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TITLE:
寂しさとムーンパレスの話。
SUBTITLE:
〜 Moon with me, 〜
Written by BlueCat

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240809
 
 
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【月みたいなイキモノ】
 
 僕はかつて、周囲の人間から「太陽か月で言うと月」とか「月みたいなイキモノだね」と言われることがあった。
 今もそうかは分からない。
 
 僕の周囲にはあまり人間がいないから。とくに新しい人間を周囲に配さなくなって久しい。
 かつて私をそのように評した人の一部(たとえば一見すると無粋で粗野なTUもその1人)と今も行き来があるが、おそらくこうした比喩は、そう何度も使うようなものではないのだろう。
 おそらく僕の表面しか知らない人間なら、僕の内側に何が存在しているかなど気にも留めないし、僕の内側を先に開示されている(たとえばこのブログの読者のような)人なら、僕が猫だと思い込んでいるだろう。なに人間のオッサンだと思っているだとう! 違う、それは仮初めの姿だ! 騙されてはいけない! おまわりさんあの人です! えっ、ちが、あの僕じゃなくてあっち、いえあの違うんです、僕は嘘なんて吐いてません! 猫なんです! 僕は猫なんです! 猫は実在するんです! 猫と和解してください! 和解せよ! 和解せよっつってんだろーが! あっ、やめてください。猫! 猫なんです!
 
 ……。
 
 そう、月の話であったな。
 開示され、明示されている情報から飛躍して、自身の観察した素直な感想を留め続けることはむつかしい。
 とりわけ生命体にとって先行情報は優先される ── 視覚情報は内面に対する考察より先行し、言語によって想起される自身の認識は純粋な観察結果より優先される ── ことが多いから、僕を人間だと思い込んでいる人間や、僕を猫だと認識している人間が、僕を「月のよう」と、別のひとつの象徴的な具象を取り出してきて比喩するというのは特別なことのように思えた。
 
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抽象的な具象:
 月は実在するが、あの弱重力の無味乾燥な大地を持つ地球の衛星そのものを言っているのではないだろう。それは彼ら彼女たちの心に投影された月と、それに投影された彼ら彼女たちのイメージだと考えるのが自然だ。
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 僕はその比喩を、だからとても嬉しく思ったものだ。
 必然それはテストで高得点を獲得した子を褒めそやす親のように、あるいは暗闇で交わされる睦言のように、何度も繰り返す必要のない、賞賛とも慕情の表現とも異なる、おそらく一度しか言えない、言われないことなのだ。
 一人が一度、それを伝えたら最後、その人はもう二度とその比喩を持って僕を評さない、評する必要がない、そういう類いの ── 。
 
 そもそも「月みたいなイキモノ」が何を指しているのかは分からない。
 先に述べたとおり、月はイキモノではない。
 少なくとも人類の定義ではそうだろう ── ロマンチストの天文学者なら、少し違ったことを教えてくれるかもしれないが。
 
 だから彼ら彼女たちは誠に勝手ながら月というものに勝手なイメージを押し付け、あまつさえ否定する余地のないそれに勝手な疑似人格を投影し「あの芸能人に顔が似てるよね」みたいなふうに「青猫は月に似てるね」と言ったのだ。
 月からすればいい迷惑かもしれないが、遠い昔から憎からず想っている月をして、そのようだと言われて嫌な気分になどならなかった。
 
 もしかしたら「暗くて発電の役にも立たん愚図」という意味の比喩として使われていた可能性もあるが。
 だから今の僕ならもしかしたら「キミにとって、月ってどんな?」と訊ねるだろう。
 でも当時の僕はそれをしなかった。
 しないで良かったと、今でも思う。
 
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 月というのは僕にとって、寂しさの象徴のようなものだ。
 あんなに煌々としているのに、姿を見るのはいつも宵が降りてからだ。
 ときには何もかもが寝静まった頃だったりする。
 
 お茶や煙草や酒とも違い、誰かと酌み交わすことをもって話のつなぎにするものでもない。
 実際に、友人や想い人と(僕が月を慕うあまり)月など眺めたことがあるが、どうも人間同士の間が持つものではない。
 
 友人となら間が持たず、他愛のない(しかし「そっと」した内容の)話をしてしまい、月見などどうでもよくなってしまう。
 想い人とならあの冷たい光のせいなのか乾いた大地を思い出すのか、やたらと肌の温度や湿度を確認したくなってしまうから、月見も半端になってしまう。
 
 きちんと月を見ようと思って月を見るとき、少なくとも僕は一人きりで、少し寂しいのである。
 少し寂しいから月など眺めたくなるのである。
 一人で少し寂しくて月など一人で眺めるから一人で少し寂しくなるのである。回文か。
 
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 あるいは悪い意味に思う人もいるのかもしれないが、だから僕にとって「月みたいなイキモノ」とはつまり「寂しいイキモノだね」という意味になる(前述の通り、彼ら彼女たちが投影した意味は今も知らない)。
「寂しい人だね」って、誰かにそっと言えるのも、そっと言ってもらえるのも、僕はとても嬉しいのだ。不思議なことに。
 
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【ファミレスを享受せよ】
 
「ファミレスを享受せよ」というゲームがある。
 僕は昔からAVG(アドベンチャ・ゲームの略であって、Audio/Visual Growth の略でも Adult Video Ground state の略でもない)が苦手なので、実況動画を見ている。
 
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 グラフィックとBGMとフォントが、PC−8801のそれを思い出させる。
(FM音源とか、ビューポートのドット表現とか、あの独特の、素直な文字とか)
 僕のようなオジサマにおけるノスタルジアのひとつである。
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 どういうわけか僕はゲームのような選択的(いわゆるインタラクティブな)コンテンツはもちろん、小説や映画のようなシーケンシャルコンテンツについても、その感想や紹介をするのがめちゃくちゃ下手だ。「いいよ」くらいしか言えない。唐突に言葉が出てこなくなる。
 料理を食べても「美味しい」くらいをやっと言うのがせいぜい。
 
 語彙力のなさか、とにかく感覚を言語化することが下手くそだ。
 感覚も感動も、言葉にすることを嫌ってきたからかもしれない。
 愛してるなんて、だから僕が言ったら全部嘘だ。本当の感覚も感動も、言葉にしたら僕の感覚とは別のモノになってしまう。
 デジタルな、音声や文字に変換されるようなモノを僕は感覚していない。
 
 だからそうした感想なりレヴュなりを言語化して記録できる人のことを僕は少し尊敬している。
 その人のそれは、どう読んでも嘘とは思えないからだ。
 僕が書いたら読む先から(違うな)って思うのに、それらの人の感想は(うんうんうん)って頷ける。そうだよねぇ、って同意することさえある。
 
 あるいは僕は混乱してしまうのかもしれない。
 月を見て、誰かと話すことが僕にはできないのだ。
 素敵なコンテンツを見て、それを誰かと語り合うことが ── だから月でもできる人がいるのかもしれない。いやきっといるのだ。
 僕にはそれはできない。ただ呆然と、コンテンツからもたらされる感覚に圧倒されて。
 
 しかし技術的な部分の素晴らしさについては語ることができる。
 たとえばこの「ファミレスを享受せよ」の画像の多くは、マウスで描けない(タブレットかスキャナからの補正によるもの)。
 色もただ塗り潰しツールを使用したものではなく(おそらく)別レイヤで墨入れしている(と思われる)ものもある。
 あとは……FM音源の歪みの出方が綺麗、とかね。
 これじゃ全然ゲームの良さが伝わらないでしょう?
 
 それから……ストーリィや世界設定(世界観でいいや)も素敵。くらいしか言えない。
 何が素晴らしいかなんて、動画を見るなり自分でプレイして勝手に感じるしかない。
 僕はこの、独特の、不思議で、でも寂しい感じが好きかな。熱もなくて、距離も遠くて。そういう感じ。
 デザイナが「これを感じろ」って押し付けてくるタイプのゲームも楽しいけれど、世界や人物を作るだけ作って「あとはご自由に」というのがいちばん好き。
 何をしてもいいし、何をしなくてもいいし、何を感じてもいいし、何も感じなくてもいい。そういうのがゲームだと思う。

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 イキモノってほら、生きていなきゃっていう本能的な原則があって、だいたいのイキモノはそれに逆らいもしないし、反抗期になってもそれは変わらないでしょう?
 あれが嫌い。
 生きることは反骨だよ? 残酷の刃を振るって他のイキモノの首を斬り続けることだよ? IRLはその連続だよ?
 だから生きることに反発してもいい。生まれたときから反抗期でもいい。明日も逆らうぞ。
 
 ヴァーチャルはべつにしてもいいししなくてもいい。
 熊を殺して残酷だと思ってもいいし、熊殺しを楽しんでハイスコアを狙ってもいい。
 人間相手にそれをしてもいい。
 グロテスク表現のあるゲーム(Fallout4 とか)で、街の通行人(当然何も悪いことなどしていない)を撃ち殺して追い回して死体をバラバラにしてもいい。僕はNPC相手の死体蹴りが好きなのだけれど、周囲の(それを見るIRLの)人がいい顔をしないので一人でこっそり楽しんでいます。IRLではそんなことはしないよ?
 もちろん普段は善人ヅラプレイしている(そもそも街のガードに殺される(殺される主人公を見て高笑いする)までが通り魔プレイの楽しみな)ので、僕の異常性はゲームレヴュにも表出しないのだが。
 
 とにかく「これをせよ」「ここで泣け」「笑え」「歌え」「飲め」「これをするな」「そんなことを言うな」って押し付けられるのはIRLで十分なので、ヴァーチャルに遊ぶときまで勧善懲悪だとか人間の良さだとかを強制されたくない。俺は猫だ! 男は殺せ! 女は犯せ! あっ、ちが、ち違うんです検事さん。これはあくまでヴァーチャルの話であってですね、普段は善良な市民ヅラしてるんです。税金だって払っているんです(今は)。だから許してください。俺の税金で暮らしてるんだろうこの公僕風情が!(人格崩壊)
 
 ……。
 
 打ち明けると「ファミレスを享受せよ」は、僕も一度(数年前、と思って確認したらだいたい18ヶ月前)プレイを試みたのだが、AVGが苦手なあまり放り出してしまった。
 表現技術も技法も設定も、とても素晴らしい予感に満ち満ちているのに、自分の選択とその結果のセットを記憶(および想起)できないのだ。
 僕の記憶力がもっと優れていたらとつくづく思う場面である。
 
 自分が何をして、誰と何を話したか、を思い出せない。そこから何を感じたかは思い出せる。
 その「何を感じたか」から関連させて、いわゆる5W1Hを取り出すのだが、どうやらちんぷんかんぷんで、他の誰かと照合するとだいたいデタラメになっているし、自分で思い出そうとしても混濁している。
 僕のコミュニケーション不全の原因はこのあたりにあると考えたい。
 
 僕の価値観や人格形成に問題があるとか、人間関係構築上の欲求の発露が歪んでいるとか、そもそも思想が狂っているとか、日頃の行いが悪いとか、他人をモノ程度にも思っていないとか、そういうふうに思いたくない。そういう自己イメージを持ちたくない。僕は悪くないと世界に言い放ちたい。そのためならどんな記憶だって歪めてやるぞ! 俺は悪くない! 判事さん、僕じゃないんです!
 ……狂ってるな。
 
 とにかくここまで来るとちょっとした記憶障害者なのだが、今まで恋人にも見破られたことは無いと思う。
 見破られていないとしても見限られてはいるわけで、そもそもそんなことに関係なく人格や行いに問題がある可能性は否定できないのだがいや否定したい。
 そもそも彼女たちは僕の記憶障害を指摘していたのにも関わらず僕が忘れている可能性さえあるが待て俺にそもそも恋人なんていた試しがあったのか?
 
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【月について】
 
 月に対する思慕は、ずっと昔から続いている。
 僕が最初に恋情に似たものを覚えた、その対象が月である。
 
 月のよいところは、静かなところ。煩くないところ。暑苦しくもないところ。あたたかいわけではないところ。何の足しにもならないところ。何も押し付けてこないところ。
 もちろん現実世界(の地球上)では潮汐力の源であり、海の波が生まれたことで生命の発生からその進化が加速され、月経や出産(産卵)といった体内時計の指針として作用している。
 
 が、私の身体はあいにく月の影響を受けない組成だ。
 これは男の身体に生まれたひとつの幸運だろう。
 月の重力に干渉される肉体は、月の重力に干渉される精神を持つことになる。
 
 この場合 ── 前述の通り、支配されることは許しても強制されることを許さない ── 僕は月を憎んだ可能性さえある。
 月を討ち滅ぼす夢を見て、きっと叶わぬまま死ぬのだ。
 ゆえに僕の身体が男のそれであることは、月にとっても幸運だろう。
 たとえ叶わぬとしても、討ち滅ぼすべき憎悪の対象にされて嬉しいものではない。あるいは僕が月なら、その哀れをしてせせら嗤うとは思うが。
 きっと憎悪は恋情や羨望の裏返しなのだろうし。
 
 とにかく月に対する最初の情を基準に僕は思慕の情を構成しているので、だから人間関係のなかで取り交わされる情の基準が人間のそれと異なるケースがあるようだ。
 何が正しい、というものではない。
 
 人間の社会から押し付けられたプロトコルに従えば、手軽に人間のお友達を作ることができる(少なくともその可能性は高い)から、寂しさは感じないだろう。寂しさを嫌う人にはその方が無難だ。
 僕にはそのプロトコルがない。あるいはあっても(いや多少は持っていると思うよ、思ってるよ!?)あまり魅力を感じていない。
 どうでもいい相手とつるむくらいなら、寂しい方がいい。
 
 言葉もなく、遣る瀬もなく、使い道もなく、退屈で、儚くて、抜け出せない薄闇。
 思い出すことも、交わす言葉も、希望も望みも願いもない、祈りのような時間。
 
 こういうのを誰かと共有するのか? それは楽しいのか?
 私はこれを独り占めしていたい。誰にも渡したくない。
 
 誰かや、あるいは何かに対して抱く思慕の念や情を、言葉にしたらそれきりになってしまう。
 その言葉がそこにいて、その言葉で表現したから、その言葉を使えば思い出せると、その言葉を使えばその状態に返ることができると、そう思ってしまう。
 何度もその言葉を使い続ければ、その呪文は陳腐に磨り減り、意味もまじないもかすれてゆく。
 
 同じ場所になど、帰ることはできない。
 だから言葉は使わず、独り占めして、説明もしない。
 誰にも打ち明けなけい。誰にも明け渡さないために。
 
>>>
 
 ゲームの話なのか、慕情の話なのか、「愛してる」の響きだけで強くなれる気がしてしまう錯誤の話なのか、月の話なのか、孤独の話なのか、寂しさの話なのか、人間の話なのか分からないかもしれない。
 しかし僕の考えていることを分かることが、そんなに大事だろうか。
 
 僕にはそれは大事なのだが、僕以外の人は、自身の考えていることをきちんと分かる方が大事だと思う。
 私は私という月を抱え、あなたはあなたという月を享受せよ。
 
 
 
 
 
 
 

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[Object]
  -Cat-Contents-Friend-Game-Memory-Night-
 
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  :衛星軌道でランデヴー:
コントローラと五里霧中:
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