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毎日すこしずつ。
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~ at little. ~
Written by BlueCat

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240510

 目覚めてすぐ「現在時刻当てゲーム」をする。二十代の頃からたびたびしている。
 眠るときに時刻を確認すると(たとえ18時間近く眠っていても)誤差が減る傾向にある。
 だから寝床からすぐ見える位置に時計を置かないようにしている。音が気になる夜もあるし。

 起きている最中も、折々、時間当てクイズをする。
 1分単位で正確に当てられることもたまにあるから、こういうときは「まぐれ」だとわかる。
 それでも毎日のように続けていると5分程度の誤差で時間を当てられるようになるはずだ。

 もちろん時計があるのだから「ハラ時計」など役に立たない。そもそも時間の拘束から限りなく自由なので、単なる遊びである。
 正確な時刻の前後5分程度だったら、嬉しい。ぴたりと正確だと、にんまりしまうくらいには、嬉しい。

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 10時起床。
 ここ数日、体内に微弱な炎症反応がある。
 煙草の美味しさの加減で分かるから、本数は減っている。酒は数日以上飲んでいない。
 筋肉痛のような、変な疲労感が残っている。これは自転車に乗った名残りだろうか。

 まだ眠い気もするが、眠いのは身体だけで、頭は目覚めても良いと思っている様子なので、手足の先を握ったり開いたりして徐々に身体を慣らす。
 外の天気は良さそうだし、午後まで眠るのも後ろめたい。した方が良いことも山積しているはずだ。

 庭の土を殺菌するためポリ袋に密閉して土嚢にし、堆肥場の周囲に敷く。積むと熱が通らないので、平たくする。
 4つほども作っていたら、物件管理を任せている不動産会社の営業がやって来る。
 先方がどう思っているか知らないが、お金になる話など僕を逆さに振っても出てこない。
 ただ営業職をしていた経験からいうと、お金にならなくても話をする(聞く)価値はあると思うので、馬鹿話に付き合ってもらう。

 見ず知らずの他社の営業が来ることもあるが、最近は製造業や事務方から転職して営業になる若い人もいる。
 僕が彼と同じ二十代の頃はコミュ障の人格しか保有していなかったので、営業なんてする人間も、される人間もまともな奴だとは思っていなかった。飛び込み営業なんてもってのほかである。

 コロナウィルス騒ぎも落ち着いてきたし、この辺りは都心部に比べたらずっとのどかな場所だから飛び込み営業もアリなのかな、とは思うが、聞く範囲ではインタフォンさえ応答してくれない家も多いという。
 僕の隣家がそういう家で、以前、知らせごとで訪問した際、窓から見えているのにインタフォンにも応答しなかったので、以来、出向かない。
 時折顔を合わせるのだが、挨拶をしても返事はもらえない。僕も自身を変人だと思っているが、隣家もたいがいではある。まぁどうでも良いことだが。

 隣家といえど見ず知らずの人が訪ねてきたら、相手にしないのは無難である。
 たとえ先方に用があるとしてもこちらに用がないのだから、時間を無駄にされるのは目に見えている。僕の考えでは、それはある種の殺人である。
 だから対応しない方が悪いとは思わない。対応しない方が自然だと思う。
 訪問に限らず電話だってそうである。掛ける側の都合で時間を無駄にされる。最低でも数分、所有している時間を殺される。

 しかし僕は庭に穴を掘ったり穴を埋めたりする程度の仕事しかしていないこともある。今日などまさにそうだ。
 だから退屈しのぎに、日本語を思い出すために、話し相手になってもらおうかと悪戯心が首をもたげることもある。

 営業なんて狂気の沙汰だと思う人間の考えも分かるし、営業職の存在に意義を見出す人間の考えも分かる。
 営業に慣れていない人なら慣れていないなりに、聞かれたら伝えておきたいこともあるし、慣れている人なら慣れているなりに、僕が御社の稼ぎに役立つことはないと伝える必要もある。

 会計士をしている弟子の話などを総合しても、僕くらいの年齢(だいたい百歳を公称しているが、人間としての肉体が生まれてからは48年ほど)で、仕事をしていない(言葉は悪いが、表向き勤めらしいことをしていないのでそういう表現になる)人間は少ないらしい。
 僕よりオカネモチーなんて腐るほどいるはずだが、オカネモチーはオカネモチーなりに働くらしい。

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 サラリーマンになるというのは、ある種の才能を必要とする。
 たとえば通勤や帰宅の混雑に対する耐性が必要だ。
 帰省やUターン、連休の行楽地や近所の買い物でも、そうした混雑に耐えるともなく乗り切る「割り切り力」のようなものが必要だ。

 僕は時間にケチなので、そういうことをしていると苦痛を感じる。
 無駄な会議が終わって「ところで当初の議題について、何の解決も対策もなされていない気がするのですが皆さんはどう思います?」なんて言って仕事を干されたりする。
 社員旅行の移動手段が面倒くさいので、適当な言い訳を使って単独現地到着をしたらあとで嘘がバレて支社内の上席に囲まれたりする。
 仕事をくれと言っても割り振ってもらえないので、フレックス制であるのをいいことに遅く出社して早く退勤し、勤怠データだけ誤魔化してトイレで眠り、暇な時間はCADのマクロを独学で組んで周囲から白い目で見られたりする。
 昼休みに同期や先輩とつるんで昼食に出掛けることもしないし、談笑もしない。読書や昼寝をしている方が充実する。

 つまり僕はサラリーマンになることはできても、サラリーマンで居続ける才能がなかったのだ。
 営業職の時は幸い零細事業所だったので、土日祝祭日もなく24時間仕事があれば稼働した(逆に、空いた時間に仕事をしようと遊んでいようと、帳尻が合えば問題なかった)。
 営業加算はなく固定給だったけれど、そのぶん安心して仕事ができた。
 社員旅行もなく年に一回程度の飲み会だって、上司にお酌をしたりする必要は全くなかった。
 お客様が「イイ!」と言ってくれれば勝手にどこかから評価が伝わり、お客様が「ダメ!」という前に上司(社長)から叱られた。
 振り返ると、あんなに自由に働かせてくれた会社(上司)はただの一度きりで、他になかったと思う。

 僕が社会不適合だと自身をして思うのはそういう理由だ。
 たいていの人は渋滞に耐えられるし、仲間意識のフリをした薄ら笑いを楽しめるし、仕事をしている気分になりたい馬鹿な上司の考える会議に付き合えるし、社員旅行の移動手段といった下らない決まり事を守ることができる。
 当然、勤怠を誤魔化したりしないしトイレで3時間も昼寝をしないし会社のサーバに潜り込んでシステムを解析したりしない。もはや犯罪すれすれだよ!

 賃金をもらうのだから当然である、といえばそのとおり。耐えられない方が悪い。
 少なくとも昭和世代の僕にとってはそうだし、ビジネスというのは本来的にお金と作業の交換である。
 理不尽なことを飲み込む対価だと考えた方がいい。そういう「割り切り力」を持てることがサラリーマンの才能である。

 働き方改革などと馬鹿げた会議のようなお題目を掲げ、効率をさらに追求し理不尽さを減らそうというムーブメントもある(あった)が、はっきり言ってそれ自体が無駄足である。
 やっている感を出したい誰かが言い出すからおかしな事になる。
 物流の24年問題など好例で、トップダウンの改革など共産主義国の強制労働と何ら変わらないという当たり前の事実を誰も指摘しなかったのかと首を捻る(死なない程度に)。
 しかしそれが社会であり、そうした理不尽に耐えられない社会不適合者は社会の隅でひっそり暮らすのがお互いのためなのだ。

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 僕の場合、だから他の車の少ない時間にドライブし、客が少ない日時に買い物をする。
 正直な話、平日の日中にお年寄りが多いことには辟易するが、自分もいずれそうなるどころかすでに百歳だと言い張っているし、そもそも自力で(自動車の運転が少々危なっかしいにせよ)買い物をしているのだから大したものだという見方もできる。日本は高齢社会ですからね。

 自分で時間を持て余すくせに、他人に時間を無駄にされるのは嫌なので、ポイントカード大好き社会が一段落してきたことに安堵している。
「ポイントカードお持ちですか?」「ありません」「お作りしますか?」「不要なので結構です、ありがとう」というあれである。

 今まで黙っていたが、ポイントカードやアプリケーションを精算も終わる頃になってセコセコ出す間抜け(失礼)など大嫌いであるし「ショップのポイントだけでなく、クレカ払いのポイントも溜めてる」などと、あたかも「ポイ活してる私ってば賢くて有能♪」みたいな顔をしている馬鹿(失敬)も嫌いである。
 レジに並んだ後ろの人間すべてから数十秒ずつ寸借殺人をしていることに気付け。
 あとお前の時間や思考リソースやお財布のカードスペースや携帯端末のメモリも無駄になっていることに気付け。
「それは、そうまでして、交換する価値が、あるのか?」

 おそらく経営サイドが生産性の低下に(今更)気付いたのだろう。ポイント付与の作業だけでもセルフで行うレジを見るようになった。
 ポイントシステムを採用していないチェーンや店舗も見るようになった。いいことである。
 そも顧客の囲い込みに大した効果があったとは思えないし、シンプルにレジオペレータの時給の無駄でもある。
 もちろん「寸借殺人だ!」などと大仰に糾弾するつもりはない。ポイント付与のシステムを気に入っている人はいるだろうし、ポイ活が悪いとも思わない。
 ただ僕がその馬鹿げたシステムを嫌っているだけだ。悪いのではない。嫌いなのだ。

 そんな無駄なことにリソース(主にお金)を使うくらいなら、従業員の給与を上げるなり最初から商品単価を1円でも下げた方が効果的ではないのか。
 馬鹿どもの考える効率やお得感を求めた結果、非効率で皆が少しずつ損をするシステムが未だ横行しているように観察される。
 もちろん僕が「馬鹿だな」と思っているだけで、実は僕が馬鹿である可能性を否定するつもりもない。

 そもそも僕などリソースの無駄をかき集めて、絵に描いて花マルをもらって、額に飾ってリボンを掛けてスポットライトを浴びせられているような存在である。
 ヒマなお前に言われてたまるか、と言われたら「スンマセン……」とすごすご肩を落として回れ右するに違いない。

 しかしまぁ、効率を追求しているつもりが非効率の罠に嵌まるというのは、よくあることである。
 え、ないの? 僕はよくあるのだけれど……。



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 13時から休憩し、14時から自転車で買い物に出掛ける。
 帰宅してからお風呂場を掃除。

 毎日こうやって、少し仕事をし、少し掃除をし、少し他の必要なことをし、少し歌って少し踊って、少し話して少し遊んで暮らせることが理想的だ。
 僕もついつい面倒になって、仕事を後回しにし、汚れが落ちにくくなってから嫌々掃除をし、まとめて踊って身体を痛め、一度に話そうとして上手く伝えられず、いつも遊んでいるせいで飽きてしまう。
 いずれも自分で選べることだ。存外むつかしい部分もあるが、少しずつ、というのを心掛けている。

 孤独は人の寿命を縮めるなどという論文もあるらしいが、寿命が仮に短かろうと、不適合な社会に迎合しないでいられる今を幸せだと思える。

 子供は嘘泣きをし、大人は嘘笑いをするという。
 それが社会だと言われたらそうですかとなるが、果たして社会とは嘘を吐くことで得をして、嘘を吐かないと幸せになれない場所なのか。

 





 

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