// ----- >>* Initialize Division *<< //
// TimeLine:240926
// NOTE:
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
猫様御利益問題。
SUBTITLE:
〜 Free, is not free. 〜
Written by BlueCat
Written by BlueCat
// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
240926
償却資産に対する問い合わせが自治体からあったので、真面目に答えたのはいつの日だったか。
真面目に答えましたところ固定資産評価額が変更されたという理由で、四半期のうち残り二回分について追徴請求が掛かる。
私は猫です人間社会の観察者です。
その額じつに一期あたり約15万円。
収入に変わりはないのだけれど、税額が増えるという苦悩 ── 。
サブスクリプション月額およそ5万円の値上げ。
おいおい俺の自由の値上げ幅がすごいな。お願いだよどこか亡命させてよ〜。この国イヤだよ〜。
もはやそろそろ真面目に働こうかと悩むレベル。
まぁ、悩んだ方がいいよね。分かる、分かるよ。
不動産系償却資産だから、評価額は導入から20年ほどで償却しきると思う(年々減ってなくなる)が、当面は(同額評価され、同率請求されると仮定しても)年間で60万円多く税金を払うことになる。
逃れる術はない。
そのようなわけで妹が書類を届けに家にやって来る。
心を無にして書類を受け取り、税額を確認する。
我が家の郵便受けを確認し、久しぶりの郵便物を開封し、2ヶ月分まとめて支払った電気代の前月分についての赤紙など不要なものを処分する。
無心である。放心状態かもしれない。
>>>
【まだホトケになっていないんですよ】
僕は会うと元気がもらえるタイプ、らしい。
観察範囲はそれほど広くないが、妹からも言われるし、姪もそう思っているフシがある(僕の家に遊びに行くと羨ましがられる、と妹が言っている)。
彼女たちは僕のベッドに付着して居座る。
椅子を勧めても座らず、床面に直に座る。最近そういう人が多い。特にガールに多い。文明レベルが低いのかな。
家に遊びに来る不動産会社の人間(直接取引はないが、かの会社の営業社員が定期的に遊びに来る)も、ときどきやって来ては「元気がもらえる」と証言している。
中には拝む人まである。
生きてる人間に両手を合わせていけないことはない(と思う)けれど、凡と俗と獣の化合物みたいなイキモノを拝むのはどうなのかと、少々疑問に思う。
あれかな。ネコノカミサマの司祭だからかな。
ちなみに僕は僕といつも一緒にいるのだが、言われるほど元気をもらえている気がしない。
おそらく彼ら彼女たちの錯覚である可能性を僕は密かに ── つまり彼ら彼女たちに明らかにせず、問い詰めることもなく ── 疑い、提唱している(どこに?)。
そのようなわけで近所の老婦人も僕からの(再現性の少ない、科学的だとは言いづらい、自覚症状もない謎の)御利益を求めて来るのかもしれない。
こっちにも選ぶ権利はあるので申し訳ないとは思う。
いっそ地蔵か観音像ならいいのだけれどね。
>>>
【パワースポットかな?】
おそらく僕は思い込みが少ないタイプであるため、結果的に彼ら彼女たちにとって斬新なのかもしれない。
思い込みが少ないという点でいうと、やはり一番は子供たちである。
しかし残念ながら、文明化され、知性化されるという過程で、多くの人間達は刷り込みをされることになる。
大人になってまで、
「人殺しをしてはいけない理由って、明確に説明するのが実はかなりむつかしいんだよねぇ」とか
「働かなくてはいけないと思い込んでいる人は多いけれど、どうして働かなければいけないかというたったひとつの明確な正答を導ける人はいない様子なんだよねぇ」とか
「税金を払うのは義務だ、と言う人は多いけれど、なぜ税金を払うことが義務なのか、きちんとした説明をしてくれた人は今まで一人も居ないんだよねぇ」とか
きちんと言える人は少ない。
あれ。ああいうの。
なんでしょうね。
嫌な奴がいたら憎み潰せ、と僕はよく書いているが、実はそんなに憎み潰したりはしない。
ただ憎むことについて自分でブレーキを掛けない。
男女間の不貞行為もまったく気にしないので、若い頃は人間関係に少々の摩擦や問題もあったが、その反省を生かしているかといえばそんなこともない。
(なぜ不貞行為がいけないかについても、感情論や経済論を抜きにしてきちんと説明できる人は少ないように思う)
これらひとつひとつをして、僕は自分の獣性の現れだろうと思っている。
僕が自身をして「ケダモノ」呼ばわりする所以である。
全き丘海賊の体現として、男は殺せ! 女は犯せ!
しかしまぁ、僕はシンプルに「こうでなくてはいけない」「こうであってはいけない」という思い込みのうち、根拠が明確でないものや、他者に押し付ける類いのものを丁寧に取り除き、自分がどうするかについて都度都度考えることにしている。
多くの人は「他人を憎んではいけない」とひとたび決めると、憎まないように自他に強制する。憎みたいことでストレスを抱え、憎めないことでストレスを抱え、憎む人を見てストレスを抱え、憎まれる人を見てストレスを抱える。
ルールはシンプルだし毎回考える必要がないから手間も省ける。憎まずに済むなら気分も軽く居られそうなものだ。
なのに「憎まない」という不文律を抱えたがために重い気持ちを抱えることになる。
>>>
【自由の意味】
僕は自分にそうした足枷を着けていないので「こいつ気に入らないな」と思うと「どうしようかなぁ、とりあえず呪っちゃおうかなぁ」くらいには考える(呪われた奴はだいたい死ぬので慎重さが要求される)。
自分がそうなので、誰かが僕を憎んでも気にならない。イキモノとはそういうものだよね、くらいに考えている。
誰かが誰かを憎み、憎まれることについて「いい/悪い」で断ずるのではなく「どうしてそういうことになるのか」と考えることになる。
憎悪というのは関係性が濃密なのに、それぞれの欲が噛み合わないときに発生する。
そういうメカニズムは「かわいさ余って憎さ百倍」などの言葉からも立証できる。
誰かを思いどおりにしたいという己の欲と、自分の思いどおりにしたいという相手の欲が噛み合わない。
すると震える怒り(憎しみ)が発生する。「人間社会の観察者における報告規約」に基づけばコーションメッセージを3回繰り返すことが推奨されている。
拡大解釈すれば、戦争も同じ理由で発生するだろうし、親子間、夫婦間、恋人同士、友人同士のいがみ合いも、同じように発生する。
憎しみのあるところ欲あり。シンプルな原理である。
それで憎しみを抱えるということは、相手に対する欲を抱えることだということになる。
はたしてその欲は、良い ── 相手にとって、あるいは自身にとって、よりよい未来を構築する ── 欲だろうか、と考えることになる。
たとえば進学して欲しいと思っている己が子が、就職を希望しているとき、思いどおりにならないからストレスを感じる親もいるだろう。
そこで思いどおりにならないからと、感情論的に憎み潰すのもひとつのストレス解消法ではある。呪うと相手が死ぬケースもあることは念頭に置く必要があるものの。
あるいはそれぞれの欲をきちんと開示し、どのような未来が予測されるかをきちんと論じ合う方法もある。
一時的にストレスはより高くなるだろうが、建設的であり、理想的な解決が望める。
ただし力関係というものが存在するから、それがお互いの中でバイアスを生じることは自覚しなくてはならない。
たとえば親なら必ずといっていいほど子を見くびる側面がある。
>>>
【見くびることは、憐れむこと】
恋人や友人でも見くびることはある。それが愛情というものの一部に含まれている。
見くびる対象は愛らしいからだ。愛らしい対象に対して、動物は己より弱く小さいと見くびる。弱く小さいから愛らしい。
卑近なところで僕の周囲では「先生」と侮蔑的に呼ばれているBPなどがそれにあたる。
妹も姉ももちろん、それ以外の多くの人間どもを僕は見くびっている。
一方で、見くびられている側が見くびられていることを容赦しない場面もある。
実際の力関係は、論の正当性に過剰な圧力を掛ける場合がある。
それが問題なのは「本当により良い未来」を導くための議論であることが理想的なのに、圧力を掛ける方の欲に傾いてしまうことだ。
これでは戦争と変わらない。
しかし戦争が悪いとも思わない。そんなもの(戦争)はない方がいいとは思う。しかしそれは僕の感情論だ。
戦争そのもの、争うことそのもの、殺すことそのもの、殺し合うことそのもの、略奪し、陵辱し、蹂躙し、支配し、思いどおりにしようとすることは、とても自然だ。
その動物らしさ、ケダモノらしさは否定の余地もない。
殺人も、レイプも、親殺しも子殺しも育児放棄も近親相姦も共喰いも餓死も自己責任論もリンチも ── 動物界ではありふれている。
ためにそのありようはとても動物的で、とても自然で、否定の余地もないから否定する必要を感じない。
そうしたものを否定しなくてはならないという思い込みが僕にはないのだ。
それはたとえば「1+1=2」と同じくらい、「水素原子が酸素原子と結合すると水分子になる」のと同じくらい、否定できないものだ。
しかしだからといって僕は気に入らない人間のすべてを殺したりはしないし、働くことについて極端に嫌がっているわけでもない。
女と見ればすぐ押し倒すわけではないし、男と見ると斬り殺すようなこともない。
ある意味で不自然であり、自然に抗うありようとも言える。
しかしどうだろう。
憎みたい者もなく、陵辱するほどの情欲もなく、略奪するほど飢えていないなら、それをしないのもまた自然だ。
働く必要がないあいだは働かない、というのも道理である(ここ、笑ってもいいところです)。
自分以外の誰かの、そうした人道にもとる行為があれば、たしかに心は痛む。それが残酷なくらいただの感情であること ── ただの感情に過ぎないことも理解している。
感情が動くだけで現実が変わらないという冷酷な事実さえ心得ている。
現実を変えなければ現実は変わらない。
一方で、感情の熱量だけで理想を現実世界に押し付けるのはとても危うい行為だ。
それは憎しみにほど近い。
欲やエゴを相手に塗りたくり、思うさま蹂躙するという点において、人道にもとるという意味での獣性は変わらない。
>>>
【不自由だって、いいんじゃない?】
手間を省くために自身に足枷を着けるのは自由である。
それは合理的で最適化されたありようだろう。
数学でいうところの公式に近い。その式に代入すれば、誰もが正しい答えを導きやすくなる(それでも間違う人はいるが)。
僕のそれは公式抜きにして、力技で解を求める作業に近い。
余計な手間は掛かるし、誰もが容易に正答を導ける(力技の式を思い付く)とは限らない。
多くの躾と同じように、理由も分からず暗記して身に付けるだけでも、それが最終的に品位として現れる側面は否定できない。
どうやら僕は子供の頃から計算リソースが余る傾向にある。
他の誰より計算が速いとか、そういうことではない。
考えることを厭わず、考え続けることを面倒がらず、計算ドリルの回答をすぐに見たりしないで、ずっと考え続けることを楽しむ習性がある。
同じ事を何度も繰り返し考えることがあるし、そこから脱線することもまた楽しい。
どちらかというとドライブ趣味(自動車やコンピュータにおけるそれ)に近いかもしれない。
速い速度や遠くまで行くことにさほど思い入れはない。ただ走ること(走らせること、操作すること)が楽しいという感覚だ。
きっと檻に入れられ、足枷をはめられてなお、ぐるぐると歩いて満足するのだろう。
無論、アタマの中に檻はなく、足枷もないのだが。
身体を動かす運動も同じで、面倒くさがって嫌う人もいるが、考えるのが面倒で身体を動かすのも面倒というのはシンプルな自殺願望に思える。
まさか食べて寝るだけが願望だなんて、動物以下の人間がいるとは僕には思えないのだけれど。
とはいえネアンデルタールから大きく進化しているわけでもない人間の脳は、結局のところ「高度な禽獣」としてのそれに過ぎない。
見た目のいい個体や、匂いのいい個体を見かければ交尾したいと思い、栄養価の高い食材を見れば飢えた臓腑を満たしたいと粘膜が働く。
孤独にあっては都合のいい他者を求め、群れにあっては自分がより優れていると誇示し、己の様々な力に酔いしれてはそれを失うことを畏れ、他者の心を疑い、闇に鬼を見出し、衰えることを否定する。
どれもこれもとても人間的で、とても動物的だ。
>>>
【感情なんかないよ】
一見すると、僕はそうしたありようから超越して見えるのだろう。子供の頃からそうだ。
実際はさほどでもない。
見た目のいい異性や、匂いのいい異性を見れば交尾したいと思い、栄養価の高い食材を見れば料理をしたいと涎が垂れる。
眠ることに無上の喜びを見出し、他者を蹂躙することにさほどの感慨も持たない。
ただ、そうした欲がじつにありふれたもので、満たしたところで埋まらない空しさがあるところまで知っているだけだ。
憎しみに飽かして憎みに憎み潰し、いよいよ対象を殺したところで、満たされる飢渇はさほどでもなく、不安や恐怖が増すばかりだ。
己の正しさや正義を苛烈に抱えるというのは、己にとっての過ちや悪を苛烈に憎むということだ。
だから皆その憎しみに身を捧げたら最後、不安や恐怖に苛まれ、正しさの呪いに囚われて、病原菌のように周囲が伝染しきるまで熱病に浮かされたようになる。
カロリィの高い食べ物を食べても、心地よい異性と身体を重ねても、己が生きていることの言い知れない哀しみは埋まらない。死ぬまで、埋まらない。
きっと産まれ落とされたとき、私は盛大に哭いたことだろう(ここで「犬」という漢字が使われるのは承服しかねるが)。
寒くて眩しくて突き刺すような刺激に満ちたこの世界を呪い、憎み、何もなかった静かな闇に還せと嘆いたことだろう。
やがて不可逆的に存在する生と死を諦め、その檻や枷の仕組みについて考えるようになって久しい。
多くの人にとって、それは現実逃避だろう。しかし僕にとってはこちらの方が現実なのだ。
臓腑の欲を満たすより、他者を踏みつけにして慰みものにするより大事なことが、その中にあるのだ。
だから多くの人間達が動物的であっても、背徳的であっても、とくに気にしない。
清廉潔白でありたいならそれもよし、ただそれを演じたいだけならそれもよし。
悪徳を重ねたいならそれもよし、そういう演技もまたよし。又吉さんもまたよし。又吉さんもまたよしもまたよし。
人が禽獣を愛しむように、人の獣性もまた愛しむに足るものだ。
この獣性はよろしい、この獣性はよろしくないというのもまた傲慢な人間性であり獰猛な獣性でもある。
エゴや欲を同胞に投影しては思うようにあれかしと、人形遊びに耽っているようなもの。
人形たちが己の欲を告白し、己の正義を熱弁し、己の憎しみを吐露する。
僕はそれに耳を傾ける。
良いも悪いもあるけれど、良いも悪いもないのかもだね。
そういうのは嬉しいね。
そういうのは哀しいね。
これが事実なら苦しいことだね。
こうであったらもっといい未来が訪れるかな。
無情に、無心に、無力に、耳を傾ける。
<亡命したいにゃ>
>>>
【追徴納税どうしよう問題】
ついつい追徴納税が嫌で現実逃避をしてしまった(ぜんぜん前世とは言っていない)。
9月末までに15万円用意しろって9月の下旬になってから脅迫されて困っている(払えないとは言っていない)んですが。
これって新しいトリビアになりませんかね。
// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]
~ Junction Box ~
// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]
:青猫α:青猫β:黒猫:赤猫:銀猫:
[InterMethod]
-Algorithm-Chaos-Diary-Ecology-Engineering-Form-Interface-Kidding-Life-Link-Love-Mechanics-Stand_Alone-
[Module]
-Condencer-Connector-Convertor-Generator-Reactor-
[Object]
-Human-Koban-Memory-
// ----- >>* Categorize Division *<< //
[Cat-Ego-Lies]
:夢見の猫の額の奥に:
:いのちあるものたち:
:君は首輪で繋がれて:
//EOF

