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// TimeLine:240908
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TITLE:
可愛さの正体。
Written by BlueCat

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240908
 
 朝になってから眠り、昼頃目覚める。
 夏のような気温が続いているが、熱中症を起こすほどではない。
 
 鈴虫やコオロギは8月の半ばから鳴き始め、朝夕はずいぶん過ごしやすくなったと思う。
 まぁいまだにエアコンを24時間回しっぱなしにしているが。
 
 昨年までの観察の結果、秋の虫たちが鳴く頃になると、草花たちの多く(特に雑草類)は背が低くても種を付けるようになる。
 おそらく夜間や放射冷却時の地表温度によるのだと思うが、暑いあいだは背を伸ばして葉を茂らせることにまず注力するのだが、突然、一斉に花を咲かせて種を付ける。
 つまり虫の声が聞こえたら、とりあえず草を刈った方がよい、ということに気付いた。
 
 なので今日も草刈りである。
 ちなみに昨年は花や種だけでも先に刈り取るようにしていた(実際、今年の春になってそれなりの効果を確認できた)のだが、夏の間は完全に引き籠もっていたので、一部の領域で相当に育った。
 すでに種を付けているものも多いし、今年からは雑草マルチも使おうと思っているので構わず刈り取ってそのへんに放置している。
 
 近所に草刈りをまったくしない家や、耕作放棄された田もあり、大量の雑草から飛んでくる種を避ける術はない。
 
 金属ブレードの試用二日目である。
 まずは草刈りではなく金属加工。
 別の金属ブラケット(L字)に刃を付け、堆肥場の草花をカットするのに便利なアタッチメントにする。
 調理器具のブレンダやミキサのように、刃が水平(回転軸に対して直角)ではなく、そこから材料方向(今回は垂直方向)に向くことで、上から落とすようにして材料を切断できるようにしよう、という考え。
 何を言っているか分からなくても堆肥場を持たない人なら問題はないぞ。
 
 L字のブレードは今日は使わないので、フラットブレードで草刈り。
 1時間ほど使って終了。樹脂刃ほど切れ味が落ちないので作業が早い。
 千萱の繊維も容赦なくバラバラにできる(カッタの刃の時はきちんと切断していたので、このあたりは妥協している)。
 セイタカアワダチソウのように大きな草の根本付近(土を掻き出すくらい)まできちんと切れる。
 
 しかし作業後、アタッチメントにしたブラケットがナナメに歪んでいた。土を掘りすぎたかもしれない。
 いずれにしてもカッタの刃のように、硬すぎるせいで欠けたり割れたりすることはなさそうだ。
 厚みのある、より強度(硬度)の高いブレードを用意するか、このままにして毎回ブレードを平らに伸ばして使うか(果ては焼き入れで硬度を上げるか)。しばらく検討しようと思う。
 
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【戸締まりもドアフォンの停止も不運の前に意味がない】
 
 草刈りが終わってシャワーを浴び、買い物に出ようとしたところで、門からやってくる老婦人に鉢合わせる。
 これだよこれ!
 せっかく自宅にいるときも戸締まりをするようになったのに、出掛けた途端に鉢合わせるような不運を抱えているんだよこいつは。
 と、己の不運さを面白がっていたのだが、老婦人はお構いなしにお茶に誘おうとする。
 
「買い物に行くので」と言うと「買い物から戻ってからでも」と言う。
 相変わらず嫌がっていることが通じない。嫌ってはいないが、嫌なのだ。
 自信家か? 「あたしゃ誰からも愛されてるしそれだけの価値がある」と思ってるタイプの自信家か? 俺もそうだぞ? 愛されキャラなら負けないぞ? トップの座は譲らないぞ?
 
 仕方ないので先日の考えのとおり意を決し「いつもお話ししているとおり私は一人が好きなのです。そっとしておいてもらえませんか」とお願いし、お引き取り頂く。
 
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240909
【皆勤賞を狙ってる?】
 
 きのうの夜更けに続いた雨が庭木を濡らす。
 BPから庭木の剪定の手伝いを頼まれたのは、0908の昼のこと。
 朝からせっせと装備を固め、機材の準備(脚立だの、コードリールだの、レシプロソウだの、ビニル養生だの)をしようとしたところで「庭木が濡れてるけどどうする?」と連絡が来て、結果、順延となる。
 まぁ木の剪定って、種類にもよるけれど冬の休眠期にするのが一番ダメージを与えなくて良いのだよね。
 
 よくよく確認してみると、今回の剪定は駐車場のBPの奥様の車に枝が干渉するようになったため、らしい。
 つまり社長 ── BPの奥様のことを僕は「女帝」「社長」「総督」と陰で呼んでいる。お淑やかで可憐なのに、BPの監督業務に素晴らしい手腕を発揮しているからだ ── の指示だったようで、その指示を出した社長が「今日は雨で木が濡れてしまっているから、無理にしなくても良いのでは」と言ったらしい。
 BPは「無理にしなくても良いなら面倒だからしたくない」と考え、僕は「どちらでもいいなら面倒だからしない方がいいな」と思い、総会一致で順延が決定された。
 社長以外がダメ連中である。
 
 時間ができたので散髪に出掛ける。
 戻ってしばらくするとBPが「煙草とコーヒーを楽しみたいから遊びに行っていいか」というので許可する。
 我は寛大だ。ついでに友に飢えてもいる。夏の間は孤独であったしな。
 
 しばらく雑談などしていると、老婦人がやって来る。
 あいにく(鳴らないように加工した)ドアフォンは鳴らず、玄関の引き戸は開錠している。
 勝手に玄関を開けて上がりかまちに腰を掛け、僕に呼び掛ける。
 
 待て待て待て待て。
 皆勤賞でも狙ってるのか。粗品すら出ないぞ。暑いんだから自宅で休んでいなさいよ。
 と思いつつ仕方なく応じ、来客のある旨を説明して早々にお帰り頂く。
 
 内容は「LINEのユーザ規約に関するダイアログが出るが、あれは承認していいのか」というもの。
 あんなアプリを必要としてもいない僕になぜ尋ねるのか。
 LINEを使って(やりとりして)いる相手にどうして尋ねないのか。
 謎と闇が深いので考えるのをやめる。
 
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【集団帰属に巻き込まれる性質】
 
 夜になったので、BPと酒を呑む。
 他愛ない雑談の中で、BPも、集団帰属欲求が低いことが判明した。
 独りでいても、あるいは周囲の意見に無理に合わせないことにも、とくに抵抗はないらしい。
 おそらくTUも、昔からある種の孤独を抱え、それを好んでいるようには観察されるので同様だろう。
 
 これまでの観察の結果、男にも女にも集団を形成することを良しとし、それを優先するタイプが存在することは明らかである。
 特に若年層は(乳幼児の頃から)集団生活を余儀なくされ、集団帰属欲求を持たなければ生存が危ぶまれる。
 そうした意味で集団帰属欲求とはある種の幼児性の名残であり、良い作用があることを否定するつもりはないが未熟さの証として考えることもできる。
 
 残念ながら集団帰属を優先する(させられる)あまり己の意思を尊重することを忘れてしまい、それによって不調を抱える人は一定数存在する。
 集団の問題かもしれないし、本人の問題かもしれない。
 己の欲を、些細な部分でもつまびらかにすることは(自意識過剰なのかもしれないが)恥かしいものだ。
 
 僕のように「こうしてほしい」「こうしてほしくない」ということを明言することが本能的にむつかしいイキモノも存在する。
 僕の場合のそれは両親の離婚を経て言外に、そして強固に刻まれたジンクスである(ひとつ、望んだものは与えられない)。
 最近は解消に向けた努力が実を結びつつあるが、およそコミュニケーションの基本姿勢は変わらない。
 だから僕は周囲の意見に合わせないことや、自身の反発の意思を表明することがむつかしい。
 
 
 特に明確な意志がない場合が多く、仮にあってもそれを意識しないまま、その場は合わせてしまう。
 それで後になってから後悔して、限度を超える頃になって態度を急に硬変することになる。
 それも含めて自分には不快なのだ。悲しいことだし、空しいことだと感じる。
 相手に悪いことをしていると、自分は心が狭くて身勝手だと、最終的に悲しい思いを抱えることになる。
 
 
>>>
【ふたたび復讐を始めましょう】
 
 近所の老婦人とのやり取りや、そこで発生する葛藤にもよく現れていると自覚している。
 最初から、僅かにでも「嫌だ」と感じた段階で、もっとソフトに上手に「嫌だ」と伝えられたらこんなに拗れたりはしないのかもしれない。
 
 しかし僅かな「イヤ」なんてありふれている。
 電気料金を払いに行くのも面倒だし、税金なんて払いたくないし、親しい友人や心地よい恋人だって、ゲームや昼寝の邪魔に感じることはある(そして僕がそれに傾ける熱量や費やす時間は、おそらく彼らの常軌を逸脱している)。
 
 どれが表明すべき(してもよい)「イヤ」で、どれが我慢して受容すべき「イヤ」なのか、僕にはイマイチ判然としない。
 みんな常識人ぶって電気代を払って、選挙に行って、税金を払って、ポリコレに身を浸して、エラソーに常識を語るのだが、観察していると「常識」を笠に着て「好き嫌い」ばかり語っている。
 好きでも非常識はあるし、嫌いな常識もある。それでいいと僕は思っている。実行するかしないかは別問題だ。
 税金を払うことが嫌いだから払わないために脱税まですれば犯罪だ。
 
 そんなことに知恵を使うのは面倒だし、追徴金も恐ろしいので税金を払うが、だからといって税金を払わないこと(払いたくないとか脱税するとか)は、非常識だろうか。
 では払いたくないとシンプルに、素直に、純粋に、ピュアに感じ、思い、それを表明するのは非常識だろうか。
 まぁ、少数派だから非常識なのだろう。
 少数派はダメか? 少数派の意見はもみ消されるべきか? 非常識だから非難されて当然か? 多様性云々よりまず、その意見は存在すら否定されるべきなのか。
 
「好き嫌い」を語ることが悪いとは思っていない。
 しかし「好き嫌い」を語ることについて「好き嫌い」で語ることや、好き嫌いで語ることを好き嫌いで語ることを好き嫌いで断ずることは、何の解決にもならない。
 それは結局ご近所コミュニティの井戸端会議のようなもので、ピーチクパーチクと楽しんでいる分には良いのだろうが、何も解決しない。
 何も解決しないということもまた悪いとは思わないのだが、「嫌い」や「悪い」が改善されないまま放置されることは、果たして良いのだろうか。
 僕はあまりにも面倒くさがりなので、何も解決しない「好き嫌い」の議論に疑問を感じてしまう。よくそんな馬鹿げたことに時間を使い、心を砕けるな、と。
 
 税金以外で極端な例を挙げるなら、強姦(不同意性交)やら殺人やら自殺やらもそうだ。
 それをしたいと思い、することは非常識だろうか。
 まぁ、少数派だから社会の側からすれば非常識だろう。
 
 少数派で非常識だから非難されて当然か? それとも多数派だろうと否定するに足るだけの論理が存在するのか。
 仮に存在するとして、その論理を理解していない(理解していても実行できない)個体が発生するのはなぜか。
 それは社会から排斥しさえすれば生まれなくなるものか。
 
 本当の意味での復讐とは、憎み潰しているそれが二度とこの世に発生しない仕組みを構築することである。そのための努力を惜しまないことである。
 目の前から消えればそれでお仕舞いというようなものではないし、ましてや仕返しをすることなどではない。
 そのためにはたとえ犯罪であろうと、その少数派の意見や欲求を(それが実行され、現実世界に具現する前に)受け容れて、仕組み(家族や友人のような小集団でもいいし、地域や国家のようなより大きな集団でもいい)の中で消化されることだろう。
 
 そんな丁寧に向き合うことは、これだけ効率至上主義に傾いた社会にとってはある種の害悪だろう。
「税金なんか払いたくないのです」
「どうしてなの? 税金を払いたくない理由はなぜ? あなたの大切な人はもちろん、あなたの大切な人が大切に思う人や、そのまた大切な人に対して、そして何よりあなた自身に対して、あなたが何をするでもなく役に立つことができるんだよ。役に立つということは、世界の不幸の総数を減らすことができるんだよ。お金でそれを解決できるんだよ」
「なんだか自分だけ損をしている気がするのです。支払いに見合うリターンがあるとは思えない」
「どうして損をしていると思うの? 何が損だと思うの? 他人に対して支払うリソースは、いくらまでなら妥当だと思うの? あなたは他者から何も受け取っていないの?」
 
 こんな具合に一人ひとりに説明してもらおうとしても、ある段階で言語化など不可能だと、そんなやり取りは無意味で無価値だと、投げ出す人はいくらでいる。
 妥協点を探りたいのに、そのための議論を攻撃だと勘違いしたり、言語化できない自身の能力や労力に苛立って諦めてしまうから、こちらは理解することができない。
 これは多数派でも少数派でも同様である。僕も面倒なので放り出す方だ。
 やり取りするのは面倒だが、不満はそのまま蓄積される。
 
 だから議論なんかやめて好き嫌いで断じてストレスを発散する、というのは合理的なのだろう。
 本人の気持ちは多少軽くなるのだろうし。
 私の日記とて同じである。
 
 誰かとの議論なんか ── 我の高度に概念化された思考は言語化するのも困難なため ── 面倒だから、独りで好き嫌いによって一方的に断じて文字列にして格好を付けてストレス発散しているわけだ。
 猫様。お気持ちは軽くなりましたか?
 
>>>
【孤独の消し炭】
 
 好き嫌いによって突き詰めてゆく議論をしていても、現実は何も解決しない。だからそういう意味では不毛だ。
 他人とそれをやり取りして気持ちなど軽くしてしまえばなおさら、せっかくの熱量が何のカタチになることもなく発熱しては蒸散してしまう。
 独りで突き詰めたときにようやく、残る灰がある。あるいは誰かと話していてもそうだろう。
 
 熱を求めるものは集団になり、摩擦を起こし、その熱を糧とする。
 そこには熱に浮かれる喜びがあり、共にあるという(我らからすれば空虚な)一体感があるだろう。
 燃え尽きれば、何も残らず、何も生まないと思っている。
 
 しかし我々はそのとき発生した熱などではなく、消し炭と、その大量の灰をして己の糧にするのだ。
 ひんやりと無機質に、誰も語らず、何を言う必要もない静寂にあって初めて、己が存在することを知るのだ。
 どちらが良いというものではない。比較するものではなく、己の居場所をそのように認識するだけのこと。
 
 僕が一人を好むのは、快が多いからというのではなく不快が少ないからだ。
 不幸でないことは必ずしも幸せではないと人は言うが、それは本当には不幸を経験していない恵まれた境遇に自覚なく置かれているからだ。
 
 不幸を知る者は、不幸でないというたったそれだけの静かな幸せを知っている。
 理解してもらえない不幸などやり過ごせるが、理解できない(してはいけない。しない方がよい)不幸の傷みはもがくほどにどうしようもなくなる。だから放っておくしかない。
 いや、どちらも同じ事か。
 
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【可愛さの正体】
 
 BPは社会との接点をまったく失わないのに、そうした孤独をきちんと抱え続けている。
 不貞も経験してなお家族を放り出すようなことはなく、私のように孤立に逃げ出すことを羨んだりもしない。
 孤独を抱え、それを引け目に思ったり悩んだりするのではなくシンプルに愛し、大切に思っている。
 つまり自分自身に対する愛情だろう。
 
 TUにしてもそうだが、結婚して家族を持っている男たちを、私はたいそう強くて優しいのだと思うようになった。
 言葉の意味は違うが、羨ましさにも似た眩しさを感じる。自身がそうなりたかったかというのとは別問題だ。
 私は死ぬことを目的に生きてきたし、その目的を果たす目前にいる自分(やその能力)に満足している。
 
 彼らは自身に対する愛情を(どの段階からかは知らないが)きちんと抱え、有り余り溢れるそれを正しく身近な他者(主に家族)に注いでいる。
 未熟なままの部分もあるだろうし、力や思いが至らない部分もある(万全など存在しない)のだろうから、諸々の不便や不満はあるのだろうが、BPなどは不満や愚痴のひとつも私に聞かせないほどである。
 
 そういえば酒のついでに話したのだが、僕はTUの愚痴、とくに彼の奥様のとそれについて聞くのが大好きである。
 なぜといって普通の男たちは十代二十代の頃ならまだしも、恋人や伴侶、あるいはその関係について「どれくらい愛しているか」だの「どれくらい愛されているか」だのを語ったりしない。
 齢四十も超えれば尚更だろう。
 
 TUは数年前、そういう青臭い言葉を使わないが、代わりに生臭く「嫁さんがセックスを面倒くさがる」だのと言い募っていた(まあ一度きりだが)。
 男たちは普通、他の男にそれを言い募るなど、恥ずかしくてしないのではないかと思う。
 もっと愛していたい。もっと愛されていたい。そんなことを言えるだろうか。そんなふうに弱さを晒すことができるだろうか。
 
 いや。TUはできる。少なくとも僕に対してそれをする。
 五十歳も近づいたむさ苦しいほど男っぽい風体の彼がそのように(見ようによっては)拗ねている姿は、実にいじらしくさえある。
「どうでもいいよ」と強がったり、反動によって相手を嫌うのではなく、素直に不満のまま不満を抱え、それで拗ねているのである。
 
 見ようによっては滑稽かもしれないし、人によってはある種の嫌悪を感じるかもしれない。
 しかしこれが可愛らしくなくて何が可愛らしいというのか。
 
 人生の半分以上を共に過ごして子供も数人育て、歳を重ねて、やれ「スピリチュアル動画にハマって困っている」だの「新しい家を買うにしたってそのローンは俺のものだから離婚もできない」と愚痴るその対象である奥様に対して「もっと愛されたい」と、大の男が拗ねているのだ。
 もうこんなの可愛い以外の何物でもないよ。
 
 可憐なものが可愛いなんて当たり前なのだ。
 そんなものはヴァーチャルに氾濫しており、その世界の住人である僕は食傷している。
(我の奥様(仮想)もヴァーチャルがゆえに可憐で可愛らしいしな)
「可愛いは正義」は正しい認識だが、可愛さにしか可愛さを感じられない鈍感のために用意された「約束された可愛さ」を皆が具現しようとするグロテスクな世界にはうんざりしている。
 
 そうではなく、たくましいもの、したたかなもの、見ようによっては醜いもの、可愛さの対極にあるようなもの、それらの一瞬の狭間に見えるいじらしさこそが骨頂なのではないか。
 そして同様BPも同じようないじらしさがときどきあって、言外に僕はそれを感じているのかもしれない。
 
 まあ普段、ダンゴムシだのヤモリだのゴキブリだのを見て悲鳴を上げていると誰しもこんなふうに変わるのかなぁ、と感慨を深めたものである。
 そう考えれば、不快と名の付く不快のすべて、必ずそれを消し去ることなどしなくても良いのではないかと思う。
 
 公正だポリコレだと、体のいい正義を振りかざしては気に入らないものを皆が皆、殺そうとしている。
 私だってそれは変わらない。忌み憎み潰すものがあればそれを消し炭にしてやりたいと、どす黒くて静かな憤怒をいつも大切に臓腑の奥底に仕舞っている。
 何を殺すのも大いに結構。
 何もしないのも大いに結構。
 
 夏が過ぎて去って行く。
 秋など忘れられた恋人のようなものだ。
 いるという者もあれば、いないという者もある。
 
 静かに冬が近づいてくる。
 
 
 
 
 
 
 

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[NEXUS]
~ Junction Box ~
 
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[Engineer]
  :青猫α:青猫β:黒猫:赤猫:銀猫:
 
[InterMethod]
  -Algorithm-Diary-Ecology-Engineering-Link-Love-Mechanics-Stand_Alone-
 
[Module]
  -Condencer-Connector-Convertor-Generator-JunctionBox-Reactor-Resistor-Transistor-
 
[Object]
  -Friend-Garden-Human-Night-Poison-Rain-
 
// ----- >>* Categorize Division *<< //
[Cat-Ego-Lies]
  :ひとになったゆめをみる:
:家庭菜園ティストの狂気:
 
 
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