすべて無視した。
代理店と元請けの関係などユーザの知ったことではないし、解約意向はWebで完結している。
最終的に機器返送ラベルと払込票が届いた。それで済むなら最初からそうしてほしい。
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もちろん Softbank の悪評を挙げる人もいるわけだから「みんな Softbank にしようぜ」なんてことは思わない。
単純に代理店の不手際による結果もあるだろう。大変なお仕事(もしかして:大変ラクなお仕事)だとは理解している。
結果論に過ぎないが、僕はたまたま Softbank と相性がいいみたい、というだけである。
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【お金で解決できること/時間で解決できること/そしてできないこと】
年間数千円得するだけのために、こんな作業を繰り返せる人は良いと思うが、僕ならその時間でバイトをするだろう。
その方が確実に、よほど儲かる。
他人のポリシィに口出しするのは行儀が良くないとは思っているが、労働をせず(収入を増やすのではなく)得をしよう(支出を減らそう)という怠惰な発想は、非常に人間らしくて素晴らしい。
多くの発明品は「より楽に、より快適に」という目的によって作られたものだ。
一方で効率を考えないのは問題である。
単位時間を考慮した際、最低時給にも満たない僅かな金銭のために、ストレスを抱えたり過剰な時間の損失を作るような真似は、利口ではなく単なる愚鈍だ。
キャッシュレスマネーやポイントも同様。
数円得するために誰か(自分かもしれない)の時間や金銭を奪っていることに気付かないのは無思慮である。と僕は思っているのね。僕に対して、ね。
ちなみに現行政府に対して「収入(税金)を増やすのではなく支出(特に議員数やその報酬)を減らした方がいい」という指摘をする人も居るが、それもまた素晴らしい思想だと思う。
僕は個人だし自身が効率優先なので昔から、支出は最適化されている(市場競争による最適化が為されている)ものと考えて誤差など無視し、収入をさらに上げる方針を採用している。
たまたま今は不労所得者だが、就労所得を得ることに抵抗はない。ただ効率を考えると不労所得がものすごくお得(時給が無限)というだけである。
Z世代付近も含めた多くの人間が、効率至上主義に陥った結果、不労所得こそ理想、と考えている風潮がある。
しかし実際に早期リタイアしても、余った時間リソースを持て余し、金銭リソースの減少に怯える傾向もあるようだ。
たまたま僕は重篤な社会不適合者なので問題ない ── 収入も金融資産によるものではないし、貯蓄を切り崩して生活しているわけでもないからほとんど無視していられる ── が、本来的に人は他者を必要とし、支え合いながら生きるものだろう。
絆だとか繋がりだとか、そういった綺麗事を言っているのではない。
生まれてから死ぬまで、自分だけでどうにかできる人間を見たことがないという観察の結果である。
僕の場合は可能な限りそうした柵(しがらみ)を断ち切ろうとしていて、それ(特に死とその後)を最終的に金銭でアウトソースしようと考えている。
これは介護が社会サービスとして有償化したことと変わらない。
お金がない間は、時間を使ってお金や仕組みを作るしかない。
面倒くさがりの僕でも(スネを囓ることができる)親が居なかったのでそうしていた。
僕の場合は怠惰っぷりが本当にひどくて、仕事でラクをするための仕組み作りばかりしていた。そのことについては本当に反省している。
お金で時間は作れるようになった。
欲を満たすことも時間のあるうちにほとんど済ませてしまった。
なぜといって、欲というのは歳を重ねるうちに衰退するからだ。
まさか精力剤を飲むような劣情を必要とする状況でもない。
しかし社会に対する欲はある。
僕は子孫を残さないことを子供の(若いとすら表せない)頃に決めていたが、僕が死んだ後のことはその頃から考えている。
僕が死んだら社会が死ぬわけではない。
たくさんの人間が生き続け、社会は動き続ける。
その中で、幸と不幸の総和がゼロではなく、幸福の方向にプラスになるにはどういう仕組みがよいのかを考えている。
より精確に言えば「どのような仕組みが良いかと模索し誘導できる仕組みがどのようなものかを模索するための仕組みを模索し誘導できる仕組み」を考えている。
なんといっても自動化システム(を構築するシステムを構築することを自動化すること)を考えることについてはかなりのエキスパートであるからな、怠惰なる我は(倒置法)。
自動化の究極は「私が居ないのに私の求める世界がそこにある」ことだ。
そこに私は必要ない。最初から設計に含む必要もない。だから美しいと感じられる。
自然の美しさとは本来的にそういうものだ。
撮影者も観光客も、ただ景観を汚す要素でしかない。
人間の多くは自分自身を必要とし、自分以外の誰かから必要とされることを求め、必要とし、ために自分以外の誰かを必要とし、求め、それが永続することを希求する傾向がある。
それはおそらく悪いことではないのだろう。
僕にはそれが面倒なだけだ。
本当の欲は、時間でもお金でも、他人でも満たせない。
自分だけがそれを求め、自分だけがそれを探すことができ、それを満たすことができる。
言葉にするのも、感覚するのも困難な、息を止めて水の底へと潜り続けるような感覚にも似ている。
あまり深追いしない方が良いのだろう。
不労所得も自動化の究極として「自分が居なくても世界は回る」という自然な状態である。
事実、私の収入は私自身の存在を必要としていない。
書類上、権利上の名義の関係でこの個体を生かしておき、この個体の同意を必要とする場面があるだけである。
これは先の「誰かに必要とされ、誰かを必要とする」という本能(欲)を、根底から否定するものだ。
自分は誰にも必要とされず、誰を必要ともしない。
その空虚さに恐怖する人は、本能や欲がその個体に残っているのだから、もっと社会と関わればいい。
時間対費用の効率など関係なく、過剰にならない程度のストレスを厭わず、嫌なこともいいことも引き受けて関係性を構築し、お金でも時間でも埋められないことを、経験を通して積み重ねるしかない。
他人のことはどうしようもないが、経験もしないうちから「これはいいこと」「これは悪いこと」なんて選り分けるようなつまらない生き方を僕は望まなかったので、その思想のとおりに生きてきた。
多くの人に迷惑を掛けたことについては本当に申し訳ないとは思っているが、満足はしている。
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【自動化について】
自動化という仕組みは属人性を持たない。
たとえば我が家の洗濯機は非常に優秀な働きをするが、僕以外の誰かが操作をしても、おおよそ同じように優秀な働きをするだろう。
自動化された仕組みというのはそういうものである。
操作する者の経験や知識や技術によって仕上がりが異なるようでは、本当の自動化とはいえない。
たとえばエレベータで2F行きのボタンを押すのに、誰が押すかによって行き先が変わるようでは意味がない。
僕は技術者なので、技術という仕組みを信頼しているし、自動化のシステムを信頼している。
属人性によらない安定した高精度の出力ができるシステムは、文字通り何者にも代えがたい。
同様の原理が政治(とくに民主主義政治)にも働いているとずいぶん長く思っていたのだが、世俗を観察しているとどうやらそうでもないようだ。
僕のイメージでは社会の問題や課題という材料を「民主政治」という装置に放り込むと、最適化された社会という製品が出力されると信頼していた。
しかしどうやらそうでもない。
そもそも皆が皆、民主主義という装置に対して未だに属人性を見出している。
「誰が」「どのポストに就くか」ということが出力に影響されると考える癖から離れられず、出力そのものが不良なのは入力が原因だからだと考えている。
僕が問題に思うのは、そういう属人性に依ってしまう装置の設計なのだが、それを論ずる人は少ない。
材料を変えれば出力が変わると信じているのだろう。
先のエレベータの話でいえば、2Fに行きたくて2Fのボタンを押したのに5Fに着いたら、とりあえず5Fのボタンを押してみたら変わるんじゃないか、という考え方だ。
僕が「選挙をしていれば民主主義だと思うのはめでたい」というのはそういう理由である。
選挙は「どの材料で装置を作るか」という程度のことである。
僕が考えるのは(適切な材料の性質は必要だが)、ほとんどの素材で同じような機能を果たす装置の設計についてである。
たとえば木造住宅なら、壁が土壁だろうと金属板だろうと一枚板だろうと集成材だろうと、最低限の雨風は凌げる。
(傘は手動だが、建物は自動で雨風を凌いでくれる)
柱も杉だろうとヒノキだろうと、問題は柱の長さや密度や太さ、乾燥具合や表面加工と工作精度であって「杉だから」「ヒノキだから」ということで機能が大きく変わるわけではない。
人々は「雨風が凌げない理由」を「家屋という装置の設計」ではなく「材料のせい」にしている。
屋根に穴が空いているのは「そういう設計だから」というのではなく「そういう材料だから」とケチを付けている。この滑稽さが分かるだろうか。
これが傘であれば、材料によって重さも使い勝手も耐久性も変わる。手動だからそれは致命的な差になる。
結局我々が信奉している民主政治などというものは、その程度の、お粗末な手動の装置なのだろう。
適切に設計された自動化装置なら、強度要件や精度さえ適切なら、どの材料を使っても役割を果たす。
そういう設計をするのが国会議員であり、そういう設計を設計するのが選挙制度かと思うのだが、誰もそんなふうに考えていなさそうである。
設計精度に対する意識云々ではなく、そもそも設計思想が僕だけ狂っている可能性を(今のところ)否定できない。
あるいは法律というのも自動化装置である。
現実世界に存在する様々な事象を言葉だけで明確に定義し、個々人の中にある不明瞭で抽象的な概念も明文化し、論理式として最終的な白黒の出力をする。
しかしその出力の判定や計算機の駆動は人力である。
(人力だの入力だのと、似たような単語が続いてしまっていることについてこの場を借りてお詫び申し上げます)
電卓もExcelも生成AIもあるのに、ソロバンを使っているような古くささというか。
まぁ僕に分かるのは、不思議だなぁ、と僕が思っていることだけである。
<むこうから不思議の匂いがするにゃ>
>>>
【社会という装置】
社会という自動装置はしかし、僕が設計しきれるものではない。
特殊なモードで稼働させているときのエスプレッソマシンがやれ「水タンクに洗浄剤を入れろ」だの「水タンクに水を入れろ」だのと指示してくるみたいに、言われるがまま、信号が赤なら止まり、税金の追徴(突然来たので根に持っている(笑))が来れば支払いをし、選挙に来るといいぞと言われればチケット片手に行列に並ぶ。
それ以外の見えない稼働については、ありもしない説明書のとおりであることを信じて、その入力から出力までを、誰かが設計した自動化のままに任せるしかない。
Webを眺めていると好き勝手にケチを付ける人はいる(僕もその一人である)が、自動装置という現実は、その設計を改め、装置を実際に稼働させるまでは何も変わらない。
そういえば死んだ叔母が、認知症でもないのに自動掃除ロボットの後をつけ回していたことを思い出す。
国内メーカ(だったと思う)の、その自動掃除モードの稼働が非効率だと感じたのだろう彼女は、あろうことかリモコンを使ってラジコンのように操作して、ノロノロ動く掃除ロボットの後ろをつけ回していた。
あるいは掃除機のハンドルが重かったのかもしれないが、作業効率(時間対作業効果)を考えた場合、自動で掃除をさせて自分は他の作業をするか、一般的な半自動掃除機を自分で動かす方が利口だったろう。
もちろん他人の考えることなんて僕には分からない。
ただあの妄執ともいえる支配欲を初めて見たとき「ああ、こういう人なんだな」と少々ぞっとしたものだ。
── 時すでに遅く、僕は彼女の道具として稼働している状態だったのだが。
我々は出来損ないの自転車の歯車のように、キィキィと文句を垂れることは出来るにしても回される側の存在であり、自動化された機構はその歯車や軸の精度や強度に関係なく駆動し続ける。
軸や歯車がきちんとしている歯車は、とても静かに仕事をする。自転車に乗っているとそれが分かる。
駆動音の少ない自転車は、多いそれに比べれば運動に無駄がなく、より軽く、より速く運動することが可能になる。
それを考えると共産主義や社会主義を正しく制度化することが可能なら、その方が効率が良いのだろうな、とは思う。
私が設計する社会ではないからどうでもよいのだが、機械としての運動効率を考えた場合、今のそれはガタが来ているのかと思うほどやかましい。
非難しているのではない。単にその喧しさが民主政治のメカニズムの根底だというだけだ。
誰もが好き勝手なことを言える。その自由は素晴らしいものだ。
思うことを言うことさえ憚られる時代に比べれば、少なくとも発言の自由は認められているわけだから。
僕は個体としては、静かな状況を好むし、誰かの歯車であるにせよ無能な装置の歯車になることを嫌うので、今の生活状況になった。
だからといって自分が格別有能で、広くすべてを見回し、精確にリソースを分配できるほどの高効率自動装置だとは思っていない。
たまたま僕よりひどい(世俗に言うところのポンコツな)装置を見かける機会に恵まれ、その装置の歯車になる(させられる)機会があったというだけだ。
(さっきは人力だの入力だのと分かりにくかったが、今度は機会と機械が並列してしまったことについてこの場を借りてお詫び申し上げます)
きっと僕より運の悪い人間もいるだろう。
ために僕はその不幸について、誰かに自慢することも適わない。
僕に言えるのは、自動化された装置についてはただその設計を信頼し、必要なら監視し、可能なら操作/制御し、できるだけメインテナンスをするにせよ、本来的には放っておいたほうがいいということだ。
自動化という仕組みと、それを構築した知性の設計思想を信頼するのであれば、空いた時間を使って、まずは空いた時間に何をするか考えた方が利口である。
僕なら昼寝かゲームをする。
ガールとのぱやぱや(セックスのことです)や餌付けに充てていたこともあるし、飼い猫の世話に充てたりしていたこともある。
とにかくそのあたりは自由だ。自動化された装置を自動化のままにすることで、我々はもっと自由になる、はずだ。
そうでないなら、その装置は自動化されていない(手動の部分が多い)か、自動化という仕組みの設計が間違っているのだ。
世俗は社会装置のコア部品の看板が変わったと騒いでいる。
少なくとも与党の総裁が自動化された仕組み(僕は何も指示していない)のままに選出されたことについて、僕はそのように認識している。
興味を持たないという無関心は良くないのだろう。
しかしそんな下らない看板の話ではなく、もっと機能に興味を持って「こんな機能があればいいのに」とせめても言えるユーザが増えればいいな、とは期待している。
それが民主政治だからだ。
為政を誰によるかが問題になるようでは、江戸時代と変わらない。
それが民主政治の仮面を被っているとなれば、よりタチが悪い。
なぜといって民主政治だとなれば、それ以上の自由を望むことが出来なくなるからだ。
民主政治は烏合の口を封じるための建前や口上(両方同じものだが)ではない。
皆の意見の過半数をもって、残る半分以下に嫌なことを押し付けてゆく制度だ(極論だけれどそうなる)。
そういった、装置の仕組みについてきちんと皆が言い合えるのが理想的だと僕は思うのだ。
とにもかくにも、この世界を作ったのは、人間の神様か、ネコノカミサマか、それともただの人間か。
つと、そのようなことを考える。
あるいは社会という装置ならどうか。
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[NEXUS]
~ Junction Box ~
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[Engineer]
:工場長:青猫α:黒猫:赤猫:銀猫:
[InterMethod]
-Algorithm-Diary-Ecology-Engineering-Eternal-Form-Interface-Link-Maintenance-Mechanics-Stand_Alone-Technology-
[Module]
-Condencer-Connector-Generator-Reactor-Resistor-
[Object]
-Computer-Human-Koban-Tool-
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[Cat-Ego-Lies]
:工場長の設計室:
:夢見の猫の額の奥に:
//EOF

