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TITLE:
強い縁、弱い縁。
Written by BlueCat
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::もしきみがぼくのことを善だと思ったとしても、それはきみが安心していい理由にはならない。第一の公理に基づけば、善意の文明が他の文明について、それが善だと前もって予測することはできない。だから、ぼくがきみを善と考えているか、悪と考えているか、きみにはわからない。さらに一歩進めれば、ぼくがきみを善と見なしていることをきみが知り、きみがぼくを善と見なしていることをぼくが知ったとしても、きみがぼくをどう考えているかについてぼくがどう考えているかについてきみがどう考えているか、ぼくにはわからない。ほんとに入り組んでてややこしい。だろ?これでもまだ、わずか三段階だ。このロジックはどんどん積み重なっていってキリがない。
::もしきみがぼくのことを善だと思ったとしても、それはきみが安心していい理由にはならない。第一の公理に基づけば、善意の文明が他の文明について、それが善だと前もって予測することはできない。だから、ぼくがきみを善と考えているか、悪と考えているか、きみにはわからない。さらに一歩進めれば、ぼくがきみを善と見なしていることをきみが知り、きみがぼくを善と見なしていることをぼくが知ったとしても、きみがぼくをどう考えているかについてぼくがどう考えているかについてきみがどう考えているか、ぼくにはわからない。ほんとに入り組んでてややこしい。だろ?これでもまだ、わずか三段階だ。このロジックはどんどん積み重なっていってキリがない。
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240823
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【「三体」を読んだ/読んでいる】
一時期有名だったので知っている人も居るかもしれない。かなりのハード(硬派)SFである。
僕は本を読み始めるのに時間が掛かる方なので、いくつもの本を隙間時間(料理の合間やトイレの時、ベッドの上で寝入るまでの僅かなリラックス)に読む習慣があった。
読む本は家のあちこちに散らばり、栞など挟まず(読んだ場所は記憶しており、記憶していない場合は記憶していた場所まで戻って)読むので、速度が上がるまでに耐えられた。
この本も同様、購入したのは2年以上前なのに実際に読み始めたのは今年になってからである。
素晴らしさについてはあちこちで語られているだろう。
数学や現代科学のモデルや情報を惜しみなく投入してストーリィに組み込み、各種の(実在した)歴史とそれに伴う個々の人間のありようや人間社会の変遷を描いている。
こんなものをただ一人の人間が(しかも副業で)書いたということに驚嘆する。
現代社会に知識人は多いが、知識と創造性は異なるものだし、大衆娯楽として構築できるセンスもまた別のものである。
読書速度は6月頃から加速し始め、ここ数日で最大化し、今では家のあちこち(果ては外出先)で読むようになった。
1冊目だけはペーパメディアだ(入浴中の読書が容易なため)が、入手の手間が面倒でKindle 版を購入し、数日で1冊を読んでしまうようになった。
全体にストーリィはジェットコースタのようにアップダウンを繰り返す。
SFに限らず大作に見られる群像劇の手法に抵抗のある人(日本人には多いかもしれないが、海外作品が多く輸入されたから緩和したか)にはハードルになってしまうかもしれないが、SFガジェットの説明はもちろん、ドラマの説得力が秀逸だと感じた。
テーマや前提、異星文明の立ち位置についての客観的な帰結が人間社会についてのそれと同じくらい悲劇的なだけに、全体に暗いムードが漂い、時折明るいニュースが照らしたかと思えば、また暗黒に突き落とされるような冷たい絶望を突きつけられる。まるでスペースクルーズのようですらある。
今は第三部にあたる(と思われる)「死神永生」を読んでいる。
(ネタバレになるかもしれないものの、そもそもハードSFが好きな人ならすでに読んでしまっているだろうと思うので気にせず書くが)第二部でそれなりに明るい終わり方をしたので(また暗転するのか)とガッカリする反面、あのジェットコースタが(最終的な終わりがどのようなものであれ)愉しめるのかと思うとやめることができない。
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【姉の介護】
昨日まで2日連続で通院介助。
自分を含め、人間の動線や視界を映像的にイメージして立ち位置や運動(移動)を設定するので都会は非常に疲れる。
都会に暮らす(こと高密度の人間達が複雑な運動をする公共交通機関ターミナルを日常的に利用している)人は、それだけでちょっとしたエリートなのではないかと思っている。
避けるともなく多くの人の運動を予測して自身の身体や持ち物を動かさなければ衝突してしまう気がする。まぁ僕が鈍くさいだけなのかもしれないが。
ふと、かつての勤務先の社長のことを思い出す。
僕が退職する直前、彼は滲出型黄斑変性の治療薬による副作用で脳梗塞を起こし、高次機能障害を抱えることになった。
おそらく同時に余命の算出が為されたと思う。
余命が僅かになった(多少不明瞭でも常に意識せざるを得なくなった)人の多くは、とにかく自分の大切な人と会っておきたいと思い、見知らぬ他の人にも好意的かつ積極的にコミュニケーションを取るようになると観察される。
とくに姉の場合は特殊な病気であるため、同じ病気で入院中に親しくなった人たちとの人間関係を(双極性疾患もあり躁状態に近いときはなおさら)広げたり深めたりする。
気持ちは分からないではない。
おそらくそれは人間が本来持っているすべての他者への親愛の情の表れであり、それは素晴らしいものだと思う。そして残酷なことを言えば、単なる自身への憐憫の表れでもある。
なぜといって自身に何の憐憫も持たず、現在の満足と次の満足への欲で心が占められている者は、自らに憐憫しないからこそ他者への同情など必要も感じず、ともすれば他者を自身の欲を満たすためのリソースもしくは自身のリソースを奪う略奪者ではないかと疑う羽目になる。
むしろそれは自然なことで、彼ら彼女たちは自身の生が尽きた世界を予見し、生が尽きることを自覚したからこそ自身の満足の根底にある幸福のメカニズムに図らずも触れるのだろう。
── 生命はいつも(たとえこちらに牙を剥くことがあってもなお本来的に)あたたかい。
しかし今生にしがみついて爪で掻き傷を残すかのように思えて、だから僕にはできそうもない。
爪を立てるのも掻き傷を残されるのも僕ではないから傍観しているが、自身が「爪を立てる側」だとしたら、縁を強く残すことが誰かを傷付けるような気後れを感じる。
TUあたりが(お前にはそんな影響力もないし価値もないだろう、思い上がるなよ)と笑い飛ばしてくれるなら、少しは気も楽だろうか。
もちろん若い頃から掻き傷だらけになった間柄だからこそ言えるし聞ける内容かもしれない。
それに結局、これも好みの問題で、どちらが良いというものでもないのだろう。
姉の言うところによれば、彼女と同じ病気を患っている人たちは実際に、知り合って間もなく二度と顔を合わせなくなる人も居るという。
そういう病気を抱えているからこそ、自分も相手の気持ちに寄り添いたいという気持ちもあるんだと笑った。
いつ死ぬか分からず、身体が不調を抱えていてその上、誰にも自身の存在を求められないと感じていては気持ちが暗くなってしまう。
誰かに求められ、愛されていると(仮に錯覚でも)感じられることは、愛されていないと(錯覚でも)感じるよりは幸せだから。
だから遠慮なく好ましいと感じる人とは親しくなるし、周囲の人ともコミュニケーションを深めようとするんだよ、それは私のためでもあるけれど相手のためでもあるんだもの、お互いいつ死ぬか分からないことが分かっているから余計にね、と明るく笑った。
なるほど僕の怜悧な演技は結局のところ、児戯のようなものに過ぎないのかもしれない。
私も自身の死については考えているが、傷跡を残して残される方が、残しもしない生き方より多分、あたたかいのだ。
ために考え方を改めるべきか、それでも怜悧なフリを続けるか、最近考えている。
なぜといって、誰かとコミュニケーションを深めるのは、なかなか手間の掛かることであるから。
その「手間を掛けること」そのものが優しさであったり愛情であったりするのに、時にそれが相手の迷惑になる可能性もあったりする。
僕は執着の少ないイキモノなので、他人の執着に苦労する。もちろんまったく執着しないわけではない(と思う)が、粘度が違うのだ。
軽薄で、抵抗の少ない、揚力の大きいありようを目指してきたから仕方ないのだが、これはイキモノが違うと決めつけて片付けてはいけない気もする。
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【縁と不在の傷と釣り合い】
僕はいつもどおり死の側にいる。僕に自分で設定した以外の余命は、まだ、ない。
それでも自身の死については(子供の頃から)ずっと考えているから、姉の周囲がそうであるように、知り合ったそばから数ヶ月でその知り合いが他界することについて、いささか冷ややかに考えてしまう。
誰かと親しくなることは、誰かとの縁を強くすることで、それが自身を含めた誰かの心を温める。
閉ざされた領域で密度が上がれば温度も上がる、それと同じだろう。
そして同時に領域に固定された誰かの不在は、縁の強さで温めたぶんだけ残された誰かの心を傷付ける。
原石のままでは仮に透明であっても輝きに乏しい宝石は、だからカットされることでより輝くだろう。
しかしすべての宝石が自らカットされることを望んでいるとは思えない。
生きる上で痛みがないなんて事はないが、その痛みが輝きをもたらすことの事実についてその人自身が気付くまでは往々にして時間が掛かるものだし、場合によっては気付かないまま終わることもある。
別の考えもある。
生きる上で痛みや悲しみを完全に避けることなどできないが、僕は自身が、僕の不在によって与える痛み以上の熱を他者に与えるだけの価値があるとは思っていない。
もちろんそんなことを自分勝手に決めること自体、おこがましいことは理解できる。
痛みや悲しみを輝きに変えるのは傷を受けた人自身の資質によるものであって、傷付けた側の傷付ける能力や、まして傷の深さには関係しない。
もともと濁った石ならば、どれだけ切っても磨いても、輝きこそすれ透明にはならない。
だからそうした無邪気ともいえる人間同士の信頼関係や、それを築くことに前向きでいられるすべての人を僕は眩しく思う(姉も眩しい)。
僕はある種の諦観に支配されているしその自覚もある。それを持たない価値観も有しているし、その素晴らしさを知ってもいる。
それでも自分にとって大切だと思う誰かが不在になったとして、僕は他の人ほど取り乱さない。悲しみもずっと少ない。
飼い主を失った多くの動物のように、何でもないように明日も生きられる。
飼い主を失った多くの動物のように、何でもないように明日も生きられる。
しかしそうでもない人がたくさんいることを知っている。
誰かが誰かを失うとして、その傷が双方同じ痛みや重さであるとは僕には思えない。
そして僕はいつも、誰かの抱える不在の痛みが、僕の抱えるそれよりずっと重くて冷たいもののように感じている。
僕と誰かが縁を深めた場合、はたしてそこでやり取りされる熱量と分かたれた際の痛みは、それぞれがそれぞれに釣り合うものだろうか。
なんだか自分ばかりが得をするようで、だから悩んでしまう。
僕が死ぬと(無駄に)泣き喚く人間はいると思うが、一方の僕は彼ら彼女たちが死んだとて何も感じていないように生きられるのだ。
あるいは死なずに縁が切れただけだとしても、相手に与えた傷の痛みなど思いもよらず、後に軽い感傷を抱えるだけである。
僕の不在が僕以外の誰かにもたらすものと、僕以外の誰かの不在が僕にもたらすもの、それは果たして釣り合うものだろうか。
ために僕の周りの人間が僕より先に死ぬことは「不在による痛みの発生の総和」が少ないと思っている。
もちろんすべての人と一切の縁を持たないことはむつかしいのだけれど、可能な限り僕より長く生きる人との縁を強くしない(弱める)ほうがよいと思ってしまうし、なるべくそうするように生きてきた。
基本の方針を今更変えるつもりはない。
僕はすでに自身の余命をカウントする段階にあり、死んだ後の世界(現実の、IRLの、生きた人々の残った世界の理想像)に向けて軟着陸すべく計算を始めている。
基本の方針を今更変えるつもりはない。
僕はすでに自身の余命をカウントする段階にあり、死んだ後の世界(現実の、IRLの、生きた人々の残った世界の理想像)に向けて軟着陸すべく計算を始めている。
幸い、欲にまみれて醜い死に様を晒した先人を見送ったので、同じ轍を踏まずに済みそうである(あるいはこれは己の資質によるものだろうか)。
ただ姉や妹を見ていると、粘性は高いが眩しかったりあたたかかったりする。
それが地上で生きることだというのも頷ける。
格納庫までタキシングできる余力を残すことが正しい飛行機のありようだと考えれば、なるほど地上に戻るのも悪くはないのか。
<(人間の)自宅内(猫の)自宅警備員の姿>
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240826
僕個人は毎日それなりに明るく楽しく過ごしている。
もちろん気落ちすることもある。
そもそも常に明るく楽しくポジティブで前向きに建設的な期待に胸を膨らませて元気ハツラツです! というのは僕には無理だ。
相当無理をしないとそんなふうにはいられない。
だからといって気落ちしてどんよりしている自分に果たして存在する価値もなく、周囲に対して悪い影響を与えるかというとそんなこともない。
(落ち込んでいても僕は周囲の役に立つことができるので)
だから気落ちしているときは思う存分気落ちすればよいのである。これは僕以外の人間に対しても思うことである。
むしろ人に愚痴なんか言ってないで、もっと死にたい気分になるくらい、しっかりクヨクヨしなよ、と思うことさえある。
とはいえそこまで極端な価値観を持っているイキモノは多くはなさそうなので、僕の価値観を強制するつもりもないから、大人しく愚痴を聞くのであるが。
いずれにしても「明るくなければ」「前向きでなければ」「元気でなければ」いけないというのは、その人が勝手に思い込んでいることが多い。
気落ちしている現状を悪いものだと思い、受け容れがたいというのなら、勝手に(気落ちすることや受け容れないことを)止めればいいのにと思う。まぁ、それがままならないから悩むのでしょうけれど。
人間とはかくも不自由なものか。
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[出典]
~ List of Cite ~
文頭の引用は、
「三体2 黒暗森林 下」(p.346)Kindle 版.
(著作:劉 慈欣 / 発行:ハヤカワ文庫SF)
によりました。
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[NEXUS]
~ Junction Box ~
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[Engineer]
:青猫α:銀猫:
[InterMethod]
-Algorithm-Diary-Ecology-Engineering-Form-Life-Link-Love-Mechanics-Stand_Alone-Style-
[Module]
-Condencer-Connector-Convertor-Generator-Reactor-
[Object]
-Book-Contents-Human-
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[Cat-Ego-Lies]
:ひとになったゆめをみる:
:ひとになったゆめをみる:
:君は首輪で繋がれて:
//EOF